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愚者の野望  作者: 森戸玲有
第四章 愚者の戦争
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第四章 漆

「勝負というのは勝たなければ、意味のないものですよ。葉明さま、儂は長年歴代の国王のお側に仕えて、それを悟ったのです。君子は、負ける戦はしないものです」

「なるほど」


 葉明は箸をおいて、空になった皿を重ねた。

 ふうっと一息ついて、片手で頬杖をついてから、呟く。


「さすが策士。企んでいるんだね?」

「ええ、まあ。年の功ほどに、儂も悪知恵は働きます」


 法斉は腰を叩きながら立ち上がると、机上の中心で点っている、一際眩しい蝋燭を、透明な燭台ごと手に持った。

 彼の深く刻まれた皺を引き立たせるように、灯がゆらゆらと揺れている。

 そして、法斉は背後の四角い小窓に目を遣った。


「外に向けて、この燭台の灯を、儂がちょっと振れば、それだけで、瞬く間に、宋禮近くに陣を張っている貴方たちの軍勢のもとに、我らが軍は、攻め込むでしょう。陛下は今、儂の判断を、今か今かと、お待ちになられているわけですからな」

「ま、まさか。そんなはずがない。ここから、国王軍の陣営は離れているはずだ。視界にはまったく見えなかった。その程度の灯で?」


   ――いや、もしや?


「法斉さまの意思を外で確認した下僕が何らかの手段で、次の下僕に合図をし、突入を待つ陣営まで引き繋いでいけば……」


 法斉は燭台を悠威の方に傾けて、色素の薄い口元を綻ばせた。


「左様、紫天領主、大方、貴方の言うとおりですな」

「しかし、我が軍がこの暗闇の中何処にいるかなど、分かるはずも。まさか、元魄が!?」


 悠威はとうとう立ち上がって、扉の外にいるだろう元魄を睥睨したが、法斉は鳥が鳴くような声で笑った。


「元魄は、儂に一言も教えてなどおらん。……が、まあ、地の利は(わし)にある。何度かこの地に遠征に来ている儂じゃ。大体、陣を張るなら、どの位置が良いかくらい、頭に入っておる」


(降伏だ……)


 悠威は青ざめた。

 どうやら、無条件降伏しかないらしい。

 ここ最近、命の危機を迫られる事態を経験していたが、今回は確実のようだった。

 葉明が言ったとおり、法斉の口振りからして、光逸は、紫天領に並々ならぬ敵意を抱いているようだ。

 降伏したとしても、悠威は無傷というわけにはいかない。


「死」が待っている。


 牢獄の中に終生入れられることも、悠威にとって、精神的な「死」を意味する。

 逃げ道がなかった。

 徹底抗戦という手もあるが、三倍の兵力があると、法斉から聞いて、意気はすっかり消沈した。 


 それでも、戦うのか?


(一戦交えて、死んだ方がマシなのか?)


 …………内政は得意だった。

 金勘定も、都市の整備も、悠威はむしろ好きな方だった。

 領内で一人静かに権謀を巡らせるのは、むしろ快感なくらいだった。


 ……でも、戦争だけはしたことがなかった。


 紫天領は、この国内にあって、地上の楽園ほどに平和だったのだ。


 ……悠威には、戦い方が分からない。


 指揮をしろと言われたところで、どう動けば良いのか、本の知識程度しか持っていなかった。

 見当もつかないのだ。


「……殿下?」


 悠威は葉明にすがるしかなかった。


 ここまできたら、運命共同体に等しい。悠威が感じている危機を、この男も感じていなければ、おかしかった。


 しかし。

 突然、立ち上がった葉明は、莉央が先ほど渡した白い布を出してひらひらと振った。


「僕の精鋭部隊も外で見張りをしていてね。僕が合図したら、そちらの宿営地で暢気に待っている偉い人の命を奪って来るように、言い渡して来たんだよ」


(は?)


 そんな話、聞いていない。

 しかも、葉明は馬鹿の一つ覚えのように、布を振り続けているだけだ。


「その布を振った程度では、外の人間には見えないのではないですか?」


 少し苦笑して、法斉が指摘する。

 莉央も先ほどの高圧的な態度は鳴りをひそめ、哀れみの眼差しで、葉明を見守っていた。


「それがまた、僕の部下は精鋭ぞろいでね。別働隊をそこで待機させているんだけど、一度、僕が合図したら、どんなに離れた位置でも、この白い布を、弓で射抜くことが出来るんだよね」


 一堂は、窓を背にしているとはいえ、外界からの距離はだいぶ離れている。


「ずいぶんと、堂々としたはったりではありませんか」


 莉央が法斉に微苦笑を向ける。

 法斉がうなずきかけた瞬間に、


「あははははっ」

 葉明が突如、大口開けて爆笑した。


「な、何がおかしいんだ!?」


 とうとう、気が触れてしまったのかと、感じた悠威は、葉明のもとに駆け寄った。

 葉明は笑い続けた。一頻り大声を張り上げたあとで、唖然とする皆の目を無視して、目に涙を溜めながら、悠威に言った。


「そりゃあ、おかしいじゃない。法斉さんが真実で、僕がはったりなんだよ」


 葉明はふんぞり返って、漆黒の椅子に腰を埋める。


「だって、違うでしょ。法斉さん。貴方の言っていることの方が、はったりじゃない?」

「なっ?」


 悠威は葉明につられる格好で、法斉を見た。

 立ったままの法斉は微笑したままだった。うんともすんとも言わない。

 葉明は答えのない法斉に、渋面を向けつつ、自分で話しはじめた。


「法斉さまの、その科白は、はったりじゃなくちゃ、効力がないんじゃないのかな? もしも、今の言葉が真実だったら、貴方は僕に脅しをかける前に、家臣にその蝋燭を振って見せているでしょう。でも、それをしない」

「……殿下」

「悠威、考えてみてよ。それは、もっとも、危険な賭けでしょう? 法斉さまは、今ここで、ひっそりと自分を殺せば、国王の軍勢は動かないんだと、僕たちに教えているようなものじゃない?」

「そんな……、物騒なことを、この屋敷でなさることは絶対に私が許しません」


 莉央が法斉を守るように立ち上がる。


「嫌だな、宋禮領主さま。あくまでもこれは、僕の意見だよ。法斉さまが、はったりだと認めたわけじゃないもの」


 法斉は微笑している。再び腰を庇いながら、椅子に座った。


「そうじゃの。まあ、ちょっとばかり、貴方がどうでるか試させてもらいました。やはり、貴方は、なかなかの御仁のように見受けられる。貴方が号令を出せば、こちらは手こずるかもしれませぬな」


 法斉は元の位置に、蝋燭を戻しながら、淡々と言った。


「しかし、儂にはまだ貴方という人間が理解出来ません」

「よく言われるよ」

「貴方は、きっと何処の世界にいても、他人が放っておかない人だ。与えられた世界の中で、自分がどういうふうに見られているのかをよく知っている。のびのびと生きるにはどうしたら良いのか、その知恵もまた身につけているお人だ。分かっているでしょう。こちらの世界がいかに窮屈なものか」


 悠威には法斉が何を言っているのか、さっぱり分からない。

 しかし、法斉の言っていることを葉明は分かっているのだろう。笑顔を打ち消し、神妙な面持ちで聞き入っている。


「何故、こちらに足を踏み入れようなどと考えたのです?」


 法斉は静かに、緑色の円らな瞳を傍らの葉明に投げかけた。


「…………貴方は、先の国王・叡台(えいだい)さまの御子ではないでしょう」

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