深夜、赤黒く王都への旅路
吸血鬼が求めている姫。
ハルタイトの中に、その心当たりはたった一つしか存在し得なかった。
あの、輝かしい少女。
しかし、目の前のハーフは彼女を目撃していない。
保護のために探し出すことは、彼には不可能だろう。
かといって、ここで自分が捜索に向かい、シーラスが王に異変を伝えに行くのも怪しまれる。
シーラスは半分とはいえ吸血鬼だ。
見下ろすと映る赤い目は、遥かに黒々としていて。
「すぐに行くぞシーラス。最後の馬車がもう出る頃だ!」
入ってきた方へ踵を返すハルタイト。
全く重そうだと思わせず、市場の戦利品を詰めた袋を持ち上げて歩きだす。
大柄な酒屋の息子が鳴らす石畳の音は、細い路地全体を引き締めた。
「ええ」
シーラスも薄い声を奏で、仲間である青年について出る。
途端、喧騒が耳を覆った。
どうやら静けさに隠れていたのは小路だけのようで、国際市場の大通りは未だ人で賑わっていた。
そこでハルタイトとシーラスは見事に人波にさらわれ、二人で共に行動することもおぼつかなく、急ぎ足もできないほどであった。
この海のゆったりとした観光気分の流れにのっているようでは出発に間に合わない。
「シーラス!大丈夫か!?」
「なんとか…!息はできます」
「次の横路に入るぞ」
「しかし、待合所はその方向では…」
「いいんだ。……俺は何度も来てるんだぞ?」
ハルタイトの笑む言葉に、シーラスは確信し
頷いた。
今の一瞬に、彼の父が心から頼って酒屋の使いを頼んだのだとにわかに感じ取った。
信頼されるべく人。
昼の国の同種が、彼で良かったと、その経営の風景がおのずと思い浮かべられ、そのまま歩き道に逸れた。
「待ってください!」
遠くからのよく通る声に、馬の上の御者は振り向いた。
夜のため、帰る人も少なかったのだろうか、彼は既に馬を引いて出ようとしていた。
嫌そうに口を曲げる彼に、駆け寄ってきたハルタイトは問うた。
「馬車、これで最後ですよね?」
「そうだけど、お客さんたち、泊まっていかないの?
宿屋ならその辺にいくらでもあるでしょ」
帰りたい、と顔に書いてある男に続いて告げるは蒼い半鬼。
「王都まで、急ぎでお願いします」
その返事として、軽い舌打ちと間の後、御者は古いかごをつんつんと指差した。
「乗っていきな」
「…!ありがとうございます」
御者の男はボロボロの車に乗り込む二人を一瞥しながら、寝かけの馬に渇を入れて吐き捨てるように言った。
「本当だったら、お客さんらみたいな吸血鬼は乗せない」
「あの、俺達は…」
「まあ、色々あるんだ。…許してやらあ」
ハルタイトの弁明を遮った声の、そのトゲの奥には、確かに情景が見えた。
「………」
「お客さんたちは、俺を捕って食うような雰囲気はしてないからな。
…王都まで、飛ばしても二時間はかかるし、旅の土産にでも、昔話をしてやるよ」
そして、御者は独り言のように、ウェーブのかかった髪を風に揺らしながらとつとつと語りだした。
「………俺はどこの生まれだと思う?
昼の国なら、とうに眠ってるだろ。
俺は夜の国から来たんだ。雇われさ。
まあ、来たってよりは、捨てられたって方が正しいな」
彼の瞳は揺れる夜の黒。
ハルタイトとシーラスは、真剣な表情で耳を傾けていた。
「この時代だろ。
金がなかったんだろうな、親はわざわざ俺を国境付近に運んで置いていった。
けど、これは聞いた話だ。
俺は布に包まるほどの小さな坊主でね、覚えちゃいないんだよ。
で、そこまではよくある話だな、だが、俺は拾われちまったんだよ…お節介さんがいたもんだ」
呆れてヒヒヒと御者が笑い声を上げた。
「いや、嫌いじゃないんだ。
その人が捨てられてた場所も教えてくれたしな。
………綺麗な女の人だったよ…透き通るような銀の髪と、大きな紅い目が特徴的でね。
彼女、孤児院を管理してたんで、俺はそこで育ったんだ。
聞いて驚くなよ…?
…その孤児院、吸血鬼がいたんだ。
子供のな」
「………!!」
「俺と同い年から、小さいのも大人に近いのも、いっぱいいたな。
良い奴ばっかりだったよ。
ま、そんなんで吸血鬼にはちょっとやそっとじゃビビらない耐性が付いたんだけどな」
「…その孤児院って、何処にあったんですか?」
「うーん、草原の奥だったかなあ、五年以上も前のことだし、詳しいことは忘れちまった。
そう、俺があそこを出る頃に、美人の少女が世話人として入ってきたっけな…。
…っおっと」
突然、馬車が走りを止めた。
何事かと箱の中の二人は、前を覗く。
「…危ねえな!急に出てくるなよ!!」
わざと声を荒げる御者の先に、暗闇に浮かぶ影があった。
目を細めて注視するシーラスはハッと気付いたように、隣のイレギュラーに話しかけた。
「ハルタイト、何か、怪しくないですか?」
「え…?」
「…おそらくあれは」
フッと鋭い風が駆け抜けていった。
それから、土に質量が落ちる音。
「吸血鬼です」
地に沈んだのは黒髪の頭。
紛れもなくそれは、御者の物であった。
「………紅い目…」
音を最小限にハルタイトは馬車を降り、鞘に手をかけた。
同じく降り立ったシーラスも、腰に隠したハープをそろりと取り出す。
「おやおや?あんたらも吸血鬼さんでは?
その攻撃的な表情はなんですか?」
血溜まりから丸を持ち上げて、クルクルと回す吸血鬼は異様なほど口角を上げて笑んだ。
ハーフどもは震えていた。
震えないはずがない。
このような気持ちの悪い殺気に包まれるのは、滅多にないことだった。
「…シーラス!やれるか!?」
「援護くらいなら」
それを聞くと、片方の半鬼は黙って走り出した。
強ばった手は既に剣を抜き出し、叩き斬らんと眼前の赤目を標的に据えていた。
「あら?なんで仕掛けてくるんです?」
切っ先の軌跡をひょいと避け、吸血鬼はいかにも余裕綽々という顔で言葉を紡ぎ、御者の首から垂れる血をペロリと舐めてから、それを投げ捨てた。
「いやあ~、旧友の血ほど美味しい物はないってね」
「!!…お前…!」
「おやおや?怖い顔は止めましょ?そのダサい剣もしまって?」
言うと、吸血鬼は己の黒光りする爪を剥がす。
痛みに微塵も顔を歪めず、むしろ恍惚とした表情で、更に細く伸びた唇が対象をハルタイトに呪文を唱え始めた。
_ごう、と異音が響く。
ハルタイトは怯み、とっさに半歩下がった。
明らかに、自然が発生させたものではない風が、黒曜の色をまとい、たちまち大きく渦巻いていく。
その暗黒色は二人を包み潰すようにこちらへ、視認が出来ぬほどの速さで飛んできた。
やばい、やられる。
そう思った矢先に
別の音が、ほんの横を掠めていった。
遅くなりました。第6話です。
次回投稿はもう少し早くなる予定ですので、今後ともよろしくお願いいたします。