魔王の森
僕は自分でもびっくりするくらい冷静だった。
狭い部屋の中で
マーヤの息づかいが
荒くなってくるのがわかる。
体を密着させている分
マーヤの小さい体から溢れる
不安や恐怖が僕の中へ流れ込んでくる。
僕の胸あたりまでしかないマーヤ。
細い肩を震わせるその姿は
いまはもっと小さく見えた。
いつも明るくて強気のマーヤは
何処へ行ってしまったのだろう。
こんな姿はこれ以上見ていられない。
「姫、出ましょう。奴らは僕を探してるようです。」
僕は少しでも早く終わらせようと思った。
マーヤは僕を見上げた。
その目は涙で潤んでいた。
守りたいと思った
僕になにが出来るのかわからなかったけれど。
ドアを開けた僕は
固かったはずの決意が揺らぐのを感じた。
厨房の様子は僕の予想を超えていたんだ。
城の厨房は広かったけど
それでも精々10人くらいだろうとおもってた。
でもドアを開けた僕の目の前には
その2倍は居たんだ、いや3倍かも。
手には短い槍を持っている。
そいつらの血走った目が
一斉に僕にあつまる。・・・怖い。
でもここまで来たら引き返せない。
僕はマーヤを背に
居並ぶ兵士たちを油断無く見回した。
そのとき
居並ぶ兵士の列から
緊張の糸を断ち切る声がした。
「まあ、そう怖い顔をなさらないでください。」
兵たちが一斉に振り返る。
その姿に気づくと、兵士たちは武器を納めて
道をあけた。
屈強な兵士たちの視線はまず後ろへ
そして下へと向けられる。
皆の反応を見ると
どうやらあの小男がボスみたいだ。
だけどその姿といったら
兵士というより経理部長といった感じ。
七三にキッチリ分けた髪型
背丈はマーヤとあまり変わらない。
でも黒ぶち眼鏡から覗く目は一部の隙もなく。
まっすぐに僕を射抜いていた。
「我々も手荒なまねはしたくございません。
どうかご同行願えますか?」
丁寧な言葉とは裏腹に
体からは殺気がみなぎっている。
さっきまで貼り付いていた作り笑いも
今は消えてなくなっていた。
数分後
僕の目の前には
悪趣味なほどキラキラ光る椅子に
足を組んで座っている女王が居た。
やたらと背もたれが高い椅子以外にも
部屋中に光るものが溢れていて
見ているだけで頭がクラクラする。
「ずいぶん手間掛けさせてくれたわね。」
そう言って立ち上がると
居並ぶ兵士たちを見回し
かるく手を振り
身振りだけで退室を促した。
僕とマーヤは後ろ手にロープで縛られて
これまた金ぴかの絨毯にひざまずかされていた。
厨房からここへ来る途中
隊長と名乗る経理部長
・・・いや経理部長のような隊長。
もう経理部長でいいや
その経理部長が
夕べ徹夜で捜索させられたことを愚痴っていたっけ。
その腹いせかどうかわからないけど
ちょっときつく縛りすぎじゃないか?
「わたくしはね、自分のしようと思っていることを邪魔されるのが何より嫌いなの。」
女王がそう言ったとたん
腕を縛るロープがさらにきつく締め付けてきた。
「ほんとうなら今頃、あなたはとっくに魔王の森に入っていて
魔王を退治している時間よ。」
腕が引きちぎられそうだ。
でも僕は絶対に声を上げたりするもんかと思っていた。
もしここで負けたら交渉の余地は無くなる。
なんとかして
マーヤだけはお咎め無しにしなくてはならない。
弱みは絶対見せるもんか。
痛みに耐えるのに必死だったせいで
あやうく聞き逃しそうになった、魔王を退治だって?
「少し遅くなったけどまあいいわ、これから行ってきてちょうだい。」
まるでお使いでも頼むように軽く言われても・・・
そもそも魔王っていったい・・・。
女王が軽く手を振ると
あんなにきつく締め付けていたロープが
するするとほどけて床に落ちる。
自由になった両腕をみると
見事にロープの跡が赤く腫れ上がっていた。
「すごく簡単なことよ、行って魔王に会うだけでいいの。それでおわり。
あなたは元の生活に戻れるし、あたくしは邪魔者がいなくなってせいせいするの。簡単でしょ?」
僕の沈黙を了解と受け取ったのだろうか。
経理部長を呼びつけて
後は任すと言い残すと
奥の部屋へと歩を進める。
「お断りします。」
僕の一言に女王の足は止まった。
経理課長は慌てて僕に歩み寄って
耳元でなにやらささやく
脅しだったろうか、なだめていたのだろうか。
でも僕の耳には届かなかった。
僕はまっすぐに女王をにらみつけ
もう一度はっきりといった。
「お断りします。あなたの言うことはどんな簡単なことでもやりません。」
最初は計算だった。
だけど
それはもうどこかへ行ってしまった。
わけがわからないまま
しかもあんな態度で頼まれて
言うことを聞く奴なんているもんか。
あんな嫌な女の言いなりになんて
絶対ならない。
女王は一つため息をつくと
出来の悪い子を哀れむように
目を細めて僕を見た。
「断ってどうするつもり?自力で帰れるの?
