匍匐前進
センパ〜イ、匍匐前進しましょうよォ〜。
アキラが縋るように頼んでくる。
その手を払いながら断ると、アキラはポケットから札束を取り出して、言う。
十万円あげますからァ。匍匐前進しましょうよォ〜。
ちげーんだよな。十万円じゃねえよ。金じゃねえんだよ。そういうのは。わかるか?
アキラは首を横に振る。
なんなんスか。金じゃないって。あっ。人質っスか? センパイ、娘さん居ましたよね?
居るけどな。人質でもねえよ。そういうのは、本来ちげえんだよ。人質なんつーのはよ。
じゃあなんなんスか。
知りたいのか?
アキラは頷く。
俺は懐から拳銃を取り出しアキラの両足を撃ち抜いた。アキラは喚き声をあげながらその場に這いつくばる。
これで分かったか、アキラ。
拳銃っスか!
アキラは目を輝かせながら答える。
ちげーんだよな、アキラ。拳銃じゃねえんだよ。結局のところ男は腕っぷしだからな。だから拳銃じゃねえのよ。
センパイ、立てねえっス。
仕方のねえやつだな。ホント、お前ってやつはよ。
アキラに肩を貸して立たせてやる。アキラは隙をみて俺の足を隠しナイフで刺そうとするが、それは叶わずうめき声を上げて吹っ飛んでいく。
襲ってきたアキラを蹴り飛ばした後、俺はタバコに火をつける。
ちげーんだよなあ。策略でもねえんだよなあ。
なんなんスか。
アキラは両足と鼻から血を垂らしながら訊いてくる。
お前はその前に病院に行けよ。やべえぞ、その血の量。
ウス。センパイ、タクシー呼んでください。俺動けねえっス。
なんで俺がお前のタクシーを呼ばなきゃいけねえんだよ。自分で呼べよ。手は動くだろ。
ウス。自分で呼ぶっス。
アキラは携帯電話を取り出して電話をかける。
二本目の煙草を踏み潰していると、タクシーがやって来た。
俺は停車したタクシーから運転手を引きずり出し、頭を撃ち抜く。
なんてことするんスか。やべえっスよ。センパイ。そいつ一般人っスよ。
ガタガタうるせえな。逃げるぞ。乗れ。俺が運転する。
ウス。
血の跡を引きずりながら近づいて来たアキラを俺はバックで轢く。
なんなんスかァ〜。センパイ。やめてくださいよォ。今のはシャレんなってねえっスよォ。
ハハハ。
はやく逃げましょうよォ。
アキラが後部座席に乗り込むのをバックミラーで確認し、アクセルを踏み込む。
センパイ、まだ匍匐前進しないんスか?
ちげーんだよな。逃げるのとは。でも少しは似てるかもなあ。
マジっスか!?
ああ。そうかもしんねえなあ……。
俺は少し物思いに耽る。
センパイ、前! 前見てください!
あ?
気づいた時には目の前までトラックが迫っていた。咄嗟にハンドルを切ったが、間に合わなかった。タクシーは強い衝撃と共に急停止し、シートベルトをしていなかった俺はフロントガラスを突き破り外に放り出された。
暗転の後、意識を取り戻した。情けないことに、どうやら道路に這いつくばっていたらしい。立ち上がろうとするが、くたばりぞこないの体は思うように動かない。
少し離れた場所でタクシーが燃えていた。車体はひしゃげ、原型を留めていなかった。
センパァイ。生きてるっスかァ。
炎上するタクシーの方から、アキラが血だらけの体を引きずりながらも向かって来る。
俺はなんとか体を起こす。
しないんスねえ。センパイはそれでも。匍匐前進、しないんスねえ。
ちげーのよ、事故は。結果的には同じかもしんねえけどよ。強制なんだよな。だからちげーんだよな、俺にとっては。事故はちげーんだよなあ。
意地っスよォ、それ。単なるセンパイの意地っスよォ。やりましょうよォ〜。匍匐前進しましょうよォ〜。どう考えても今はそれが最善じゃないっスかァ。
ちげーんだよなあ。最善とはちげえんだよなあ。そんな器用なものじゃねえのよ。
懐からタバコを取り出し、火をつけようとしたがライターがない。放り出された時に紛失したようだ。
アキラ、タバコの火ぃ持ってるか?
