2EP.5
季節は夏。初夏を過ぎ、本格的な暑さが身を焦がすこの時期に俺はなぜか妹の学校に向かっていた。
高校生活の描写はどうした、だって?
透明人間のごとく過ごしていた。これで十分だと思うんだけど…。これ以上辛い学校生活を思い出させないでくれ…。
揺れる揺れる、視界が揺れる。お昼を過ぎた時間帯に乗る電車は空いているものだ。妹の隣に腰掛ける俺は電車の揺れに身を任せている。ちらほらとスーツ姿の男性、薄着の女性を見かけるがそれこそ季節が夏だからだろう。視界に入れたくない夏休みを満喫するガキどもが夏を感じさせる。
「社会人の皆さん…俺にはわかります。うざいですよね、平日に楽しそうにワキャワキャしてる若者見ると殺意湧きますよね。わかります」
「ねえ、お兄ちゃんもその若者の1人なの忘れてない?」
妹からのツッコミは華麗にスルー。
「おい、妹御よ。おまえが夏を感じるものってなんだ?」
「え…なに急に。えっと、蝉とか、花火とか、風鈴…とか?」
これだから今の若者はダメなんだ。金魚花火を10回聞いてから出直してこい。
「夏といえば、ウザい学生の一択だろ。さっきも言ったけどな…今からフェフ〜!とか、浴衣姿でプラチナディスコ〜!とか、夏は水着イベントしとけば課金促せるだろグハハ!とかいうやつらが町を歩くんだぞ…。そんなの見たら…おぇ、吐き気が…」
「お兄ちゃんがチャラチャラした人が嫌いなのは前から知ってたけど、今の発言はそれとはあまり関係ないような…」
妹がなんか言ってるけど、まぁいいだろう。目的の駅まではまだ時間があるからな。回想でもしておくか。
「お兄ちゃん、恥ずかしがらずちゃんと手伝ってよね…」
おいおいマイシスター、予定が総崩れじゃないか。このままだと、義妹とその兄が平日に夏休みデートをしていると勘違いされてしまうじゃないか。いや、それはそれで悪くはないのだが。
「わかってるよ。手伝いって言ってもあれだろ、ダンボールをセロハンテープでペタペタしたり、色を塗り塗りしたりするだけだろ?俺が何年朝の子供番組見てたと思ってるんだよ」
「その黒ぶちの丸眼鏡、学校で絶対出さないでね。帽子とかも被らなくていいから」
なんだよ、つれねーな。せっかく一発盛大な満点大笑いを叩き出してやろうと思ったのに。昨日動画まで見てモノマネの練習をしたのが台無しだ。
美晴はそんな俺に呆れてしまったのか手元に持っていた本に再び視線を落とした。電車に乗車し席に座った瞬間、鞄からごそごそと取り出した本を開いた美晴ちゃん。いつもの通学中のルーチンワークなのかもしれないが、隣に兄がいてもそれを行うとは全く本当に勤勉な女の子である。
本を読んでいる人に話しかけて良いのかどうかという問題。これはかの有名なリーマン予想に並ぶ問題だろう。リーマン予想がゼータ関数なら、リーディングマン予想はキュベレイ関数と言ったところだろうか。
俺一人が感じている気まずさを紛らわすために、自らの娯楽世界に耽っている妹へ介入するのは気がひけるというものだ。それが大事な用事でないのなら尚更、では話しかけるべきではないというのが正解ではないのか?
否、結論を急がないでほしい。
今回の問題には命題がまだ残っている。それでは証明が完了したとは言えない。
その命題とは、兄が隣にいる、だ。
そう、隣には一緒にきている兄がいるのだ。義兄弟とはいえ、話したくないような仲でもない(美晴がそう思っていたら元も子もないのだが)
それなのに!そんな兄貴を放っておいて良心の呵責が痛まないのか⁉︎
そうだ。これは精神論だ。
2人でお出かけした先で1人が自分の趣味に走り。もう1人を置いて行ったらどうだろう。優秀で優しい美晴ちゃんなら置いていかれた方の人の心中を察することは容易なはずだ。それなのに、読書を選ぶなんて…ひどいじゃないか!お兄ちゃんは話したいんだ!普段学校で喋れない分、たくさん喋りたい!兄ちゃんは語りたい!!
