第四章 陸
「やっぱり、おいしいね。紫天領の料理は、味付けが濃いけど、宋禮領は薄味だ。それもまた違った風味で、いい感じ」
ぶつぶつと、どうでも良いことを呟きながら、食事をしている葉明を見ている悠威は、箸にも手が出せないでいた。
最初から、何もかもぶち壊された感じだ。
(嫌がらせなのか? これは私への虐めなのか?)
葉明は、扉を潜った途端、何を思ったか走り始めたのだ。
「おー。やっぱり広い!」
などと、雄叫びをあげていたようだったが、悠威にとっては、二度と思い出したくない場面だった。
いっそ、今、この瞬間に消えてしまいたかった。
しかし、この男が頼りにならないことは最初から、分かっているので、自分がどうにかするしかない。
悠威は大きな咳払いをしてから、何とかなけなしの威厳を掻き集めて、話し始めた。
「法斉さま。私は紫天領主として申し上げたい。紫天領は今回、やむを得ず、こちらに進軍したのです。今まで一度も、陛下に反逆をする意思など見せたことはなかったはずです。何ゆえ、陛下はお怒りになられたのでしょう。それが分からなければ、退くことも出来ませんし、お怒りを鎮めることも叶いません」
「理由なんてないでしょ」
「はっ?」
あっさりと吐き捨てたのは、法斉ではなく、葉明だった。
「どこの世界にも、悪役は必要だからね。紫天領は悪役にされたんでしょう? そして、宋禮領は巻き添えにされた」
莉央は色白の顔を真っ赤にしている。
「そう、断定されるのはよろしくないでしょう。葉明殿下。小さなことの積み重ねが陛下の機嫌を損ねたのかもしれませんし」
「でも、宋禮領主さん。考えてもみてよ。大義名分があれば、各領地が集まって、僕らは成敗されてしまうわけじゃない? ああ、でも、そうか。今回は、王さまの視察旅って話だったけ? 旅の途中で、歯向かってきた僕らを成敗するという筋書きなんだ」
葉明は、大人にきわどいことを純粋に尋ねてくる子供のようだった。
「……葉明殿下」
莉央が堪り兼ねて、口を挟むが、法斉はそれを止めた。
悠威は固唾を呑んだ。
緊迫感が漂っている。それを素知らぬふりで、ぶち破るのは、葉明しかいない。
「お代わり」
悠威は眉をぴくぴくさせて、葉明を睨みつけた。
「まあ、良いではないか。儂もせっかく亡き国王の御子とお会い出来たのだ。胸襟を開いて語り合いたい」
法斉は黄土色の着物から手を出して、莉央の家臣に料理を持って来るように頼んだ。
「葉明さま。ここまできたのなら、包み隠さず告白いたしましょう。儂が貴方さまのお命を狙ったことは、お気づきでしたな?」
「ああ。知ってる。元魄と沙々を使ったんでしょ?」
「そうです。さすがじゃな。他にも沢山の刺客を雇っては、儂は貴方のもとに送った。それでも、貴方は見事に命を取り留められた」
「まあ、まだ僕も、死ぬ予定はないんでね」
危険極まりない言葉が和やかに葉明の口から吐きだされる。
莉央は絶句しているし、悠威もまた口を挟むことができなかった。
「儂をさぞ、お恨みのことでしょうな?」
「……えっ、まさか。別に、僕、法斉さんだけに命を狙われてきたわけじゃないし、法斉さんは良い人そうじゃない? 何か誰かのために、汚れ役を買って出ているような? 懸命に、苦難に耐えているような人に見えるからね」
「そんなことは、ありませんよ」
さらりと法斉は言うが、葉明は運ばれてきたお代わりの米料理に箸をつけながら、笑った。
「腰、大丈夫? さっきから姿勢を正しくしているのが辛そうだけど?」
「ああ、それは」
法斉は皺だらけの顔を歪めて、姿勢を崩した。
「確かに儂は六十過ぎてから腰の方を痛めましてな。背筋を伸ばしていると、堪らないのですよ。なかなか陛下も気付いて下さらないので、結構大変で」
「楽にすれば良い」
「お言葉に甘えましょう」
「それにしても、そんなに苦しいのに、引退も出来ないなんて、大変だよね。法斉さんも」
「で、殿下!」
「紫天領主。良いのです」
「……しかし」
「貴方は、その理由から、瓏国の中枢が危機的な状況にあるのだと悟りましたか?」
法斉は、穏やかに言うと、温かい茶を口に運んだ。
(そうなのか)
葉明は、体に不調を感じている法斉が、政務をやめることも出来ないことが、国家の危機だと察知したのか。
悠威はこの現状に恐れをなして、そんなことを考える暇もなかった。
(もしかしたら、本当にこの男は?)
