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愚者の野望  作者: 森戸玲有
第一章 愚者との出会い
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第一章 肆

『沙々、今回はお前がいくことになってしまった』


 そう沙々の前で頭を下げたのは、父親だった。

 都の端に、隠れるように居を構え、沙々と両親はひっそりと暮らしていた。

 沙々は、町の外の人間と話したことなど、ほとんどなかった。

 祖父の代に、奴隷として瓏の国に連れてこられた一族は、いろんな貴族から、卑しい仕事を与えられていた。

 それが、周囲の社会から隔絶されるようになった経緯なのだろうが、沙々は十四を過ぎるくらいまで、その理由をよく知らなかった。

 剣術の訓練などは、両親にやらされていたが、何のためかなんて、考えたこともなかった。


 だから、暗殺業をしていると聞かされた時は、その禍々しさに吐き気すら覚えたものだ。


 しかし、沙々のために、愚痴も言わず、一切の仕事をこなしてきた両親に向かって、罵声を浴びせることは出来なかった。

 沙々に長い間、両親が事情を話さなかったのは、出来れば、娘にはこんな仕事をさせたくないと、思っていたからだろう。


  仕方なかった。

 沙々は依頼主に、従うしかなかった。

 たった一人で、寒々しい冬の王都を後にして、葉明暗殺に向かった。


 両親は、沙々が暗殺に失敗したら命がないと、直々に依頼主から言われらしい。

 それは依頼ではない、「脅し」だ。

 けれども、誰かが人質になることがこの仕事の……沙々の家の代々の定めだと知った時、今まで沙々はずっと自分が人質として、暮らしていたことに気がついたのだ。


 それから、たった一人の旅が始まった。

 気が遠くなるほどの時間と労力を費やして、やっと紫天領(しんてりょう)にたどり着いたのだ。


 紫天領は、もう春の盛りを迎えていた。

 両親のいる都にも、遅い春が来る頃だ。


 早く、家に帰りたい。

 その一心で、沙々は葉明を捜していた。


 もしも、葉明に出会ったのなら。

 目的は、すぐに達せられるはずだったのだ。


「まさか、こんなことになるなんて……」


 紫天領の主都、紫天は喧騒の只中にあった。

 沙々にとって初めて目にする異郷の地は、都よりも活気に満ちているようだった。

 葉明は、沙々を連れ回している。

 考えてもみれば、不自然だった。

 前国王の息子の名乗りをあげた男が街中をぶらぶらして、金を要求されているだけでも、有り得ない状況だったのだ。

 葉明は、放浪癖を会得した男だった。

 別名「暇」ともいう。

 多分、葉明にも仕事はあるのだろうが、悠威の英断で、客人は彼に取り次がないようになっているらしい。

 それがかえって、葉明は、位の高い皇子だという評判を、領地外に広めているようだった。


(嘘だろう?)


 そんな馬鹿な話があるわけがない。

 しかし、葉明の一日は、単純なもので、屋敷をぶらぶらしているか、寝ているか、食べているか、そのどれかでしかなかった。

 しかも、それを悠威は黙認しているというより、勧めている節がある。


(何が出世だ)


 聞いて呆れる。これでは単なる無職の道楽だ。たとえ、前国王の血筋だったとしても、こんな男では今の国民は納得してはくれないだろう。

 ならば、沙々が葉明を殺したところで、何の意味もないではないか。

 沙々に葉明暗殺を依頼してきたのは、白髪頭の老人だった。

 もしも、その依頼主が現国王側の人間ならば、真の国王の敵は、葉明より、悠威だろう。

 切れ者の悠威を、沙々が抹殺すれば、その方が依頼主にとって良いのではないだろうか。


 沙々は、ごくりと喉を鳴らしつつ、隣を見た。

 沙々の目の高さでは、悠威の脇くらいにしか届かない。しかし、悠威は沙々の視線に気がついていた。


「何だ? 小娘?」


 葉明に声が届かないと察すると、すぐさまこの態度だ。


「いや、別に」


 沙々は知らないふりで、顔をそむける。

 武器を持っていなかった。

 悠威を相手にするには、素手では敵わないだろう。


(まったく、ややこしいことになってしまった)


 悠威は、本当にぬかりない。

 初日に葉明に撒かれて、馬小屋に逃げられたのがよほど、悔しかったのだろう。

 さりげなく葉明に外出を禁じ、常に、数名の護衛をつけた。

 しかし、葉明が沙々と二人で気楽に外出したいと我儘を言うと、今度は、自ら葉明についてきた。


(……どうしてこんなことになってしまっているんだろう?)