以上が秀吉の自論です。
やはりこのリーディングマン問題に解決の予兆は見られそうにない。自分を優先するか、他人を優先するか…。考えれば考えるほど、社会で群れを成して生きることを選択した生物に、神から課された問題の1つに帰結してしまう。
束縛を捨て群れを捨てて孤独に生きるか…束縛を受け入れ群れの中で連帯の中で生きるか。
まぁそんなこと電車の中で考えるようなことではないだろう。妹がどう考えているのかはわからないが、その考えを受け入れてあげるのが兄の役目というものだ。
「お兄ちゃん…わ、私の方ジロジロ見過ぎ…集中できないから外の景色でも見てなよ…」
顔が少し赤く染まるまでお怒りになるとは…。やっぱり普通に、俺と話したくないだけだったんですね…。 べ、別に悲しくないし〜、泣いてなんかいないし〜。
美晴の考えを受け入れる優しいお兄さんこと俺は言われた通りに、窓から見える景色を眺めることにした。
あれ…?ハハッ、おかしいな…。景色が微かに滲んでるぞ…。目から汗が出ているのは、きっと電車の冷房が効いていないからだろう、夏は暑いのだ。
結局あの後、2人の間に会話はなかった。最寄りの駅から目的の駅までの長い時間の中で、会話らしい会話は俺の独り言を美晴が拾ってくれたあの場面だけだった。
炎天下の中、アスファルトから上がる熱気は風景を歪ませる。ハンカチで汗を拭うが、些細な抵抗にしか過ぎない。駅の売店で購入したスポーツドリンクは既に半分以上なくなっていた。
「学校にはまだつかないのか…」
「お兄ちゃん、喋らないでよ。お兄ちゃんが吐いた二酸化炭素で温暖化が促進されて暑さが増しちゃうでしょ。喋らないで…」
この美晴という女の子の特徴を先に述べておこう。学業優秀、品行方正、友達多数、運動はちょっと苦手で、吹奏楽部に所属する中学生。見た目は上の上でその可愛さは大気圏を軽く見下ろすほどだ。
だがこの世界に完璧な人間はいない。一見完璧に見えて欠点のない人間でも、必ず他人によく思われないような一面を持っている。その一面。新聞なら見出しなって大々的に報道されるであろう注目の一面は…。
イライラしていると態度が悪い、だ。この言い方には少しばかりの語弊があるかもしれないから付け足すと、少しばかり棘が出るのだ。能ある鷹は爪を隠すというがそれとは少し違う。能ある鷹でも石を当てられたら爪を見せる。つまりは感情が表に出やすいということだ。
これを果たして欠点と言っていいのかはわからない。感情が表に出やすいということは、嬉しい時はすごく喜ぶため印象はいいのだ。それにムカついたら怒る、これは生物としてはひどく単純な行いとも言える。
欠点がないが故に、常人では欠点でなはい些細なことが欠点に見えてしまう。そんな不憫な女の子がこの富永美晴という女の子だ。
だから…さっきの、毒舌も、その、彼女の欠点故の行いだと信じたい。単純に兄貴のことが嫌いじゃないのだと…信じたい。電車でのやりとりがまだ尾を引いてる秀吉君である。どちらかというと尾を引くというより、尾の近くで引っ付いているしつこい糞のようだ。
糞!勘違いしないでよね!秀吉君は美晴ちゃんに嫌われても全然傷つかないんだからね!!
