第三章 参
葉明の暗殺が失敗した庭の広場で、悠威は窮地に追いやられていた。
正直、悠威は葉明がこの状況を見越して逃げたのではないかと、考えていた。
ならば、本当に羨ましいものだ。
紫天領の民は、戦う気満々だ。
攻めて来たのなら、討ってやれといわんばかりの怪気炎を上げている。
葉明が国王の手によって、暗殺されたという噂もまた民のやる気を後押ししていた。
(しかしだ)
少し冷静になってみれば、いかに愚昧な行為なのか分かるはずだ。
一国が四十八の領地を所有している国に挑もうとしているのだ。
その時点で、馬鹿を越え、無謀すら通り越している。
そんな結末を迎えないように、悠威は動いてきたはずだった。
今まで紫天領の権利を守りつつ、国王にもうまく取り入っていたつもりだったのだ。
……なのに。
悠威が思っていた以上に、都にいる国王は、馬鹿のようだ。
内乱にまで発展して、一体何になるというのだろう。
(何の意味もないではないか?)
よしんば、脅しのつもりで、紫天領に来るにしても、国が弱体化しているにも関わらず、あえて遠征しなければならない理由など、国王にはないはずだ。
(家臣は一体何をやっていたのだ? 何故諌められなかった)
やりきれない気持ちで、悠威は壇上に立っていた。
「ここで、抗戦するのは、百害あって一概もない」
その結論は、悠威が自分の側近に言い含めて、昨日出した答えだった。
わざわざ民に提示する必要もなかったのだが、一報を聞きつけた者達に屋敷の壁が破壊されそうになって、仕方なく発表することになった。
悠威は自分で書いた書面に、目を走らせて顔を上げなかった。
腹を立てているのは、悠威の方だった。
「国王側が提示する条件をまずは確認することが先決。そこで我が領地の進退を決めたい」
「ふざけるな!」
すぐさま、怒号が飛んできた。
「国王なんか、怖くねえ!」
「所詮、傍系の国王様だ。葉明の方が偉い」
「葉明の敵討ちだ!」
みな好き好きに、言いたい放題だ。
(いっそ、民衆を取り締まるべきか……)
悠威は決断を迫られていた。
紫天領の民は自由に物を言うことが出来る。
そういう評判は大陸中に広まっている。
だからこそ、いろんな民が紫天領に集まり、経済の流れが円滑になっているのだ。
商人に優しい領地であったから、ここまでの繁栄があったのだと、悠威だって分かっている。
(だが、これは最早商人ではない)
武器を取ったら、誰でも兵士だ。
悠威はこれ以上、危険を冒したくはなかった。
(もう、終わりにしてやる)
「今の言葉に意見した者共を、取り押さえろ」
強い口調で、自分の背後に侍している家臣たちに命じる。
庭を埋め尽くす一面の聴衆にも、その声は聞こえたらしい。
みな一目散に退散の準備を始めている。
(こうと決めたら、逃がすわけにはいかない)
「急げ!」
悠威が怒りに震えて、怒鳴りつけると、慌てて悠威に後ろを見せた家臣たちの一人が、何かにぶつかってひっくり返った。
「あっ?」
悠威は、家臣の発した声に導かれて、視線をそちらに傾けた。
――すると、嫌味なくらいに、見知った薄っぺらい顔が、魚の死んだような目で悠威を眺めていた。
「やあ、久しぶり」
「……葉明!?」
悠威もまた態勢を崩して、後ろに転びそうになった。
白い着物に、所々寝癖が踊っている黒い頭が、暢気に悠威に近づいてくる。
(私は幻でも見ているのか?)
やる気のなさそうな蒼白い顔は、いつの間にか悠威との距離を縮めて、中央の会見場所を陣取っていた。
「よ、葉明!?」
誰かが叫んだ。出口を目指していた人の波が徐々に戻ってきた。
悠威は、何も出来なかった。
口を挟むことができなかった。
あの未晶という男が近くにいるのだ。
当然、葉明は悠威が自分の命を狙っていたことを知っているはずだろう。
(姿を消していたのは、そのためではないのか?)
