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断罪されたモブ令嬢ですが、放置されていた辺境で気づいたら聖域を作っていたらしいですよ?  作者: 九葉(くずは)


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第9話 議事録と、沈黙と、最後の報告

 あの日もらった議事録の写しを、わたしは一日も手放さなかった。


 馬車に揺られながら、何度も読み返した羊皮紙を膝の上に広げる。王都までの十日間、毎晩宿で読んだ。文字は擦れて薄くなっている。端がほつれて、折り目が深く刻まれている。


 この一枚が、わたしの全てだ。


 辺境で育てた薬草も、治した患者も、作った軟膏も──全部、この一枚の上に載っている。


『──あの辺境の地が再び栄えることがあるならば、余の不明を天下に認めよう』


 王太子アルヴィンの公式発言。断罪の場で、勝ち誇った声で言った言葉。議事録に記録され、全出席者が聞いていた。


 辺境は栄えた。


 あとは──それを、あの場で報告するだけ。



 領主会議場は、王城の東棟にあった。


 高い天井。石壁に掛けられた王家の紋章旗。長い楕円形の机が中央に据えられ、椅子が三十以上並んでいる。


 入口に立った瞬間、足が止まった。


(……ここに、あの人たちがいる)


 断罪の日と同じ空気がした。蝋燭の匂い。石の冷たさ。大勢の視線。


 ──違う。


 あの日は被告人だった。今日は、辺境管理官だ。


 議事録を胸の内側に押し当てて、一歩を踏み出した。


 末席に座った。当然だ。辺境の管理官は、出席者の中で最も格が低い。


 席についてから、会場を見渡した。


 正面の上座に──国王陛下。白髪交じりの髪。厳しい目。表情を読ませない顔。


 国王の右手に──王太子アルヴィン殿下。金の髪を後ろに撫でつけ、涼しい顔で座っている。その傍に、白い衣を纏った聖女ミリアーナ。穏やかな微笑み。慈悲深い聖女の顔。


 ──そして。


 国王の左手に。


 灰色の髪の青年が座っていた。


 王族の正装。白と紺の軍服に金の飾緒。あの執事服ではない。あの無表情でもない。


 第二王子クロード・ルクレシア殿下。


(……クロエさん)


 名前が、勝手に浮かんだ。違う。この人はクロエではない。第二王子殿下だ。辺境で棚を作り、薪を割り、茶を淹れた人ではない。


 ──でも。


 あの灰色の目が、一瞬だけこちらを見た。


 すぐに逸れた。



 領主たちの報告が順に進んだ。北方領。東部穀倉地帯。王都近郊。


 わたしの番が来た。


「辺境管理困難領、管理官リーネ・ヴァレンシュタイン。報告をお願いいたします」


 立ち上がった。膝が震えていないことを確認してから、口を開いた。


「辺境管理困難領の年次報告を申し上げます」


 数字を並べた。


 薬草園の栽培面積。精製した薬草の品種と数量。診療所の患者数──年間で延べ二百四十三名。治癒した慢性疾患の症例数。隣領への薬草供給量。村の雇用者数。


 数字だけ。事実だけ。感情は一切入れなかった。


 ──会場が、静かになった。


 最初の数字が出た時点で、誰かが小さく息を呑んだ。患者数が出た時には、隣の席の領主が顔を上げた。隣領への供給量が出た時には、ざわめきが広がった。


(知らなかったでしょう。辺境が、こんなことになっているなんて)


 報告を終えた。全ての数字を読み上げ終えた。


 ──ここからだ。


「もう一点、ご報告がございます」


 懐から、議事録の写しを取り出した。


 擦り切れた羊皮紙。折り目だらけの、あの一枚。


「これは、わたしが断罪された日の宮廷裁判の議事録の写しです。被告人の権利として、当日に写しを請求し、正式に受領したものです」


 会場が──凍りついた。


「議事録には、王太子殿下の公式発言が記録されております」


 読み上げた。


「『あの辺境の地が再び栄えることがあるならば、余の不明を天下に認めよう』」


 沈黙。


 王太子アルヴィンの顔から、涼しさが消えた。


「辺境は栄えました。薬草園は稼働し、診療所には連日患者が訪れ、隣領の伯爵閣下にも薬草を納品しております。先ほどの数字の通りです」


 それ以上は言わなかった。


 言う必要がなかった。議事録が、数字が、全てを語っている。


 王太子は──口を開かなかった。開けなかった。自分の言葉に縛られている。あの日、勝ち誇って吐いた言葉に。



「──陛下、発言の許可をいただきたい」


 声がした。


 低い声。聞き覚えのある──でも、あの辺境で聞いた時よりずっと通る声。


 クロードが立ち上がっていた。


「第二王子クロード・ルクレシア。父王陛下の密命により、辺境管理困難領の実態調査を行いました。調査結果を報告いたします」


 会場がざわめいた。


(密命……)


 国王が頷いた。「許可する」


 クロードが壇上に進み出た。手に書類を持っている。あの手帳──辺境で毎晩書いていた手帳ではなく、正式な報告書の束。


「調査の結果、辺境管理官リーネ・ヴァレンシュタインへの断罪は冤罪であると結論します。根拠は二点」


 一つ目。


「聖女ミリアーナ殿の託宣に基づく断罪ですが、当該託宣日の神殿祈祷記録を照合した結果、不整合が確認されました」


 書類を一枚、机の上に広げた。


「神殿の規定では、託宣には事前に七十二時間の連続祈祷が必要です。しかし、当該日の祈祷記録には十二時間分しか記載がありません。記録は神殿の公文書であり、事後の改竄はできません」