悠威の熱い視線に気付いているのか、気付いていないのか、葉明は相変わらずの食欲を見せ付けている。
口の中にものが入っているが、茶で流しこんだ。よほど腹が減っているらしい。
「まあ、他にも色々感じるところはあるけどね。大体僕一人を殺すのに、結構必死だったじゃない? 放っておいても、あと少しは無害だったのに」
「……ということは、少し経ったら、貴方さまは、有害になっているということですかな?」
「いや。貴方たちが色々と動いてくれたおかげで、何だか調子に乗って、今有害になってるみたいだよ」
「貴方さまは、よもや戦うつもりではあるまいな?」
法斉の瞳は、長年幾多の修羅場を乗り越えてきた古豪の瞳に変わった。
「法斉さま。先ほど領主としての私の考えを申し伝えたはずです」
悠威は、すかさず身を乗り出した。硬直している莉央を押しのける勢いで、捲くし立てる。
「この先、紫天領に対して、陛下が危害を加えるようなことがなければ……」
「危害とは解せませんな。紫天領主。陛下の御心がそのように判じたのです。それを、一方的な解釈で決め付けられては、なりませぬぞ」
「そ、それは」
悠威は声を詰まらせた。
今まで法斉とは数度となく、王城の中で会ったことがあった。
数言交わした程度だったが、小さなジジイと、舐めきっていた。
過去の遺物のような目で見ていたというのに、今悠威は並々ならぬ威圧感にあてられてしまっている。
(世界とは、こういうものなのか?)
こめかみに汗が伝った。
未晶にも、元魄にも、法斉にも悠威は負けた気がしていた。
今まで積み上げてきた自尊心のすべて崩壊していくようだった。
(そして、私はこの男にも負けるのか?)
目前に、苦りきっている悠威をじっと見据えている、葉明の眠そうな目があった。
「口は挟まないようにって」
「お好きにどうぞ、殿下」
悠威は、もはや葉明にすべてを託すしかないことを悟った。
絶望的な判断だった。
葉明は小さな欠伸を一つしてから、指を折りながら、だらだらと言った。
「そちらは、国王配下の精兵の皆さんと、城下で強制的に集めた農民や、商人の皆さんの混合勢力。こちらも、領主直属の手兵と、街の若い人中心の混合勢力。似ているけれど、明らかに数は、紫天領の方が少ないね」
「いかにも。陛下の軍勢なのです。貴方たちの三倍はあるでしょう。まともに戦えば、どうなるか。そちらの方がお分かりなのでは?」
「おやめになられては如何でしょう?」
莉央がためらいがちに、割り込んだ。
「ここで紫天領が全面的に謝れば、陛下とて何とかお許しくださるに違いありません」
「僕たち何も悪いことしてないのに、謝るの? だって、紫天領を葬る大義名分もないから、国王が行く、辺境ぶらり視察旅なんじゃないの?」
「それは、先ほど一方的な解釈だと……」
「まあ、いいか。どうせ、何をしたって気に入らないんでしょう。降伏も悪くないよね」
「こ、降伏?」
悠威は声を震わせた。
(出来れば、全面降伏だけは避けたい)
基本的に、莉央の考えには、悠威も賛成している。
だが、降参したら、悠威は領主の座も追われてしまうことだろう。
新たに光逸の側近が任命されるに違いない。
それだけは、悠威としては、絶対的に避けたかった。
「そうだねえ。今なら、悠威の首を差し出せば、どうにかなるかもな」
「殿下!」
それを言うなら、悠威はいっそ、葉明の首を陛下に差し出して、どうにか決着をつけたいくらいだった。
(いっそ、法斉に進言してみようか。葉明を殺そうとしていたくらいだから、意外に良い和解条件になるかもしれない)
悠威が真剣味を増したところで、葉明が咳払いをした。
「まっ、それは軽い冗談だけど」
「……冗談?」
「そうだよ、悠威。嫌だなあ。もしかして真に受けちゃった? 僕たちだって、そうむざむざと負けるはずがないじゃない?」
「な、何を言っているんですか?」
悠威は、もはや葉明の手の中で、呆気なく翻弄されていた。
「まともに戦えば、負けるのは必至だけど、勝負なんてものは、最後まで分からないから、面白いんじゃないのかな。紫天の人たちは喧嘩っ早いからね。今だって、待ちに待っちゃってるわけだし」
「では、やるおつもりなのですかな?」
「だったら、どうする?」
葉明は挑発的に、法斉を一瞥した。
法斉は低く笑う。
笑ってから、真顔になった。




