第二章 参
葉明は今日も変わらず、うたた寝している。
先日、訪れた川の辺がよほど気に入ったのか、わざわざ屋敷を出ては、午睡のために訪れていた。
昼寝程度なら仕方ないと、悠威も渋々外出を許可した格好となっている。
沙々と、名ばかりの護衛数人も一緒だが、特に気にするふうでもなく眠りこけている。
しかし、熟睡しているのかというと、そういうわけでもない。
話しかけると、返事はちゃんとあるのだ。
「ここに、未晶さんの服が流れていたっていうのに、よくもそんな暢気でいられるもんだな。ここ数日悠威の言いつけも破って、街で遊んでるし。あんたは一体何がしたいんだ?」
沙々は腹を立てている。
葉明のことを哀れだと感じているからこそ、憤っていた。
悠威に葉明は、利用されていた。そして、今虫けらのように、捨てられようとしている。
(何故もっと足掻こうとしない?)
すべてを打ち明けることが出来ない沙々は、葉明の行動に歯痒さを覚えるしかなかった。
(もう少し、コイツがまともだったなら?)
しかし、まともな人間だったら、悠威は叡台の息子とは認めなかっただろう。
「うーん」
寝返りをうった葉明が、ぱちりと大きな黒い瞳を開けた。
「でもさ、沙々。未晶の遺体が見付かったってわけでもないんだし、大騒ぎすることでもないと思うんだ。こうして、恋人と貴重な時間を過ごすというのも、大切なことで……」
「ふざけるな!」
「でも、沙々。やはり仲睦まじいところを見せ付けるというのも」
(白々しい)
「どうせ、何もかも悠威には、ばれてるんだ。今更、演技力を発揮したところで、どうにもならないだろ」
言ってから、沙々は、とんでもない発言だったと分かった。
内心慌てたものの、葉明は毛ほども気にしていない様子だった。
「つまんないなあ」
勝手に一人で残念がっている。
本当に未晶が可哀相だった。
「一体、あんたは何をしているんだ。今、大騒ぎしないでどうする。未晶さんは大切な友人なんだろ?」
「幼馴染みっていうやつかな」
「そういう大切な人の存在を、もう少し心配したらどうだ。毎日寝るか、街をふらふらするか、それだけじゃないか? それで良いのか、あんたは?」
「でも、僕がそんなふうに、デキた人間でも、本物の皇子だろうが、そうでなかろうが、沙々は僕を殺すんでしょう?」
「そ、それは……」
沙々は憮然としながら、うなずいた。
「仕方ないだろう」
「分かってるよ。君も大変なんでしょう」
物騒な会話を仕掛けたくせに、葉明は白い着物に草を付着させながら、うつぶせになって頬杖をついた。
「沙々には、故郷に友達がいたりするんだ?」
「そんなこと、聞いてどうするんだ?」
「いいじゃない。恋人の周辺関係は僕にとっても」
「いい加減に……」
殴りかかろうとした沙々の殺気に気付いた葉明は、咄嗟に言葉を変えた。
「ええっと、沙々ふうに言えば、冥土の土産っていうやつ? 駄目かな?」
葉明の物怖じしない真っ直ぐな視線に晒された沙々は、迷った挙句、話した。
「いない、よ。私はずっと両親と一緒だったんだ。他の奴らはうちら家族を相手にしてくれなくて、でも、両親だけは優しかった。父さんが仕事に出ている間は母さんが。母さんが仕事に出ている間は、父さんが……。ずっと一緒にいてくれた」
「そっか」
葉明は癖のない笑顔のまま、再びごろりと仰向けになる。
「僕もね。母さんがいたんだ。もう死んでしまったけど。女手一つで、懸命に僕を育ててくれた。僕には決して、仕事を手伝わせない人だったね。多分、僕が不器用だったから、手出しされるのも迷惑だったんだろうけど」
中天にある太陽が眩しいのか、葉明は目を細めた。春の陽気にとけそうな声が沙々の耳に届く。
「だからね。僕は暇で暇で、小さい頃は、こうして一日中空を眺めていたんだ。永遠に変わらない毎日が虚しくて仕方なかった。未来に何の希望も見出せなかったよ。でも、心の何処かでこのままで、終わりたくないとは思ってた」
「葉明……」
「でも、僕は今もこうして空ばかり見ている。それも、また楽しいっていうことに、僕は気付いてはいるんだよ。でも、そこに空があるのならさ、見ているだけじゃなくて、空の果てにだって行ってみたいでしょ」
葉明の近くで座り込んでいた沙々は目を見張った。
高い目線で、寝転んでいる葉明を見守っていた沙々は、葉明の顔つきがにわかに変化したことに、素早く気がついたのだ。
「……僕は空の果てに行きたいな。それが叶うのなら、精々とことん楽しんで、沢山の人を巻き込んで行こうと思ってるんだ」
「葉明」
沙々は驚いていた。悠威に畏怖を覚えた。
しかし、葉明には、圧倒的な存在感を感じる。
そこにいたら、無視をできないような、力がコイツにはあるような気がする。
心臓がどきりとした。
今まで愚者だと思っていた。
しかし、もしもそれがこの男の演技だとしたら?
