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愚者の野望  作者: 森戸玲有
第一章 愚者との出会い
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第一章 壱

「ああ、助かったよ。君のおかげだよ。本当どうしようかと思ってたんだ。一応、お金を持たせてもらっているけど、僕の働いたお金じゃないんだ。なくしたら、何か嫌じゃない」


 青年は笑うと、あどけない子供のような顔になった。

 危機が去って安心しているのか、肩はだらりと落ちて、猫背になっている。

 太陽の下にいるのが不自然な白皙(はくせき)と、病的なまでの痩躯(そうく)。 

 死人が身につけるような純白の着物が男に覆い被さっている感じだ。

 小さな顔の中に、生気のない黒い瞳と、高い鼻に、薄い唇があった。


(薄い……)


 それが、沙々にとって、青年を見た時の第一印象だった。

 圧倒的に存在感が薄いのである。

 沙々が見たことのない人種だった。


(とりあえず、探りを入れてみるか?)


 ここまできて、退却するのも勿体無いと思った沙々は、精一杯和やかな笑顔を浮かべて、青年に近づいた。


「そうだな。見たところ庶民では到底手の届かない金子を持っているようだからな。盗られていたら、大変だっただろう」

「確か……、君は中身なんか見ないで財布を僕に投げて戻してくれたよね」

「えっ?」

「僕の財布の中身まで、あの屋根の上から見えたんだ。さすがだなあ」


 青年は顔を上げて、沙々が飛び降りた古い商家の屋根を指差した。

 沙々は蒼白になった。

 馬鹿な発言をした。

 この青年をずっと尾行していたことがばれてしまうかもしれない。


「いや、違うぞ。私は決して」


 怪しい者ではないと、続けようとして躊躇(ためら)った。


(怪しい者なのだ。自分は)


 もしも、この青年が沙々の捜していた人物であるのなら、この青年にとって、沙々は危険人物以外の何者でもない。


「ええっと、私の名前はな。沙々というんだ」

「うん」


 青年は悲しいほど、のんびりと頷いた。

 沙々は脱力しながら問う。


「あんたの名前は?」

「ああ」


 襟足まで伸びたさらさらの髪を撫でながら、青年はゆったりと答えた。


「そっか。助けてくれたのに、申し遅れてすまないね。僕の名前は葉明(ようめい)(ほう) 葉明(ようめい)

「芳 葉明……」

 

(本当に芳 葉明なのか?)


 青年は沙々を怪しむでもなく、相変わらずへらへら薄笑いを絶やさなかった。

 疑いつつも、自分の情報と本人の自白から、この男が芳 葉明なのは間違いない。

 沙々は、ようやく葉明に出会えたことに、安堵しながらも、内心は複雑だった。


「沙々。沙々ちゃんか」

「「ちゃん」づけは気持ち悪い」


 ……というより、この男が致命的なほど危機感を持っていないことが許せなかった。


「私のことは呼び捨てで良い」

「そう。んじゃあ、沙々。君、凄いねえ。女だてらに武道の達人っていうやつ?」


 一向に起き上がる気配のない少年達を一瞥しながら、葉明は顎を擦った。


「何処かで習ったの? 僕、回し蹴りが決まる瞬間って始めて見たよ」


 相変わらず、間の抜けた顔をしている。

 沙々は嫌でも視界に入ってしまう、葉明の面長な顔を腹立たしく眺めていた。

 さきほど、あんなに恐慌(きょうこう)していたのは幻だったのか。

 何だか悲しくなってきた。

 これから、沙々のやろうとしていることを考えたのだ。

 たとえるなら、小動物を(なぶ)るような、大人が弱い者苛めをするような行為を、どうしてやらなければならないのか?


「あんた、本当に芳 葉明か?」

「そうそう。それよく言われるんだよ。たまに街の人には芳の上に「あ」をつけて、呼ぶ人もいる」


(つまり、アホ。コイツ、本物のアホなのか)


 そんなふうに自分が嘗められていることを、嬉々として語るのは、こいつくらいのものだろう。

 沙々は大口を開けて、笑い出した(よう)(めい)を軽く押した。

 それだけで、葉明はころりとすぐに尻餅をつく。


「この阿呆が! あんたは先の国王、叡台(えいだい)の息子なんだろう!」

「……はあ」


 葉明は他人事のように、胡坐をかいた。


「皇子だと、この紫天領(してんりょう)で名乗りを上げたんだろう? 次代の王で、反抗勢力の先鋒なんじゃないのか? 王都・維領(いりょう)にまで噂が轟いている芳 葉明が……、こんなものなのか?」

