第二章 弐
むっつりとした顔のまま、馬車に戻った沙々を、偉そうに脚を組む悠威が待ち構えていた。
「一応、ここでお前の口の動きを読ませてもらった。月夜だったのは幸いだったな」
そんな特技まで悠威が持っていたとは、驚きだった。
ならば、報告することもないだろうと黙っていると、珍しく悠威の方から話しかけてきた。
「何だ? 怒って突っかかって来るんじゃないのか? それとも情けなくて、どうにもならないか。お前は同胞を裏切ったんだからな」
この男は口を開いても、皮肉か、嫌味しか言えないらしい。
腹を立てながらも、沙々は向かい側に座る悠威を睨みつけた。
「協力はしている。お前の言う通り、葉明暗殺は私が引き継いだはずだ」
葉明は危険だということで、悠威の屋敷に残してきた。
沙々は悠威に監視される形で、仲間と接触を持ったことになる。
結局、沙々は悠威に従うしかなかったのだ。
告白しなければ、悠威の屋敷から単独で外に出ることは叶わなかった。
今宵、沙々が現れなかったら、あの男は沙々が裏切ったと、依頼主に報告するに違いない。
それはどうしても、避けたかった。
命が惜しかったわけではない。
葉明に悪いようにはしないと泣きつかれ、ほだされた結果でもあった。
沙々は、表向き任務を遂行しているが、裏では葉明側についてしまったことになる。
しかし、心根は割り切れていない。
もしも、すべてが露見したら、沙々の両親は殺される。
依頼主に沙々の裏切りがばれていないのなら、今から葉明を殺しても決して遅くはないはずだ。
「今、会った私の仲間を殺したら、許さないからな」
「それが脅し文句か。アイツは立派な人殺しだぞ。今日葉明と立ち寄った河川から、未晶という男が着ていた服の切れ端が発見された。おそらく、未晶とかいう男は……」
「嘘だ。だって、アイツはすぐに退散したって……」
感情を抑制できないまま、喚いていたら、涙ぐんできて、沙々は膝を抱えた。
「お前、本当刺客に向いてないな。まったく何で国王勢力もこんなヤツを刺客に寄越したんだか……」
「うるさいな。私だって好き好んでやってるわけじゃない」
頭の中がどうしようもなく混乱する。
剣術の修練とか、短剣の扱い方とか、実技的なことは一通りこなしていた沙々だったが、精神的な面はまだまっさらな子供のままだ。
おそらく、こんなにも早く実戦に駆り出されるとは、両親も思っていなかったのではないだろうか。
まったく、どうしようもない。
自分が情けないというのは、事実だった。
落ち込んで肩を落としつつ、洞察力がまったく働かない沙々は面と向かって訊くことしか出来なかった。
「あんた、葉明を利用しているのか?」
「随分と愚直な質問だな」
悠威は鼻をならした。精悍な顔を淡い月明かりが浮き彫りにする。
初めて、この男の本性を見たようで沙々は体を小さくする。
酷薄な微笑だった。
「お前、あれが前国王の息子に見えるのか?」
「えっ?」
沙々は声を張り上げた。
「だって、あんたが葉明を連れて来たんだろ!?」
「騒ぐな」
ぴしゃりと沙々を止めた悠威は周囲を憚っている様子はない。馬車は揺れている。
手綱を握る御者にまで、沙々の声は届いていないようだった。
「あんなの方便だ。俺はアイツが由緒正しい血統だなんて思ってない。たまたま、叡台の息子を騙る男がいるという評判を聞いて、出向いてみたら、見事に私の思惑に沿ってくれそうな愚者だったからこそ、勧誘しただけだ」
「アイツが愚者だから……、前国王の息子だと認めた……のか?」
沙々もまた、葉明が本物の皇子のようには見えなかったが、それでも、葉明は街の人から、好かれていた。
ならば、沙々は葉明が何者であっても構わないと考え始めていたのだ。
…………しかし、悠威は違っていたらしい。
「私が欲しかったのは、御輿だよ。我が領地において旗印のようなものが欲しかっただけだ。現国王は能力がないと広く伝わっている。世情が不安定なのは、王都近くにいるお前でも感じていることだろう?」
悠威は葉明のことなど、本当にどうでも良いのだろう。
この男が見ているのは、広大な瓏国だ。沙々だって、分かっている。
都は退廃的な空気が流れている。
ただでさえ、前国王が武力投資したツケが回ってきているのに、日照りが続いて、農作物は不作だった。
金に困って、出稼ぎにやってきた農民が都中に溢れているのに、肝心の売り物がない商人は農民に与える仕事がない。
結局、行き場を失った農民は、道端に溢れていた。
このままでは、この国はおしまいだと、誰もが感じていることなのではないだろうか。
「国王は、それが分かっていないんだろう。特に手を打つわけでもなく、国民に同情の言葉を寄せるだけだ。言葉だけなら、誰にだって言える。一石を投じなければ分からないんだ。都の景気の悪さを、ここにまで持ち込まれるのはゴメンだからな」
「お前は、次の国王になるつもりなのか?」
「そんな、つまらんことをしてどうする」
悠威の早い切り返しに、沙々は戸惑った。
「大きなものを望もうなんて、思っていない。私が求めているのは現状維持だ。国王が、この国で唯一潤っている我が領地に、無理難題を押し付けてくるのは、目に見えていたからな。ここに皇子がいるとなれば、対応に困って、暫時の足止めにもなるし、対等であることを、国内外にも見せ付けることができる」
「そんな作戦……、通用するものか。滅ぼされるのがオチだ」
沙々は苛々しながら、腕を組む。しかし、悠威は、
「それだな」
低く呟いた。
「つまり、それさ。小娘。このまま、皇子の片棒を担いでいたら、国王の軍勢に、紫天は滅ぼされるだろう。しかし、ここらで離脱しておけば、紫天は存在感を主張して幕引きが出来る」
まるで、遊戯を楽しむ子供のように、淡白な言葉だった。
「……悠威、いや領主。あんたが私にそれを打ち明けたのは、理由があるっていうことなのか?」
恐怖に体を震わせながらも、沙々はうつむいていた顔を上げた。
優雅に頬杖をつく悠威の銀色の髪が厳かに揺れていた。
その言葉を待っていたような微笑。青い瞳が眇められた。
「とりあえず、肩書きを与えても、あれこれ勝手に動かないような愚かな男であったのなら、それで良かったんだ。しかし、そろそろ用済みだ。お前を泳がせていたのは、それもある。……殺せばいいさ。しかし、アイツが国王の息子として華々しく散らなければ、私の努力は無駄になるだろう。近々、都合の良い日を、お前に教える。それまでは手を出すな。いいな?」
「でも、私は葉明暗殺を依頼されているんだ。そんなに堂々と討ったら、依頼主が……」
「逆手にとれよ。小娘。殺害方法の指示がなかったら、こうしてダラダラと葉明の後についてたんだろう? お前の仕事は葉明を殺すこと。それを果たせば、自由の身になれる。お前は私の指示に従えば良いんだ」
(コイツ、最低だ)
大人なんて、みな薄汚いものだが、聖人君子面している上位貴族は、普段本性を隠しているだけに、もっと汚い。
沙々は膝の上の拳を強く握りしめた。
葉明が与えてくれた紫の着物が皺になってしまった。