国王軍が来るという情報を逸早く掴んで、それで雲隠れしようという算段だったのではないのか?
分からない。
だが、紫天領の民の顔色は、花が咲いたように、明るくなった。
みな、葉明の帰りを待っていたようだ。涙する人間までいる。
正直なところ、葉明の力を悠威も認めざるを得なかった。
……葉明は、街の人間に愛されている。
魚屋の倅としても、瓏国の皇子としても。
(もしかしたら?)
悠威は、背中に鞭を打たれたように、瞠目した。
(葉明なら出来るのではないか?)
そうだ。民衆は国王に葉明が暗殺されたと思い込んで、怒っていた面もある。
(この血気盛んな奴らを、説得することが出来るのかもしれない)
「ああ、皆さん。こんにちは」
葉明は手を振るのに飽きたのか、ようやく口を開いた。
「実はね、ちょっと、怪我して僕、寝てたんですよ」
特に、悠威を責めるわけでもなく、葉明は飄々と言ってのける。
「そしたら、寝ているうちにいろんなことが起きてしまって、いやはや、凄いね」
悠威は、葉明の言葉が核心に迫っていることに気がついた。
鼓動が高鳴る。
この場で、悠威よりも位が高いのは、葉明だ。
葉明が決断すれば、すべてが決まる。
「なんでも、王さまの軍勢が動いてしまったんだって? 本当びっくりだよね。何をどう間違えちゃったんだろうねえ。王さまも」
「だろう! 狂ったんだよ。国王はよお!」
誰かがそんな野次を飛ばすが、悠威には頭を抱える言葉でしかない。
(狂っているのは、お前達も一緒なのだ)
しかし、悠威には、この混乱を平和的に鎮静化させる自信はなかった。
殺そうとした相手を頼るなんて、こんな屈辱は他にないが、もう他にどうしようもなかった。
「……頼む」
悠威は、葉明の着物を掴み、小声で後事を託した。
何事かと振り返った葉明は、悠威が見せたこともない、情けない顔に、しっかりと首を縦にふった。
――まかせて。
そんな声が聞こえたようだった。
(大丈夫かもしれない)
この先、葉明をどう扱っていくのか、悠威には考える余裕もなかったが、今だけは、神がこの場に降臨したかのような心地で、葉明を崇め奉りたかった。
祈るように、悠威は次の言動を待つ。
聴衆もすっかり、元の位置に戻って、葉明の言動に耳を澄ました。
「こんな恐ろしいことになってさ、王さまと同じ所に立って、僕たちが争うのも、馬鹿げているよね」
ざわっと、空気が揺れる。
(よし、いけ)
何がいけなのか、自分でも理解できないまま、悠威は両手を強く握り締め、目を閉じた。
葉明の演説は抑揚なく続いた。
「でも、売られた喧嘩は買わないと損だよね」
(あれ?)
「ちょっと待て」
喧嘩を買う?
何かがおかしい。
「おい」
雲行きが怪しくないか……。
ーーそうして。
ぶらりと、旅行にでも行くような風情で葉明は告げた。
「……ということで、皆さん、ひとつ、開戦といきましょうか」
「なっ!?」
人の波は大きく揺れた。
「おおっ! よしっ。やるか!」
「殿下がやるってよ!」
「この際だから、紫天領を独立させようぜ!」
悠威を置き去りにして、おおいに盛り上がっている。
開戦なんて……。
確実に、全滅だ。
戦を仕掛けた途端に、紫天領は終わりではないか。
(何が、まかせておけだ)
「……ざけるな!」
悠威は、この場で葉明の首を絞めてやろうかと、本気で思った。
(こいつは、やはり馬鹿者だ!)
最高潮に達した民衆の歓呼の声は、悠威が解散を宣言しても、いつまでもやまなかった。