それともここに残って、羽なしとして惨めに生きる?
お情けで生かしてもらってるゴミになりたい?」
すぐそばで短く息を吸う音がした
振り向くと
そこにはマーヤの姿があった。
明らかに傷ついた顔をしていた
でもそれは一瞬で
次の瞬間には
まるで魂が抜けたように一切の表情を失って
ただ、女王をまっすぐに見つめている。
その目の奥に静かな怒りを讃えて。
そんなマーヤの様子には
一瞥もくれず
女王はゆっくりと僕に近づくと
耳元でささやいた。
「あなたは断ることは出来ないわ、
なぜならあたしくしはこの世界の神だから。
あたくしが可能だと思えばすべて可能なの。
あなたは魔王の元に向かうわ。必ずね。」
いったいどういう意味だろう
僕は絶対に行かないし、魔王なんて知ったことか。
女王は何事も無かったように
奥の部屋へ姿を消した。
「リョージ、行くわよ。」
姫が立ち上がって高らかと宣言する。
僕は自分の耳を疑った
マーヤは腕を縛られたままだったけど
まっすぐに僕を見る目は威厳に満ちていて
僕はその命令にあがらう術を持たなかった。
「もう決めたの、リョージが行かないならあたし一人でもいくわ。」
マーヤの視線は僕を離れて
女王の消えた場所を睨んでいる。
目に決意の炎を燃やして。
魔王の森は僕が想像していたのと違っていた。
森というからには木が密生していて
怪しげな動物の鳴き声が遠く聞こえたり
足元に化け物じみた虫が這い回って
行く手を阻んだり。
道なき道を下生えを掻き分けながら進んで・・・。
「リョージ置いてくわよ。」
そんな感慨をマーヤの一言がさえぎった。
女王の部屋からここまでの間
マーヤは一言も口をきかなかったので
久しぶりに声を聞いた気がした。
僕らは大きなかごに荷物のように詰め込まれ
力強く羽ばたく兵士たちによって森の外れまで運ばれた。
目的地まで運んでくれれば楽だったんだけれど
どうやらそれは無理らしい。
ここからは歩いていくように言われた。
最初に僕を城に運ぶ時も
こうしてくれれば少しはましだったのに。
マーヤはだいぶ先まで進んでいて
僕に声をかけた後も
歩みを止めることなく先を急いでいる。
それにしても奇妙な所だ
葉が生い茂った木々の姿はどこにもない。
小石混じりの砂の上に生えているのは
数本がお互いに絡まって
天高くまっすぐに上に伸びている緑色の蔦。
童話に出てくる不思議な豆の木のようだ。
触ってみると
表面は硬くて、ごつごつしていた。
夕べ僕の首を絞めた蔦にそっくりだが
大きさは比べ物にならないくらい大きい。
一本の太さは両手で輪を作ったくらいだけれど
それが絡み合っているので
かなりの太さになる。
密生していれば奥へ進むのは困難だっただろう。
だけど間隔はとても広くて邪魔にはならない。
果てしなく続くその景色は
見通しが良いから
あんなに遠くにいるマーヤも見える。
しまった
駆け足でマーヤに追いつくと
息を切らせながら木々の天辺へ目をやる。
経理部長は
僕らを送りだすとき
迷ったら木の頂を見るように言っていた。
確かにみな同じ方向を向いている
この指し示す所が
僕らの目指す森の中心。
魔王の住処だ。
リョージ達を無事運び終えた
経理部長こと辺境警備隊隊長は
その報告をする為
女王の部屋をノックした。
これで少し眠れると思うと
ほっとする。
毎晩続く魔王の攻撃で
ただでさえ寝不足なのに
夕べは一睡もしていない。
「お入りなさい。」
女王の応えを聞くと一礼して入室した。
「無事送り届けました。
歩きですので時間はかかると思いますが、
夕暮れ前には魔王の元へ到着するかと思います。」
下がるよう言われるのを待ちながら
とりあえず風呂に入って、何か軽く食べて寝ようと考えていると
「そう、じゃ全部片付いたらもう一度報告に来て頂戴。見つからないように見張るのよ。」
当然のように言い放つ女王の言葉を聞いて
それまで着慣れて体の一部と化していた鎧が
とてつもなく重くなっていく。
鎧の重さでもう立ち上がれないかもしれない。
しかしここで言うべき台詞は決まっている
たとえ
胸の紋章を剥ぎ取って
女王に投げつけたい衝動に駆られてもだ。
「すぐに向かいます。」
そう言って廊下に出ると
少しはなれたところで思い切り壁を蹴る。
蹴ったつま先を軽く振って
誰も見ていないのを確認する。
他に誰も居ない廊下を
少し肩を落として歩み去る後姿。
いつからそこにあったのか
隊長の肩に黒い羽が一枚。
ふわりと宙に浮いて
隊長の白い羽の間に滑り込んだ。