 今、沙々は、悠威と葉明の間に挟まれる格好となってしまっている。

 滅多にない、領主を従えた視察と称した葉明の遊びに、街の人達は大いに盛り上がった。

 これでは、暗殺どころの騒ぎではない。

 歩くごとに、人が集まって来て、沙々の方が圧死してしまいそうだった。


「おおっ、葉明だぜ」

「葉明が領主を連れていやがる」

「一体、どういうことだ」


 街の人は、気さくに葉明の背中を叩いたり、頭を殴ったりする。

 好かれているのか、馬鹿にされているのか分からない。

 悠威は、葉明に無礼な態度をする人間を諌めるが、結局のところ、本人がのほほんとしているのだから、何の意味もない。

 しかも、街の人たちは、葉明の顔を知っていても、皇子だと名乗っていることを、知らないらしかった。

 どうも、葉明が皇子の名乗りを挙げたのは、最近のことのようなのだ。


「おおっ。魚売りの倅じゃないか!」


 そんなふうに、呼ぶ人の姿を度々沙々は見た。

 葉明の母は亡くなったらしいが、魚の行商をしていた葉明の母の記憶が強いようで、葉明の存在は、国王の息子というより、芳家の子供というのが、街の人の共通認識のようだった。

 長くこの地で、市井の人間として生きていた葉明は、あくまでも、阿呆の葉明なのだ。


「二人共、つまらないなあ。何むっとしているの」

「……疲れているんですよ」


 もみくしゃになって、すっかり乱れてしまった悠威の銀髪は虚しかった。

 しかし、それは沙々にも言えていて、一つに束ねていた茶髪は、もはや原形を留めていない。


「一体、何処を目指しているんだ?」


 ぐったりして、尋ねる。

 葉明に対しての敬語は、恋人という設定上いらないのだと、葉明が主張したので、沙々はぞんざいな言葉づかいのままだ。

 悠威が例によって、片眉を吊り上げたが、上機嫌の葉明は、その様子に気づいていないのか、鼻歌交じりに答えた。


「おススメの店があるんだよ。あそこで売ってる、干し芋はおいしくてね」

「芋……とは?」


 悠威は半分怒声になったのを恥じたのか、冷静を取り戻そうと、咳払いをした。


「しかし、葉明……殿下。下賤の者が口にされるものを、貴方が口にするべきではありません。下の者に示しがつかないでしょう」

「何言ってるの。悠威だって知ってるでしょ。僕、元々魚屋じゃない?」

「しかし」

「楽しそうだな。葉明」


 葉明をあくまで屋敷に帰そうとする悠威を振り払うように、間に入った沙々は大声で話題を変えた。

 葉明を暗殺するのは、屋外でなければ無理なのだ。屋敷内にいたら沙々が逃げられなくなってしまう。

 その意図に、多分まったく気付いてもいないのだろうが、葉明は無邪気に話に乗ってきた。


「うん。そりゃあね。一人で食べるより、誰かと一緒の方が楽しいでしょう。それにね、彼は僕の友達なんだ」

「友達って?」

「僕さあ、親類もいないからね。やっぱり友達に恋人を紹介するっていうのは、大切なことでなんじゃないかなって、あっ、もしかして、沙々、照れてるの?」


(何処まで、この男は本気なんだろう?)


 芋を売っている葉明の友人が何者なのか、沙々は知りたくもない。

 だいたい、悠威の屋敷の馬ですら友達だと言い張ってしまえる男だ。その友達が人間であるかどうかも疑わしいではないか。


 ーーそれに。

 何が悲しくて友人に自分を殺そうとしている暗殺者を引き合わせなければならないのか。


(もしや、私に対する心理攻撃か?)