「もうすぐつくよ〜」
「お、おぅ」
何回やっても男のツンデレには需要がない事実は動かない。自分の愚かな供給に気落ちしていたせいで、返事が暗くなってしまった…。
「あの…美晴さんや…」
「何?どうしたの?早く入ろうよ」
順調に進んでいたはずなのに足が止まってしまったのには理由があった。現在はドアの前。僅かに見えた教室の中の光景が今の俺の行動を決定付けさせた。
(中に…5人も人がいるじゃないか⁉︎しかも女子が4人で男子が1人とかどんなハーレムだよ⁉︎)
俺の予想では2人いればいい方だと思っていた。それが5人もいたのだ。これは予想外。
「人が…多すぎる…」
「ええ⁉︎ちょっと待ってよお兄ちゃん!たった5人だよ⁉︎これで多いとか何言ってんの⁉︎」
「もっと少ないと思ってたんだよ。あわよくば美晴と2人きりの作業すら視野に入っていた」
「そんなわけないでしょ!!2人も5人も変わらないよ!もう、早く行こ!」
「2人と5人は違う!!!!」
「ええーーー」
どこまでも妹に迷惑をかける人類悪の兄がここにいた。
「イメージしろ美晴。お前は今ミニスナックゴールドを食べようとしている…」
「こんな暑い日にあれ買ったら、家に着くまでに表面の砂糖ドロドロに溶けるよ…」
「ちがーう!!最後まで聞きなさい!さっき2人も5人も変わらないと言ったけどな…それをミニスナックゴールドに変えて考えてみるんだ。ミニスナックゴールド1つあたりのカロリーは556kcal、それを2つ食べるとなると1112kcalだ。だが!それが5つになったらどうなると思う⁉︎2780kcalだぞ⁉︎2780kcal!これは雲泥の差だ!!!」
「わかりやすいような…わかりにくいような…。とりあえず、お兄ちゃんはkcalを気にして食事をとっている男らしくない人だということはわかったよ…」
グサッ!!
俺の何かに妹の言葉が刺さった。刺さった先はきっと俺の薄いプライドだろう。
「美晴ーーやっと来たぁーー!遅いよー、教室の前で何してんの、早く入りなよ!」
「ごめん、こっちゃん…うちのおバカな兄貴がグダグダしてて…」
教室から出てきたのは元気いっぱいな女の子。外でもたついている俺たちを見て声をかけてきたようだ。短く切りそろえられた茶髪と豊かな表情が印象的な女の子だ。
それにしても元気だな…最近の中学生ってこんなに元気なの?
「この人が美晴のお兄さんかぁー」
舐めるように数秒見回した後、
「はじめまして!小野寺琴奈です!よろしくお願いしますねお兄さん!!」
「あ、どうも、美晴の兄の富永秀吉です。こちらこそ、よろしく」
唐突な挨拶だったが、そんなに悪い子ではなさそうだ。初対面の人にしっかり挨拶するあたり、しっかりと礼儀をわきまえていると見える。しかもこんな男にすら笑顔で挨拶とかかなり良い子なのではなかろうか。
「秀吉さんって言うんだー!太閤検地ー!!」
は、はははは、前言撤回。いきなり名前を弄ってくるとは…この子…なかなか失礼ではないか?だがここで折れるような俺じゃないぜ。
「はは…そうだよー秀吉だよー。君の上履きを温めちゃおうかなー、なーんて…」
「やめてくださいよー、今夏ですよー、蒸れるじゃないですかー」
おっと…秀吉ジョークを軽く粉砕。俺のジョークに対して普通に返してくるとか、最近の女子中学生のノリはいまいちわからん。もちろん昔のノリもわからないんだけどね!
「美晴のお兄さんって面白い人だね!話しやすそうだし、変な人じゃなくて良かったよー」
「そう…かな?今の会話だけでもかなり変な人だったと思うけど…」
少女は仲睦まじく教室へ入ろうとする。俺はこの後に待ち受けるであろう苦難から逃げるべく階段の方に足を向けたが、
「何してんの!もう逃げられないからね!!」
「……はい。」
駄目でした。美晴に制服の袖をぎゅっと握られてしまった。
ジョークの粉砕。自分でも思ってた以上にダメージがあった。もう帰りたい。きっとこれから中学生のノリに俺は弄ばれるのだろう。俺に残された選択肢は、ため息混じりに教室に入ることだけだった。




