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愚者の野望  作者: 森戸玲有
第三章 愚者の帰還
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第三章 弐


「ふざけるな! ここから出せ! お前たち最低だ!」


 一通り、叫んでから、それでも、空腹には耐えられずに、食事にありつくのが、近頃の沙々の日課になっていた。

 未晶の家には、信じられないことに地下室があったのだ。


(……監禁部屋)


 沙々は造りから、何となくそう感じていた。

 何しろ、鍵が外側からかかるようになっているし、風呂も厠も完備されている。

 たまに、軽快にまな板の上に包丁を落とす音が聞こえてきたりするので、炊事場の下に造られているようだった。


(一体、あの人は何者なんだ?)


 沙々には、未晶という人間が葉明以上に分からなくなっていた。

 葉明はあれ以来、沙々の前にはぱったり姿を見せなくなり、代わりに、未晶が沙々の前にやって来るようになった。

日に三回、食事を届けに来る。


 沙々はなんとしても故郷に帰りたい。

 今更、戻ったところで、どうしようもないことは分かっていたが、それでもじっとしていられなかった。


 しかし、どういうわけか未晶を見ると、何も言えなくなってしまうのだ。

 未晶が来るまでは、散々罵詈雑言を飛ばすことが出来るのに……。


 一体何の魔術を使っているのか、恐ろしくもあった。

 世間話程度をしているようだが、その記憶も毎日あやふやだ。


 食事に何か盛られているのではないかと疑ったが、その心配はないと、先回りして答えられてしまった。

 だから、沙々は何も知らないまま、この薄暗い部屋で療養と称した監禁生活を過ごしている。

 外で何が起こっているのかも、季節の変化もまったく感知できないでいた。


「一体、どれくらい経ったんだろう?」


 掠れた声で、自問してみる。

 結構な月日が経ったに違いない。

 壁一面に置いてあった本を、字を読むのが苦手な沙々が読破してしまったくらいだ。


(このまま、年老いて死んでいくのだろうか?)


 葉明に会ったら、とっちめてやろうと沙々は息巻いていた。

 しかし、怒りよりも何よりも、あの間抜け面にもう一度会ってみたいと思っている自分に腹が立った。


「つくづく私も馬鹿だな……」


 考えることは両親のことと、葉明のことくらいだ。

他に縁のある人が沙々の周囲には、いなかった。


 ーー十六年も生きてきたのに。


 沙々にあったのは、たったそれだけだった。


 何だか、ひどく儚いものに感じられた。

 今になってようやく、川辺で葉明が言っていた「空を見ながら終わってしまう人生」に気がついた。


(終わりたくない……)


 沙々は切実に生きることに執着していた。

 いつ死んでも良いと沙々は思っていたくらいだったのに、もうその境地には戻れなかった。


(ああ、やっぱり、外に出なくちゃ駄目だ)


 どんな手段を用いても開かない金属製の扉を、沙々は必死で叩いた。

 心の何処かで諦めながら、一日、できる限り激しく叩き続けて……。


 ーーー数日過ぎた頃。


 あっけないほど、簡単に扉は開いた。


「…………あ」


 驚いた途端に、沙々は扉が開いた勢いで、外に倒れた。

 頭上にはだらりと白い着物に、黒髪の男、葉明がいる。

 …………偽物じゃない?


「…………本物?」

「あっ。ゴメンね」


 その一方的に、慣れ慣れしい呑気な口ぶり。

 太陽のような微笑が、すぐさま、しゃがんで沙々に手を差し伸べた。


(ああ、こいつは本物だ)


 涙ぐみそうになって、沙々はあわてて葉明から目をそむけた。 


「大丈夫?」

「……いや」

「……って、手が赤くなっているよ。大丈夫じゃないじゃない? まったく君という子は往生際が悪いというか、向こう見ずというか、猪突猛進というか……ねえ」


 何日も監禁しておいて、第一声がそれらしい。沙々は振り上げた拳をそのまま葉明の頭にぶつけた。


「言いたいことは、それだけか!?」

「いたたた。あ、そっか。そうだ。ゴメン。本当に、その手は痛いよね。今度から気を付けるよ。手が痛くならないような、頑丈で柔らかい材質の扉を用意するように、未晶に言っておくから」

