第三章 肆
「貴方は自分が何をしたのか、分かっているのか!?」
時間は惜しい。けれど、悠威は怒鳴らずにはいられなかった。
いつもと変わらず安穏と食事をしている葉明が俄かには信じられない。
「殿下!」
しかし、いくら詰め寄っても、葉明には梨の礫だ。
温かい卵汁を口に含んだ葉明は、ほっと幸せな表情を浮かべている。
家臣をみんな遠ざけた悠威は、耐え切れずに、
「失礼」
一応断ってから、葉明の肉の少ない頬を、両手でおもいっきり引っ張った。
「いたたたた!」
葉明はようやく悠威の存在に気がついたのか、顔を上げた。
「ああ、悠威。相変わらず、屋敷のご飯はおいしいね」
「毒を盛っておけば良かったと、今更ながら後悔しているのですよ」
「えっ? もしかして盛ってた?」
恐々としながら、丸い器の中を覗き込む葉明が子供染みていて、悠威は肩の力が抜けていくのを感じていた。
「もう、勘弁して下さい。私が何もかも愚かでした。貴方が本物の皇子であろが、なかろうが、もう私には、どうでも良い。だから、これ以上、この領地をめちゃくちゃにしないで下さい」
弱々しい声音で訴える。その姿に、葉明が目を丸くしていた。
「どうしたの。気分でも悪い?」
「貴方のせいで、とても」
「それは、悪いことをしたな。ああ、いいんだよ。悠威が僕を殺そうとしたっていうことは、この際水に流そう。よくあることだし。でも、毒は盛らないでね」
(本当に、殺しておけば良かった)
葉明は破顔一笑して、更に悠威を困惑させる。
とてつもない秘密を、こんな男に握られてしまったようで、背筋が寒くなった。
「大丈夫? 本当顔色悪いよ。やっぱり、いきなり今日戻ってきたのはまずかったか。手紙の一枚でも書けば良かったね」
「手紙もいりません。どうせなら、戻って来なくても良かった」
「ごめん。戻ってきちゃった」
口先だけ謝罪した葉明は、興味が失せたのか、悠威から目を逸らして、次の肉料理に手を伸ばしていた。
「でもねえ、悠威。君はさ、あの状態から、どうするつもりだったの?」
葉明は、年上である悠威を「君」と呼ぶ。
正直、前々から内心腹を立てている悠威だったが、それはおくびにも出さないように、澄まして答えた。
「私は穏便に片付けるつもりでしたよ。国王が仕掛けてきた喧嘩を買おうなんて思いもしない」
「じゃあ、君はやる気に満ちている人たちを捕まえて、満足しておしまいなんだ」
葉明の態度は変わらない。うまそうに、肉を頬張っているだけだ。
しかし、悠威はその言葉に眉根を寄せた。
「何を貴方は考えているのです?」
「何をって? この肉おいしいなって思ってるよ。どういう味付けしているの?」
「それは、直接、料理人に聞いて下さい。私が言っているのは……」
「国王が動くなんて、誰も予想出来ないよ。僕が知ったのも未晶が報告してきたからさ」
「私と、ほぼ同時期に知ったということですか?」
「そっ。だから、僕は未晶に悠威にも教えてあげたらって、言っただけのことだよ」
「未晶はどこにいるのですか?」
「さあ、何処に行っちゃったんだろうね。分からないや」
「分からない」
「未晶は、気まぐれだからねえ」
…………もう嫌だ。
会話がまるで成立しない。
(そうだったな)
確かにこいつは、そういう奴だった。
「ならば、益々、安直に開戦を宣言するべきではありませんでしたな」
「おおっ。なるほど」
葉明はわざとらしく声を挙げて、驚愕の面持ちで悠威を見た。
「この味付けは、南国の味付けなんだ。だから、ほんのり甘いんだね?」
(……真の。………………真の阿呆だ)
何を真面目に、こんな男と話をしていたのだろうかと、悠威は肩を落とした。
今更、葉明の言葉を悠威が撤回するわけにはいかない。
もしも、それが許されるのなら、意地でもやってやりたいところだが、民衆の希望の星のようになってしまった葉明を、ここで追い落とすことは難しい。
そんなことをしている間に、国王の差し向けた軍勢が紫天領に来てしまうだろう。
こうなったら、もう。
(成り行きにまかせて戦支度をしつつ、他の領地に仲介を持ってもらうように、働きかけるしかない)
「ねえ、悠威」
口の中に入っていたものを胃に収めてから、葉明は箸を置いて、言った。
「紫天領を戦場にしたくないのなら、手がないこともないよ」
「はっ?」
「紫天領を出れば良いじゃない」
葉明は、静かに……、しかし、力強く断言した。
「な、何を言ってるんですか? 貴方は!?」
「王様が野営している国に、こちらから出向けば良い。そこの国の人には迷惑だろうけど、自分の領地を戦場にしたくない領主さまは、僕らの話くらい聞いてくれるんじゃない?」
「そんな無謀な。何処の領地だって、恨むとしたら、私達でしょう。私達がそのはた迷惑な国王の軍勢を、来させてしまったんですよ。当然、国王軍と同盟を組んで、私達を潰しにかかってきますよ!」
「でも、僕たちは、何も悪いことなんてしてないじゃないか?」
「正直、私には、その程度のことで、戦争を止められるとは思えませんがな」
葉明は、運ばれてきた果物を頬張りながら、黒い大きな瞳を細めて笑った。
「僕も、絶対的な確信なんかもってないさ。でも、まだ死にたくはないからなあ」
「国王の軍勢は、そろそろ宋禮領に入るとの報告がきました」
「それって、何処?」
屈託ない無知な質問に、嘆息をつきながら悠威は答えた。
「隣の、そのまた隣の領地ですよ」
「へえ、そこの領地って広いの?」
「紫天領と同じくらいでしょう。貧しい所です。農業が盛んな所ですが、昨年は大旱魃でまったくの不作だったとか」
「そうなんだ。それにしても、王さまは早いな。馬が早いのかなあ」
葉明は腕を組み、しばらく沈思してから、ぽつりと呟いた。
「……やっぱり、僕も行かないと駄目かなあ」
悠威は今度こそ、問答無用で葉明の頭を殴った。