もしもこの男がすべて分かった上で、芝居を演じているのなら……?
「葉明、私は……」
思わず、すべてを暴露してしまおうとした沙々だったが、
「…………なんて」
葉明はひょいと起き上がって、頭についている雑草を払った。
「ちょっと、格好良かったでしょう? 一度言ってみたかったんだよね。きざな言葉とかさ。女の子口説けないかなあとか思って」
「嘘……なのか」
「ちょっとした茶目っ気だよ。王様とかね。ははは。僕のような魚屋の倅には恐れ多いことでしょ。ほら、良いじゃない? ちょっと、浮世離れした男ってモテるっていうじゃない? 沙々も僕に惚れ直してくれるかなって。あれ?」
「ふざけるな。何が茶目っ気だ。あんたみたいな、ちゃらんぽらんなヤツがモテるわけないだろ。鏡を見ろ。くそっ。騙しやがって」
周囲の草をむしって、沙々は葉明に投げつける。葉明は子供のように、大笑いしながら言った。
「騙すって、あの程度のこと。沙々の方が怖いじゃない?」
「何?」
風の音に妨害されて、葉明の言葉が聞きとれなかった。沙々は聞き返そうとするが、
すぐに……、
「……殿下」
土手の上から、馬から下りた悠威の声が響いた。
「ああ、悠威じゃない? どうしたの」
小首を傾げる葉明は、あどけない。
つい先ほど、真率な言葉を口にした同一人物とは、思えなかった。
やはり、沙々の見間違いらしい。
この男は、所詮愚者なのだ。
「殿下。そろそろ国王側も動くようです。貴方がまだ王子だと名乗りをあげたことを知らない紫天の民もいます。そろそろ正式に皆の前で名乗りをあげる機会を設けるべきだと、私は思っているのですが……」
「思うっていうか、悠威がそう言う時は、決定事項なんでしょ。僕、やるよ。お披露目会」
「お披露目会?」
怪訝な表情の悠威は、葉明に従っていた護衛に自分の乗ってきた馬の手綱を持つように命じてから、こちらに大股でやって来た。
「貴方の存在を内外に知らしめます。貴方は民の前で所信を披瀝すれば良いのです。式の進行は、私の方で失礼ながら、勝手に勧めさせてもらいます。妨害されないよう、反抗勢力に邪魔をさせないためにも、急ではありますが、三日後に必ずやって頂きたい」
「三日!? 随分と性急だね。それでお客さん集まるの?」
「客ではなく、自分の僕とお考え下さい。命令であれば、民衆は集まります」
「命令だなんて。自由参加で良いんだけどな。みんな仕事が忙しいだろうし」
葉明は一瞬だけ曇った顔をしたが、すぐさま大きくうなずいた。
「分かった。難しいことは分からないけど、せっかく悠威が用意してくれたんだもの。とりあえず、僕の気持ちを語ってみるよ」
「私は、最高のお披露目会になるように全力を尽くしましょう」
悠威の言葉を額面通りに受け取った葉明は
「うん」
と威勢良く返事をしてから、立ち上がり、背伸びをした。
「何、話そうかなあ……。魚の話をしても、盛り上がらないだろうし」
空恐ろしい独り言を呟き、てくてくと歩いて行く葉明の猫背気味の背中を、沙々は無言で眺めていた。
悠威の鋭い眼光が沙々に向かっている。
(分かっているよ……)
それが沙々の残酷な晴れ舞台らしい。