 ──静寂。


 ミリアーナの顔が、白くなった。


「そんなはずは──」


 立ち上がりかけたミリアーナを、国王の視線が押し戻した。


「記録は公文書です」


 クロードの声には、感情がなかった。あの辺境で茶を淹れていた人と同じ──抑制的で、正確で、冷たい声。


 二つ目。


「さらに、聖女殿の治癒魔法の効果範囲について。隣領ブラント伯爵閣下の慢性関節痛は、聖女殿の治癒を受けた後に再発しております。同症例を辺境管理官リーネ殿の薬草治療で根本治療した事実があり──」


「異議なし。証人として発言する」


 ──ブラント伯爵が立ち上がった。


 あの実直な顔。日焼けした肌。白髪交じりの髭。


「わしの膝は、聖女様の治癒で三ヶ月で再発した。辺境の薬師リーネ殿の軟膏で根本治療された。──事実だ。今もこうして、杖なしで立っている」


 会場のどよめきが、大きくなった。


 王太子の顔が──歪んだ。ミリアーナの手が、膝の上で震えていた。



 国王が立ち上がった。


 会場が静まった。


「第一に。王太子アルヴィンの断罪は、聖女の託宣に基づくものであるが、当該託宣の正当性に疑義が生じた。断罪の再審査を命じる」


「第二に。聖女ミリアーナの聖女認定について、祈祷記録の不整合が確認された以上、聖女認定の再検証を命じる」


「第三に。辺境管理官リーネ・ヴァレンシュタインの名誉を、ここに回復する」


 ──名誉回復。


 三つの言葉が、会場に落ちた。


 わたしは──立ち上がった。


 膝は震えていない。声も震えていない。


「辺境の報告は以上です」


 それだけ言って、頭を下げた。


 振り返って、歩き出した。末席の横を通り、扉に向かって。


 後ろから視線を感じた。何十人分もの視線。でも──振り返らなかった。


 足が動いている。ちゃんと動いている。一歩、二歩、三歩。扉が近づく。


(泣くな。泣くな。泣くな)


 今は泣かない。断罪の日も泣かなかった。今日も泣かない。


 扉を開けて、廊下に出た。



 廊下は、静かだった。


 石壁に自分の足音だけが反響する。高い窓から午後の光が差し込んで、埃が金色に舞っている。


 ──足が止まった。


 廊下の角から、人が出てきた。


 灰色の髪。白と紺の軍服。金の飾緒。


 クロード。


 二人きりの廊下で、五歩の距離を隔てて、向かい合った。


 クロードの口が──動いた。


 何かを言おうとした。唇が開いて──。


 廊下の向こうから、足音が聞こえた。貴族たちが会場から出てくる気配。


 クロードの口が──閉じた。


 結局、何も言わなかった。


 あの人はいつもそうだ。言葉を持たない。手で話す人。棚を作り、薪を割り、茶を淹れ、外套をかけ、使者の前に立ちはだかり、この壇上で報告書を読み上げた──全部、行動で。


 でも今、わたしが欲しいのは──。


(……いや、今はいい)


 クロードの目を見た。灰色の目。蝋燭の光ではなく、午後の陽が射し込んでいる。その目が──揺れていた。


(この人は、兄の前で、全ての貴族の前で、王太子の弟としての立場を捨てた)


 密命を公開した。調査結果を報告した。それは──調査員の義務では、ない。


 王太子は兄だ。兄の誤りを公の場で突きつけた。王族としての中立を捨てた。


 わたしの名誉のために。


(あれは──全部嘘じゃなかった、ということ?)


 棚も。薪も。茶も。外套も。あの「──違う」も。


 答えは──まだ分からない。


 でも。


 わたしは、小さく頭を下げた。


「……報告、ありがとうございました。殿下」


 殿下。クロエさんではなく。


 クロードの目が──一瞬、痛そうに細まった。


 それから、頷いた。何も言わずに。


 足音が近づいてくる。貴族たちが廊下に溢れ始めている。


 わたしは背を向けて、歩き出した。


 王城の出口へ。馬車乗り場へ。辺境へ。


 ──帰ろう。


 わたしの場所に。薬草が待っている。患者が待っている。ルカが待っている。トマスが待っている。


 そして──あの人が残してくれた棚が、まだあそこにある。


 議事録の写しを、もう一度胸の内側に押し当てた。


 擦り切れた紙が、ほんの少しだけ──温かかった。

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― 新着の感想 ―
文の流れ的に託宣というのは主人公を断罪した神託のことではなく、聖女を認定する神託なのでしょうか? 聖女の認定を取り消す事態に陥ったのは神託が疑わしいからなのか、効果が3ヶ月しかない治癒能力では聖女の基…
「王弟」の使い方に、何か、作者様の意図があるのかもしれませんが、基本的な意味としては、「現在の国王の、弟」です。故に、、ここは、「王太子の弟」若しくは「未来の王の弟」と 表現した方が良かったのかなと思…
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