普遍的と一般的
小説を読んでいると、ときどき自分と感覚が違う言葉遣いを目にすることがある。
自分だったらそういう風にはしないんだけどなあというやつだ。
今回は、「そうするべきでない」という理由を比較的正当化できそうな? 区別を一つだけ紹介することにする。
それは、ずばり「普遍的」と「一般的」の区別。
まあもちろん言葉にどういう意味を込めて使うかは人によるわけだけれど、それでも「ふつうに通用している意味」というのはあるかなと思う。
結論を先取りして言うと「普遍的」は例外を認めないのに対して「一般的」は例外を認めるという違いがある。「~は普遍的に~である」「~は一般的に~である」という言葉をそれぞれ言い換えると、「あまねく~は~である」「~はふつう~である」というくらい意味が違う。
だから「会社員は仕事をするのは普遍的だよ」と書かれると違和感があるし、「色はすべて一般的に空間的広がりを持つ」と書かれても謎が残る。後者の例はちょっとわかりにくいかもしれないので補足すると、「空間の中にない色」というのを想像しようとしても無理なので、例外がない。
いちおう辞典を参照しておこう。
たとえば広辞苑(第五版)を引いてみると、次のようにある。
普遍:あまねくゆきわたること、すべてのものに共通に存すること
一般:広く認められ成り立つこと、ごく当たり前であること
この二つは一見似ているようでいて、意味が全然違う。
「普遍」はすべてのものに共通に存するという帰結だけが断定的に主張されているのに対して、「一般」はある帰結が成立するための理由として「広く認められていること」が置かれている。
言い換えると、この二つの言葉は主張の強さが全然違っている。
「普遍」という言葉は使った瞬間に結論が断定される(もちろんその結論を再否定してもいいのだが)のに対して、「一般」という言葉は「こう思われているのでこうです」という明確な理由を示す。そしてこの理由はそれほど強固なものではないので(たとえば机を祭壇とか鈍器としてしか見ることができない部族とかを想定してみよう)、「一般」や「一般的」という言葉は例外を許容する、ということだ。
ご参考までに。
(ちなみに本稿は日本語としての意味合いを重視しており、これらの単語が訳語として対応するようなユニバースとかジェネラルの概念についていちいちたどることはしません。もちろん「普遍」という言葉の訳語的脈絡というのは考えるべきですが、大変なのでだれか中世マスターがお客様のなかにいらしたら教えてください)