小説家になろうでエッセイを書くこと
「エッセイ」を書こうとしたときに、はじめに思い浮かんだのはこのテーマだった。なんで「小説家になろう」で「エッセイ」を書くのか。エッセイって小説ではないのでは……? という疑問があった。お題目として小説家を目指す人たちの集まりであるとして、そこで「エッセイ」を書く意味ってなんなのか、ついつい気になってしまった。
そもそも「エッセイ」って何なのだろう? という疑問も浮かんできた。
そういうわけで、前回書いたエッセイでは「エッセイ」とは何なのかということについて、少し思うところを書いた。「エッセイ」とは、十分な論証ないし外延を提示しない主張として読まれうる、という結論に落ち着いた(つもり)。
でもこれだけだとまだ何も解決されていない。問いがこういう風に変わっただけだ。「小説家になろう」で(小説を書いたり見せたりするのではなく)何かを主張するってどういう意味をもつだろう?
この問いについて「小説家になろう」というサイトに登録するうえでのルール(破ってはいけない規約上のルールも、積極的に守ったほうがいい理念的なルールも両方含む)という切り口からなんか言えるかもしれない。そもそも「小説家になろう」に集まっているひとたちってどういうルールがあるんだろう?
規約上は「エッセイ」というカテゴリーが認められてるので(ある意味)どんなエッセイを書いても問題ないということになるから、そうすると理念的なルールのほうに訴えるのがよいかもしれない。では「小説家になろう」というサイトはどんな理念で運営されてることになるのだろう?
かなり極端な限定をしてみよう。小説家になろうというサイトは小説家を目指す人たちの意識の高い集まりであって、われわれは志高く果てしない小説家坂を上っていかなくてはいけないのかもしれない。そうすると、出版を目指してポイントを稼ぐべく切磋琢磨するもよし、ひたすら「執筆したら完結をさせるのだ、それが自分のためなのだ」という理念を抱いて努力するもよし。それらの努力は「小説家になる」という目標を目指しているかぎりで、サイトの理念上推奨されていることになるだろう。
このかなり厳しい限定のもとでも、小説執筆論みたいな「小説を書くのにあたって参考になるエッセイ」とかは許容されるのだと思う。小説を執筆するのに必要な情報交換をしていることになるからだ。
では、小説執筆論以外のエッセイはすべて理念上推奨されない、ということになるだろうか? たぶんそんなことはない。この主張はある点であまり説得力がないし、またある点であまり実効力がない。
説得力がないというのは、そもそも前提に採用した↑の限定がかなり極端なものだからだ。結論が間違っているというわけではないけれど、「小説家になろう」というサイトには小説家を目指して切磋琢磨している物書きだけがいるのではないし、さらにいえば、小説家を目指している読み手しかいないわけでもない。当たり前のことだけど、すべての読み手が小説家を目指しているわけではない。
実効力がないというのは、「小説執筆に役立つ」ということの内容が曖昧だからだ。小説執筆論が小説執筆に役立つ(であろう)のは間違いないが、それ以外のものが小説執筆に役立たない(であろう)というのはなかなか主張しずらい。言い換えると、どんな主題のエッセイでも創作の助けになりうる可能性がある。ヴァイオリンについて、戦車について、ガムテープの製造法やラテン語の文法について、ヘリコプターをバラバラにして食べる男の気持ちを想像したことについてでも、なんでも創作の助けになりうる。
だから、結論としてはたぶん「どんなエッセイを書いてもいい」ということになるのだろうと思う。当たり前の結論だけれど、まあ考えたことに意味があるということで、ご寛恕くださいますよう。