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愚者の野望  作者: 森戸玲有
第三章 愚者の帰還
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第三章 伍


(もう、救いようがないな……)


 腰痛に加えて、大きな頭痛の種まで背負ってしまった法斉は、陣営の外で、座ることも出来ずにまんじりともなく夜空を眺めていた。

 光逸は、今頃天幕の寝床の中で、暢気に夢でも見ていることだろう。

 ここまで至る過程に、光逸が気にしていたことは、各領地が光逸に差し出した軍資金の額だった。


 ……あそこまで、愚かだったとは。


(凡庸なら、凡庸なりに、公務を真面目にやってくれると思っていたのだが)


 過去、数度となく国王の側近として、遠征に(したが)ってきた法斉だったが、こんなにも嫌々同行したのは、初めてのことだった。

 光逸は、とうとう方針転換しなかった。

 やはり、どうしても自分の功名というものを歴史に刻みたいらしい。

 発布した法令が全国に行き届くのは、時間がかかる。

……が、戦であれば、その効果と、自分の影響力を、すぐさま目にすることが出来る。それが魅力的なのだろう。


 光逸と接しているうちに、法斉もそう解釈することが出来た。

 決して、光逸が法斉に反発しているわけではないのだと。


(……しかし)


 そんなことに巻き込まれる人間は、たまったものではない。

 脅してやる。

 などと、国王の安直な目的で、この時勢に、各領主が兵を送って来るはずがない。

 それが分かっていた法斉は、あくまでも光逸が各領地の統治体制を視察する旅だと布告したが、どうみたって、愚かな国王が再び戦を始めたのだと、国中に、宣伝しているようにしか思えなかった。

 紫天領主・悠威は、今まで巧みに増税を避けるよう、根回しをしてきた頭の良い男だ。

 今までは、潤沢な資金を盾にして、こちらの命令を無視することも多々あったが、王家が本気で脅せば、相応の折衷案をきちんと出してきたはずだろう。

 あのような経済都市こそ、戦争などという、流通に大惨害を与えるような愚行は最大限に避けたいはずなのである。

 それで、もし、紫天領を丸々手にするのに、もし、悠威が弊害ならば、この男一人を殺せば良いだけの話なのだ。

 

 策はあるはずなのだ。


(それが……、あのお方には、なぜ分からないのだろうか)


「……なぜ、軍など」


 光逸の気持ちに同情することはできても、これだけは理解できない。

 大義名分のない戦いほど浅ましいものはない。

 先代の叡台も、その前の国王も、明確な意図と、戦略を持って、戦争を仕掛けた。

 脅すだけのために、幾万もの兵力を動かすのは愚の骨頂である。

 こんな形で、王国の威厳を保とうとしたところで、意味などないのだ。


(……何が国威発揚だ)


 どう転んだところで、この国は末期なのだ。


(自分がもう少し若ければ……)


 法斉は嘆いていた。

 もしも、足枷がなければ、役職をすべて放り投げて、隠棲しても良かったし、命懸けで、光逸を諌めることも出来た。


 しかし、法斉にそれは無理だった。


 法斉の息子は光逸の重臣になっているし、孫はまだ生まれたばかりだ。

 自分ひとりであればともかく、家族を犠牲にしてまで、志に賭けることが、今の法斉には出来なかった。

 腐った国が腐りきるまで、何とかしがみつき、家族が逃れる術を模索するのが精々だ。


(もう、どうにもならないか……)


 夜空に願うように、法斉は目を瞑った。

 現場の空気は、既に最悪の状態だった。


 半強制的に、ここまで連れて来られた農民兵と、正規軍の兵士の仲は、最悪だった。

 農民は元々疲弊していて、光逸に好印象を持っていない。その気持ちが、軍人の間にも流れこんでしまっているようなのだ。

 たまに法斉は宿営地を視察しに行くものの、皆目が死んでいた。

 数は圧倒的だ。

 軍勢が行軍を進める姿は、圧巻でもある。

 

 だが、

 ……これではどうにもならない。

 

 むしろ、これをきっかけに、内戦状態に突入する恐れすらあって、いっそどうにでもなれと、法斉自身、自棄を起こしたい気持ちもあった。


(紫天領主はどうでるか?)