「いや、待て。問題がすりかわっている」

「そっか。僕が来たことで、分かったんだね。さすが沙々」

「一体、お前は何を言っ……?」

「……もう帰れるよ。君」

「………………はっ?」


 あじもそっけもない一言だった。

 沙々は怒りを通り越して、ぽかんと口を開けてしまった。

 葉明は一人勝手にぺらぺらと続けた。


「うん。大方、傷も治ったみたいだし。このままでいたら、むしろ、新しい傷を自分でこさえちゃいそうだし。そろそろ春も終わる。若いんだもの。こんな暗い部屋にいつまでもいたら、干物になっちゃうもんね。本当、色々悪かったね。沙々」

「すまない。少し会ってないせいか、私はあんたとどんなふうに話していたか忘れてしまった」

「ああ、それ、僕もだよ。なんか照れるね」


 もしも、沙々が凶器を持っていたら、今度こそ殺れるような自信がこみ上げてきた。


(落ち着こう。このままでは、コイツの勢いに巻き込まれてしまう)


「葉明。私はいつでも帰るつもりだった。それを足止めと称した監禁をしていたのはあんたたちだったよな」


 沙々は冷静に頭の中で整理しながら、話しを続ける。


「今頃、用済みだから、帰れとはどういう了見だ?」

「用済みって訳じゃないよ」


 葉明は頭を振りながら、答えた。


「でも、君だって色々と苦労したんだし、これからはのんびりと、普通の女の子のように面白、楽しく暮らして欲しいと思ってさ」

「あんた、人を監禁しておいて、よくそんなことが……」

「君は言うことなんてきかないだろうし、仕方なかったと……言っても、納得してくれないでしょう。だったら、……どうすれば、僕を許してくれるの?」


 葉明の細められた瞳が沙々に伸びていた。

 真剣な面持ちを向けられると、沙々は身じろぎすら出来なくなってしまう。

 謝罪とか、そういう問題ではなかった。

 沙々は、そんなことを求めているわけではない。


(では、一体自分はこの男に何を求めているのだろう?)


「開き直るな」


 答えに迷って、強がりをぶつけると、葉明は「分かった」と鷹揚に頷いた。

 そして、袂に手を突っ込むと、葉明は袂の中で、何やら探し出した。

 何が入っているのか、カタカタと物騒な音がする。

 やがて、目当てのものにたどり着いたのだろう。

 葉明は満面の笑みで、沙々にそれを差し出した。


「指輪?」


 桃色の石がはめこまれた可愛らしい銀色の指輪は、葉明の手から、沙々の掌に転がった。


「何なんだ。これは、まさか?」


 沙々は頬を上気させた。


(ここまでしてしまったのだから、男の責任を取りますというオチなのでは?)


 あらゆる妄想を繰り広げて、うろたえている沙々を目の前に、葉明は至極落ち着いた声で言った。


「あげるよ。それ以外、僕金目のもの持ってないんだ。僕には多分、それ必要ないから」

「はっ?」

「好きにしていいよ。売るなり捨てるなり、君の自由だ」

「葉明……」


 拍子抜けした沙々の手を取った葉明は、一緒に部屋の外に出た。

 直ぐに小さな階段があって、その先には、四角い格子がある。

 目映い光が、地下に降り注いでいる。

 久しぶりの太陽の光に沙々は目を眇める。

 葉明が難なく格子を開けると、炊事場の鍋が見えた。


 ……そして。


 その矢先に、沙々の視界は、自分に駆け寄ってきた人影で遮られた。

 揃いの緑の着物。

 優しい香りが沙々の鼻腔をくすぐった。


「沙々!」

「ああ、沙々!」


 ……懐かしい。

 両親が手を広げて、沙々を待っていた。


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