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愚者の野望  作者: 森戸玲有
第五章 愚者の本領
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第五章 弐


 歴代の国王に、法斉は仕えてきた。

 叡台が崩御し、法斉の同僚達も立て続けに鬼籍に入ったが、耄碌したとはいえ、法斉の過去の記憶がなくなるわけでもなかった。

 確かに、葉明の黒目と黒髪は、叡台と同じだ。だが、目鼻立ちや、顔つきは似ても似つかない。

 叡台は浅黒い肌の色に、彫りの深い顔をしている体格も大柄で勇ましい男らしい人間だった。

 しかし、葉明は中性的で、色も生白く、撫で肩に、どこか頼りない印象だ。

 男子は母親に似るというものだが、ここまで面影がないのでは、偽者と認めざるを得ない。

 大体、すべての遠征に同行したことはない法斉だが、叡台が遠征先で、女性を孕ませたなどという話は、耳にしたことがない。

 法斉は、それを最初の段階から気づいていた。

 だからこそ、葉明に「殿下」とつけて呼ばなかった。

 そこに勝機を見て、葉明を試していたのだ。


(残念な話だが。違うものは違う)


 おかしなことに、法斉は少し落胆していた。


(大器はある)


 そう感じたのだ。

 正直、葉明が何処まで意図して、話しているのか分からない面もあるが、人の持つ得体の知れない部分が魅力だというならば、葉明には、何かを人に期待させる大きな器があった。

 その器があって欲しいと、祈り続けながら法斉が仕えている光逸とは違う。


(殺すには惜しいが、殺さなければ、こちらも危ういかもしれんなあ……)


 そんなことを、自問していた法斉は、ふと葉明が微笑していることに気がついて、驚いた。


「僕は、叡台の息子だよ」


 葉明は、確信に満ちた声で告げる。


「しかしな」


 法斉は宥めるように、声をかけた。

葉明を引きずり出してきた紫天領主が否定しないということは、法斉の考えが間違っていないことを示す証拠ではないか。


「も、申し上げます!」

「お待ちなさい。今は……」


 莉央が侵入してきた家臣に詰め寄って行った。


「しかし、緊急事態で」

「何事かの?」


 法斉が振り向いた矢先に、

「いててててっ!」

 報告していた家臣は、少女によって腕を縛り上げられていた。


「手勢は、これでおしまいか?」


 甲高い、幼さの残る声だった。


「おやおや、まあ」


 葉明が両手を広げて、満面の微笑を浮かべた。


「凄いところに来たもんだねえ。沙々」

「こ、小娘!?」


 悠威が叫んだ。

 そして、法斉も速やかに思い出した。

 零れ落ちそうな琥珀色の瞳に、桃色の唇。

長い茶髪を一つに束ねた少女は、法斉が会った夜と同じ、動きやすい男物の袴を着ている。


「衛兵はことごとく、この小娘に!」


 悔しそうに報告を続ける兵士を、娘は法斉のもとに突き飛ばした。


「確か、沙々とか言ったか……」

「お前も生きているとは思っていたが……。しかし、なぜこんな所にやって来た?」


 悠威が幽霊でも見るような目で、呻いた。


(一体、何故ここに姿を現したのか?)


 それは、法斉も同じ気持ちだった。

 命が助かったのなら、何処となりと消えれば良い。

 死んだものと、処理していた法斉は、人質扱いをしていた彼女の両親のことすら、忘れていた。

今更、沙々を捜そうなんて気は、これっぽっちもなかったのだ。


(わざわざ危険な思いをしなくても良いではないか?)


 法斉を無視して、ずかずかと足音を響かせながらやって来た沙々は、葉明の前に差し掛かると、ぶっきらぼうに、でんと右手を差し出した。


「何が「おやおや」だ。こっちがここまで来るのにどれだけ苦労したと思ってるんだ!」


 八つ当たりに等しいが、沙々は本当に疲れているのだろう。

顔には掠り傷の後が生々しく、左手の甲には包帯が巻かれていた。

 彼女が苦労して、ここまでやって来たことは、法斉にも手に取るように分かった。


「こんな大切なもの、私に渡すなよな」


 沙々は有無をも言わさない勢いで、葉明の片手を押し開き、その手のひらに、銀色の指輪を置いた。

 中央には桃色に光るものがある。


「……もしや、あの桃華(とうか)石?」


 莉央の方が詳しいのか、目を点にしている。

 悠威は口の中で、単語を転がしていた。

 その指輪の由来について知らないのだろう。


「桃華石といえば、王族しか身につけることが許されない稀少な石。よほどのことがない限り、庶民が所有することは出来ないのだが」


 法斉は長い白髭を撫でた。

 指輪が本物であるのかが、気になるわけではなかった。


(葉明は偽物だ。それは決定している)


 しかし、葉明の意図が分からなかった。


「ああ、だけど、これ君にあげるって言ったじゃない?」

「何を言ってるんだ? これはあんたが先代の国王の息子だっていう証拠だろ!