 まさか……と焦った。

 しかし、すぐに、この男にそんな芸当が出来るはずがないと悟った。

 葉明が口ずさむ陽気な鼻歌は音程がずれている。こんな奴に考えがあるとは思えない。

 何度か道を間違えて、やっと確信を持ったらしい葉明は、はしゃぎながら、大通りから入り組んだ路地に入っていく。

 沙々も紫天領に着いてからずっと葉明を尾行していたが、こんな場所に来たことはなかった。

 細い通りは薄暗かったが、先日の裏通りとは違って、開けている。人通りも多い。大通りから溢れた商人たちが筵の上で、商品を売っていた。

 通りの突き当たりまで、差し掛かった頃、色とりどりの野菜を筵に並べている、薄茶色の着物を着た男がこちらに視線を傾けた。


「おやっ、殿下じゃないですか!?」


 葉明が近づくにつれて、喜色満面になった男は大きく手を振って、葉明を(いざな)った。

 ゆったりとした歩き方を崩そうとしない葉明だが、声だけを先に男のもとへと送る。


「やあ、未晶(みしょう)! ちょっとだけ、久しぶり。景気はどうー?」

「今日は、さっぱりですねえ」


 未晶と呼ばれた男は、顔つきからして、葉明よりは、年上なのだろうが、あくまで低姿勢で、言葉遣いも丁寧だった。


(この男が葉明の友達?)


「初めて会った。あんたを前にして丁寧語で喋る街の人」


 沙々は唖然としながら言った。


「私も、初めてお会いする御仁(ごじん)だな」


 悠威も目を丸くしている。自分に知らない葉明の知人がいたことに驚いたのか、その物腰に驚いたのか……。

 もしかしたら、すべてに驚いているのかもしれなかった。


「ああ、そうなんだよね。その言葉遣いはやめなさいって、言ってるんだけど、未晶はやめてくれないんだ」

「だって、殿下は殿下じゃないですか。失礼は出来ません」


 剛勇な悠威と違って、未晶は繊細な感じがした。

 葉明も華奢であったが、未晶も似たような体格だ。

 男としては小柄で、身長は沙々よりも少し高いくらいだ。

 その辺が背の高い葉明とは違うらしい。襟元までの赤髪が陽光に照らされて、真紅になっていた。

 未晶はにっこりと笑って葉明の紹介に従い、悠威に、そして沙々にも頭を下げた。


 未晶という男……。

 悠威が領主と知っても、まったく対応に変化が見られなかった。


(でも、まあ)


 確かに、葉明が本物の皇子であったのなら、悠威よりも格上となるのだろうが……。


「殿下が女性を、お連れになるとは珍しいですね」


 考えていると、細い瞳を弓のように細めた未晶が沙々を覗き込んでいた。


「でしょ。未晶。紹介するよ。僕の恋人の沙々っていうんだ」


 沙々はにやけながら肩に手を回そうとする葉明を小突いて、未晶に軽く会釈をした。


「可愛い人ですね」


 未晶は真顔でそんなことを言う。

 お世辞とも思えないので、沙々は硬直してしまった。両親以外で真面目に沙々を可愛いと言ってくれた人は初めてだった。

 本当に気まずかった。

 そんな人の友達を、沙々は殺そうとしているのだ。


「貴方はコイツ……、いや、殿下と知り合いなのか?」

「ええ。古くから良くして頂いていますよ。殿下が魚の行商していた頃から、仲良くさせて頂いています」

「そんな昔から? で、でも、昔はこの男が叡台王の御子だなんて思ってなかったんだろ?」

「この男?」


 途端に眉根を寄せた未晶は、温厚な顔が一変していた。

 薄っすらと白い顔に、怒気を孕んでいる。

 恐怖を感じた沙々は、一歩退いたところを、悠威に軽く叩かれた。


「すいません。殿下のこととなると、つい」

「はあ」


 笑顔を取り戻した未晶と、暢気に筵の上の野菜を手に取っている葉明とを、沙々は見比べる。


(葉明って、それほどの男なのだろうか?)