 法斉の最大の関心事はそれだった。

 早々に降参してくれれば良いと思っている。

 紫天領主、奏 悠威の優秀さが、光逸の癇に障ったことは、否めないが、今こそ、その頭の良さを活かして、無益な争いをしないで欲しいと、法斉は伝えたかった。


「夜分に、失礼致します」

「うむ」


 法斉は姿勢を正した。

 側近にすら自分は安全だと遠ざけていたくせに、すぐ近くに誰かがいたことに、まるで気付いていなかった自分を恥じた。

 闇の中に目を凝らす。

 黒装束の男がいた。


「ん?」


 何処か見覚えのある四角い顔に、法斉はおそるおそる問いかけた。


「……お前、元魄か?」

「はい」

「無事だったのか?」

「おかげさまで」


 元魄はにっと笑った。

 不気味な男だと、倦厭したい気持ちはあるものの、法斉は元魄の確かな腕は買っていた。


「そうか。それは良かった。もはや、お前も小娘も死したものと考えていたので、話が聞けるとは有難い。今まさに、こちらは最低の有様だからな」


 そんなふうに、ついつい元魄に愚痴ってしまった法斉は、内心で苦笑するしかなかった。


(本当に、(わし)の相談相手はどこにもいないのだな)


 暗殺者相手に、身の上相談をしてどうなるものでもない。

 しかし、元魄は聞き流すでもなく、丁寧に答えた。


「紫天領も同じようなものです。既に領主は出兵された」

「な、何だと?」


 法斉は顔色を失った。


「それは本当か!?」

「確かですよ。俺はこの目でちゃんと確認してきた」


 元魄は、獣のように、猛々しい金色の瞳を、法斉に突き出してくる。


「それに、ここにきて大変申し訳ないことなのですが、葉明は生きていました」

「お前、失敗したのか!?」


 有り得ないことだった。

 今まで引き受けた依頼を元魄がしくじったことはない。しかし、元魄はあっさりと首肯した。


「葉明は、今紫天領主と一緒に、こちらを目指して北上しています」

「最低どころの話ではなくなってきたな」

「はっ?」


 法斉は腰の痛みを忘れて、その場にへたりこんだ。


「陛下は、葉明がいなくなったからこそ、紫天領主を恫喝するのも有効だと考えている。あの御方は、先代の叡台さまを畏れていらっしゃるからな」

「じゃあ、葉明の在命を知ったら、驚いてしまいますかね」

「それだけではない。皇子の存在は、すべての領地に影響が及ぶ。戦いに明け暮れた叡台さまは、一部の土地では忌むべき御方かもしれんが、影響力は絶大だった。その皇子が国王の刺客を退けたとなれば、周辺の領地も迷うに違いない。葉明を支えようとする勢力が出てきても、おかしくはないだろう」


 内戦……が現実味を帯びてきた。

 国王派と葉明派の争いになるかもしれない。


 法斉は冷たい夜風に白髪頭を晒して、呆然と空を仰いだ。


「だからこそ儂は、早い段階で葉明を抹殺しようと考えておったのに……な」


 独り言のように、恨み言を告げると、すっかり忘れそうになっていた元魄が口を差し挟んできた。


「実は、俺はその葉明から言伝を預かっているのです」

「お前、寝返っていたのか?」


 もはや、どうでも良くなっていた法斉は、安らかに尋ねた。

 元魄はうなずくことはなかったが、無言は肯定なのだろうと、法斉は感じた。


 そういえば、元魄は独り者だ。

 他に家族はいないらしい。

 縛るものがない元魄を縛りつけていたのは、法斉が支払っていた莫大な金だったのだが、法斉よりも、葉明が金を出すというのならば、急な裏切りも仕方ないように思えた。


「皇子は、凄まじい御方のようだな」

「ある意味、凄まじいといえば、そうかもしれませんが……」


 歯切れの悪い元魄は珍しい。

 興味を抱きながらも、刻一刻と迫る脅威を退けることを考え始めた法斉は、あえて先を促した。

 元魄はにやっと口角を上げつつも、神妙な声色で告げた。


「葉明殿下が貴方にお会いしたいと申されています」

「何? (わし)にか? 陛下にではなく?」

「出来れば両方らしいですが、高望みはしないそうです。面倒ごとになるのは、厄介なので、極力少人数でお願いしたいと。駄目なら、無理はしなくて良いと」

「無理も何もないだろう」


 法斉には、葉明が何をしたいのかさっぱり分からない。

 降伏するわけでもなく、降伏勧告をするわけでもない。

 和睦の申し入れかどうかも不明だ。


(無理といえば、無理だが……)


 光逸に進言したところで、脅えて逃げるだけだろう。

 しかし、法斉一人ならば、大丈夫かもしれない。


(老いぼれ一人死んだところで、何も変わりはしないだろう)


 それに、法斉は興味を抱いている。

 華々しい復活を遂げた葉明という男に、一度会ってみたかった。


「場所と、時間は如何すれば良い?」


 老いた緑の瞳が、久しぶりに精彩を放った。


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