「あ、有難う。何だか良いように、噂を立ててくれたみたいで」

「私に礼を言うな。くそっ。噂を立てた奴らを、一発ずつ殴ってやりたいくらいだ」

「それは、随分手荒だなあ」


 たいして、同情もしていないような声音で呟いた葉明は、、ぽんと手を叩いて、沙々を指差した。


「ああ、そうか、噂を聞きつけてここに来たっていうことは、君、ここの人じゃないんでしょ。わざわざ僕に会いに来てくれたってわけか? 凄くなったなあ。僕も」

「望んできたわけじゃない」


 沙々は自嘲気味に言いながら、腰に手を伸ばした。

 長めに(あつら)えた上着のおかげで、腰から膝まですっぽりと隠れている。凶器を隠すには良い服装だ。

 今、人はいない。目撃者になるかもしれない少年達も、まだ失神したままだ。飛び出してしまったのは、失策だったが……、今まさに、好機であることには違いない。


「わざわざ、あんたに会うために、王都からやって来たんだ」


 そろりと、沙々は葉明に近づき、不敵な笑みを浮かべる。

 一つに束ねていた茶色の髪が風に揺れた。風がやむのを待ってから、沙々は至近距離を走った。


「芳 葉明! あんたを殺しにな!」

「はっ?」


 わっと、短剣を振り(かざ)した沙々は、葉明の首を片手で押さえつけた。

 致命傷にするために、首筋を狙う。……が、


「ちょっと、待ってよ!」


 沙々の意図に気付いたのか、葉明は激しく頭を振り、刃の矛先を何度もよけた。


「え? 何、君、暗殺者っていうやつ? えっー! 君が!?」


 信じられない面持ちで叫ぶものの、沙々は必死だ。葉明との体格差は自覚している。

 暴れられてしまったら、なかなか仕留めることが出来ない。

 沙々は馬乗りになって、葉明を狙うが、なかなか目的を遂げることは出来なかった。


「いや、待って。じゃあ、何で僕がかつあげされていたのを、助けてくれたの!? あのとき同時に殺してれば良かったじゃない!?」

「うるさい! 本人確認のために助けてみただけだ!」

「あっ、そっか。なるほど……って。 まっ、待って、ちょっと待って!」

「殿下!」


 ……刹那だった。


 昼間でも夜のような鬱蒼とした陋巷(ろうこう)に、一筋の光が差した。

 鮮やかな藍色の着物が、闇の中にはためいて、沙々の視線を奪った。

 背の高い男を先頭に、数人の屈強な男達がずかずかと細い道に入って来る。

 呆けた顔で正面の男を見上げた沙々を、男は鋭い眼光で威嚇した。

 精悍な顔立ちと、余人が入りこむことを許さない冷たい青い瞳があった。


(一体、何者?)


「あれ。悠威(ゆうい)じゃない?」


 仰け反った姿勢のまま、気安い言葉を吐いたのは、葉明だった。


「悠威?」


 どうやら、人の名前らしい。

 沙々の尻の下に敷いたままの葉明が沙々の腕を引っ張った。


「ああ、沙々。紹介するよ。あの人は、紫天領主(してんりょうしゅ)(そう) 悠威(ゆうい)。なかなかに、若いでしょ?」

「領主?」


 ぼんやりと、口の中でその言葉を味わっていた沙々だったが、やがて、我にかえった。


「紫天領主だと!?」


 葉明だけをひたすら追いかけていた沙々は、領主の顔などまったく知らなかった。


(終わった)


 速やかに、沙々は悟った。

 ここで、葉明を殺すことは叶わない。

 抵抗されて留めもさせないのに、悠威(ゆうい)に睨まれた状態で、力を込めて短剣を振るうことなど無理だろう。

 所詮(しょせん)、沙々一人殺されるだけだ。

 最悪な事態になってしまった。

 大事(おおごと)になれば、沙々の口から今回の依頼主がばれてしまう。

 そしたら、沙々の命一つでは済まなくなってしまうだろう。


(何とか、逃げられないものか?)


「お前、ここで何をしている?」


 厳しい言葉が悠威という男の口から降ってきた。勿論、沙々に向けられたものだ。

 どう言い訳したって、沙々は暗殺者にしか見えない。

 

(ここまでか)


 知られたからには、己で命を絶つしかない。迷っている暇はなかった。

 持っていた剣を逆手にした沙々は切っ先を自分に向ける。


 ……その時だった。


「ああ、見られちゃったね」


 のそっと、起き上がった葉明は、唖然としている沙々を片手で抱き寄せた。弾みで短剣が落ちて転がる。


「えっ、ちょっと?」


 そして、動揺する沙々を尻目に、平然とのたまったのだった。


「紹介するよ。僕の恋人。沙々っていうんだ」

「はっ?」


 素っ頓狂な声を上げた沙々の口を、葉明の節くれ立った手が塞いだ。


「いや、痴話喧嘩は犬も食わないってやつだよね。まったく……」


(馬鹿な)


 沙々は何が何やら、分からない。

 ただ、そんなとってつけたような話を、目前の男が信じるわけがないと、思っていた。

 だが……。


「貴方が幼児趣味だとは、知りませんでしたな」


(えっ!?)


 口が塞がれている沙々は、上目遣いに葉明を見ることしか出来ない。

 葉明は笑っている。


「嫌だな。悠威。これでも沙々は十三歳で」

「私は、十六歳だ!」


 沙々は、軽く叩いたつもりだったのだが、葉明は地面に突っ伏した。


「さて、殿下のご寵愛の娘殿」


 仕切りなおしのように、太い声を張り上げた悠威は、ゆっくりと(かが)んだ。

 沙々と目線が同じになると、不気味な笑みを浮かべる。


「娘殿。せっかくですので、我が屋敷で(くつろ)がれてはいかがですかな?」

「いえ……私は」

「是非に」


 沙々は、その時になって気がついた。

 悠威の隙がない身のこなしに……。

 この男、武術の心得があるらしい。


(私では、相手にならない)


 愕然としている間に、沙々は悠威に腕を取られていた。

 逃げる術など、皆無だった。


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