「殿下は私の憧れなんですよ」

「……へ?」


 沙々は耳を疑った。それは、悠威も同じだったらしい。明らかに驚いている。

 一体どういうことなのか、気になった沙々が、更に、聞き返そうとした途端、未晶と沙々の間に、黒い頭が割って入った。


「ねえ? 未晶。干し芋ある?」

「…………葉明」


 一気に座がしらけた。


「はい、ただいま」


 未晶だけが、柔和な面持ちで、忙しなく働いていた。


「特製の芋です。どうぞ」


 裏に置いていた、行商用の鞄の中から持ってきたものは、砂糖を塗して乾燥させた平べったい芋だった。


「うまい……」


 満足そうに何度もうなずく葉明は、沙々と、悠威にも勧めた。

 沙々は仕方なく、未晶が差し出している干し芋を手に取った。


 ーーが、その瞬間。


 沙々は、手に持った芋を地面に落としてしまった。


 …………なんだ。この?


「あー、勿体ないな、沙々。そうか。ここは恋人の僕が、芋を冷まして君の口まで運ばなければいけなかったんだね!」


 軽口なのか、懸命な演技のつもりなのか。

 葉明はあくまで呑気だった。


 今は、それどころじゃないのに……。


(命が危ない)


 沙々は、殺気を感じていた。

 誰かがこちらを狙っている……らしい。


(私も諸共にやるつもりか?)


 ……ということは、沙々とは別の指示系統からの依頼だろうか。

 あの白髪の老人は、今回は沙々以外暗殺者は雇っていないと言っていた。


(それも嘘かもしれないけど……)


 そうして、沙々は初めて会った日に、葉明に尋ねられた質問を思い出した。


 ――本当に一人でここまで来たの?


 考えてみれば、不自然だった。


(ああ、そうだよな)


 依頼者の老人は何も言ってはいなかったが、暗殺には通常見届け人がいるはずだ。

 一人で行なう暗殺など危険極まりないし、まだ人を殺めたこともない沙々を、依頼人が信頼しているはずがなかった。


(……ということは、やっぱり、あの依頼主の老人(ジイサン)が嘘を?)


 急に表情を一変させた沙々を気にして、


「おーい」


 ……と、葉明は手を振ってきた。


 考え中の沙々にとっては迷惑千万な行為を止めたのは、未晶だった。


「殿下」


 急に声音を落とし、神妙な面持ちで葉明に言う。


「狙われているようです」


 未晶も気付いていたらしい。沙々は横を向いた。


「へえ。本当に?」


 強張った葉明の顔と、悠威の怒りの形相が沙々に集まった。

 やはり、悠威は知っていて、沙々を泳がせていたのか。

 疑われて当然なのは、重々承知しているが……。 


「私ではない。私に仲間はいない」


 言下に否定する沙々に、腕組みした葉明は深く頷いた。


「……だよねえ」

「私がそいつに会いに行く。あんた達は……」


 既に体を動かしつつある沙々の肩を、未晶が掴んだ。掴まれると、意外なほどに力がある。


「ここは、私におまかせ下さい。殿下と、領主さま、沙々さんはお逃げ下さい」

「何を言っているんだ、あんた。私は」

「とにかく。ここは、私が。さあ、早く、殿下たちはお逃げください」

「ちょっ!」


 ちょっと、待て。敵は沙々の方なのだ。

 ……それに、未晶は強いのか、弱いのか。


 自信がなければ、戦いを買って出るような真似はしないだろうが、相手は街のごろつきとは違う。

 あやふやなまま、押し付けたら、未晶が返り討ちに遭ってしまう。

 しかし、葉明は沙々の手をとって、走り始めていた。


「お、お待ちください。殿下!」


 命令口調の悠威が後に続く。

 背後では、葉明を狙って繰り出された短剣を、未晶が売り物の野菜で防いでいた。

 玄人の放つ刃を、そんな手で破る男がいるとは……。


 走りながら、その様を目撃して、唖然としている沙々に、葉明は誇らしげに告げた。


「未晶はあれで、結構強いんだよ。僕なんて、小さい頃、苛められたところを助けてもらったんだから」

「ばかな! 危険の度合いが違うだろ!」


 沙々の怒声と、悠威の深い嘆息は、大通りの人ごみの中に綺麗にかき消された。


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