すみません。落としちまったみたいでス。
仕方ねえな。
俺は燃えさかるタクシーに近づきタバコに火をつけた。
こんな時でもうめえもんだな。アキラ、お前もどうだ。
ウス。頂きまス。
火をつけたタバコをアキラに咥えさせてやる。しかし呼吸が乱れているせいか、うまく吸えない様子だった。
タバコは違うっスよねえ。
まあなあ。タバコはちげーよ。カミさんに取り上げられちまったら、タバコはそれまでだからよ。
マジっスか。センパイ、奥様に言われたら、タバコやめちまうんスか。
そりゃそうよ。あいつには迷惑かけてきたからよ。タバコくらいはどうってことねえよ。
愛っスねえ。
でもあいつはなんも言ってこねえんだよなあ。たったの一度も、俺はあいつになにかをやめろなんて言われたことはねえんだよなあ。
いい女っスねえ。
ちげえねえなあ……。
もしかして、いい女っスか?
ちげーんだよなあ。いい女じゃねえんだよなあ。やっぱ男は一人でやってかなきゃいけねえ時があるからよ、いい女ではねーんだよなあ。
……センパイ、サツが来るらしいっスよ。
みたいだな。立てるか?
正直ムリっス。俺のことはいいんで、センパイは逃げてください。
ちげーんだよなあ。アキラ、それは真逆なんだよ。見捨てるのは全然ちげえのよ。だから俺は見捨てねえよ。肩貸せ。行くぞ。
ウス。センパイ、俺、センパイの下につけて幸せっス。
感謝もちげえのよ。感謝っつーのはそういうもんじゃねえのよ。これは大切なことだからよく覚えとけ。まあでも泣くことは、時にはそうかもしんねえなあ。
涙を流すアキラを支えながら歩く。とにかく、一旦どこかで落ち着こう。
制止してくる野次馬どもを振りほどき、路地裏に入る。善人面していつまでもしつこいやつらが数人いたが、拳銃を見せると逃げていった。
いくつもの室外機が唸る下り道を進む。
センパイ、拳銃は違うんじゃなかったんスか。
そう呟くように言ったかと思うと、アキラは自分の体を支えていた俺の腕をすり抜け、瞬く間に俺の手から拳銃を奪い坂道を転がり落ちていった。
勾配が緩かになっている場所でアキラの体は停止した。アキラは立ち上がれない。しかし、奪った拳銃を握り、その銃口を俺に向けるくらいのことは出来るようだった。
答えてくださいよォ、センパイ。
……お前のためだ。
銃声が響き俺の両足に激痛が走る。立っていられず、俺は地面に倒れ込んだ。
クソが! ちげーのよ。アキラ、よく聞け。バカでいいのはチンピラまでだ。バカはちげえのよ。だから――
ギィン、という音と共に顔のすぐ前のアスファルトに銃弾がめり込む。あと十数センチずれていたら俺の脳天が飛び散っていた。
狙ったんなら大した腕だ。意外な才能だな。
才能っスか。
才能は……
いいんスよォ。それはもう。それよりセンパイ、匍匐前進しましょうよォ〜。そろそろ見せてくださいよォ。センパイの匍匐前進をォ。
しねえよ。ちげーんだよ。匍匐前進はよ。
どうしてそんなに拒否するんスか。
知りたいか?
知りたいっス。
「それはな、必要ねえからさ」
アキラの握っていた拳銃は弾き飛ばされ、坂道を滑り落ちていく。
「さっさと捨てちまえそんなもん」
アキラは唖然とした表情で俺を見つめている。
なにしたんスか。センパイ。なにかが光ったのは見えたんスけど……。
隠し投げナイフだよ。
パネェ。
オラ。立て。サツが来るぞ。もう肩は貸せねえからな。
サツっスか。
ちげーんだよな。サツは。ちげえのよ。俺たちにとってはよお。
違うっスねえ。サツは。サツは違うっスねえ。