 それを、自分にはいらないものだなんて、よく言えたもんだな。こんな高価なものを押し付けて行って、由来を知ったら誰だって、恐れ多いって思うぞ」

「でも、いらないし」

「……いらない?」


 莉央が沙々よりも先に愕然と呟いた。

 そのわけは?


(なるほどな……)


 法斉は葉明の考えをようやく解釈することが出来た。

 それを裏付けるように、葉明は法斉に聞こえるように、わざらしく大きな声で答えた。


「そんな指輪の力を借りなくても、僕が僕であることには、変わりはないからね」

「だって、あんたは叡台の息子だって」

「そんなの父親を越えてしまえば、僕はただの葉明じゃない。ねえ、法斉さん?」


 真っ直ぐ向けられた瞳は、法斉が今まで出会ったことのない不敵な煌めきを秘めていた。


 一瞬で、

「馬鹿、葉明!」

 と、沙々に殴られて、早々に葉明は机上に伏してしまったが、法斉は得心することが出来た。


(そうじゃな)


 その通りなのかもしれない……と。


 葉明が皇子であるかないかなど、関係ない。

 所詮、叡台という存在は、葉明が世に出るための踏み台に過ぎないのだ。

 皇子だから殺すとか、殺さないとか、そういう所の話ではないのだ。

 法斉が指摘したことも、小さな問題だ。


 葉明にとっては、とっくの昔に克服してしまったことなのだろう。


 ――だから。

 たとえ、皇子でないにしても、この男は法斉の前に立ち塞がったに違いない。


(この男には、武器がある)


 刺客だった少女の心を、溶かし、こんな危地にまで、追いかけさせたくなるようなものを持っている。

 それは、あるいは、この男の中での賭けだったのかもしれない。

 葉明の中でも沙々の存在は、不確定要素だったのだろう。

 しかし、葉明はそれをこなした。


(それが、すべての答えなのだろう)


 あの時…………

 何をしたら、葉明を脅威と感じるのか?

 疑問をぶつけてきた光逸に対する法斉の答えはこれだった。


(これを……)


 光逸に答えて欲しかったのだ。


「末恐ろしい男よ」


 法斉は呟いた。何だか毒気が抜かれてしまったような気がした。

 元々、望んでいた戦いでもないのだ。


「……葉明さま。貴方とて、こんな形で、宿願を叶えるおつもりはあるまい?」

「あっ。貴方は!?」


 ようやく、法斉の正体に気付いた沙々が叫んだ。その口を葉明が手で塞ぐ。


「若い人たちは血気盛んだからね。適度に合わせてあげることも必要だけど、そろそろ気が済んだんじゃないかな」

「ふむ」


 法斉は、首肯しながら、ここにきてようやく自分の本心を語った。


「では、折衷案といきましょうかな」

「法斉さま!?」


 莉央が顔色を変えたが、法斉は構わなかった。


「宋禮領主、あの石は何じゃの?」

「一見、桃華石のようにも見えますが」

「桃華石は王族の石じゃ。それを葉明さまが持っているということの意味は何じゃろうな?」

「……しかし、それは何かの間違いで、法斉さまだって、偽者だとおっしゃったではありませんか?」

「そんな話、したかの?」

「法斉さま!」


 莉央は、よほど葉明を認めたくないのだろう。頑なに反駁の言葉を探している。


「どちらにしても、宋禮領主。この娘がここにやって来たということは、葉明さまの手勢が近くまで来ているということなんじゃ。想定内なのか、想定外だったのかは分かるまいがの。だが、葉明さまが合図したら陛下の身は危ういかもしれぬ」

「そんな……」

「葉明さま」


 沙々と悠威に囲まれて、ぼうっと立っている猫背の男に法斉は近づいて行く。

 利き手を差しだした。

 外にいるだろう。葉明の仲間が分かるように…………。


「これで良いのかな? 法斉さまは」


 黒い瞳はいまだ挑戦的な色を宿していたが……、


「良いも悪いも、陛下は、貴方が死んだという話が出たからこそ、挙兵したのです。貴方が生きていると知った時点で、恐れをなして、王都に帰ろうとするのは明白でしょうな」

「そう」

「貴方だって、それが分かっていたからこそ、自分が生存している情報が陛下の耳に入る前に、早々に紫天領を出立したんではないですかな?」

「……考えすぎだよ」


 葉明は指の長い大きいが繊細な手で、力強く法斉の手を握り返してきた。


「まあ、いいでしょう。しかし、次はありませんがな」


 葉明の勢いに負けじと、法斉は不敵に微笑した。

 一応、釘はさしておいたつもりだ。効力は期待できないだろうが……。


「何はともあれ、此度の遠征の大きな目的は、各領地の視察じゃ。その目的のために、貴方がたに、力添えを頂きたいのだがの……」


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