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断罪されたモブ令嬢ですが、放置されていた辺境で気づいたら聖域を作っていたらしいですよ?  作者: 九葉(くずは)


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第17話 サロンの戦い

 「ようこそ、リーネ様。──今日は、忌憚のないお話を伺えればと思いまして」


 レギーナ・モルゲン子爵夫人の微笑みは完璧だった。完璧すぎた。


 王都の一等地に建つモルゲン子爵邸。二階のサロンは、油灯の暖かい光と花の香りに満ちている。壁には薄い金の壁紙、窓には重たい絹のカーテン。椅子は円形に並べられていて、二十人ほどの貴族夫人が扇を手に座っている。


(罠だ)


 分かっている。


 クロエさんが「向こうから仕掛けてくる」と言ったのは二週間前。王都に到着した翌日に、花束と招待状が届いた。『薬草医療の可能性について、リーネ様のお考えを伺う茶話会を催したく──』。差出人はレギーナ・モルゲン子爵夫人。


 モルゲン。あの手帳に書かれていた名前。毒の調達ルートがモルゲン家の使用人に繋がっていた──あの、モルゲン。


(行かないほうがいいのは分かっている)


 でも──断れなかった。


 社交界のサロンは、貴族の夫人たちが世論を作る場所だ。ここで発言する機会を逃せば、「辺境の薬師は社交の場から逃げた」と言われる。噂で壊されたものを取り戻すには、噂が生まれる場所に行くしかない。


「お席はこちらに」


 レギーナが案内したのは、円の中央に近い椅子だった。全方位から視線が注がれる位置。


(ステージに立たされてる)


 座った。背筋を伸ばした。膝の上に薬箱を置いた。──ここに来ると決めた時から、持ってきた。


 クロエさんは壁際に立っていた。黒い上着に白い襟。執事──いや、護衛の姿で。手帳は持っていない。灰色の目が、サロンの空気を静かに読んでいる。



「さて、リーネ様」


 レギーナが口火を切った。四十代半ば。栗色の巻き髪に真珠の耳飾り。上品で、教養があり、声の通し方が絶妙にうまい。この人の言葉は、サロンの全員に自然に届く。


「薬草医療のご活躍、お噂はかねがね。辺境から全領への普及を目指していらっしゃるとか」


「はい。国王陛下の勅命をいただいております」


「素晴らしいこと。──ただ」


 レギーナの微笑みが、ほんの僅かだけ変わった。唇の角度は同じ。でも──目の温度が下がった。


「先日の毒混入事件について、ご説明いただけますかしら」


 来た。


「薬草院から出荷された薬に毒が混じっていたと聞きましたわ。患者が体調を崩されたとも。──安全性について、皆様もご心配かと思いますの」


 周囲の夫人たちが、扇の陰で頷いている。仕込まれている。この質問が出ることを、全員が知っていた顔だ。


「毒の件については、ブラント伯爵閣下の名で分析結果をお出ししています」


「ええ、拝見しましたわ。外部から持ち込まれた毒だと」


「はい。辺境の薬草園にトリカブト系の植物は存在しません。毒は──」


「でも、混入されたのは事実ですわよね?」


 別の夫人が口を挟んだ。五十代の恰幅のいい女性。扇を閉じて、わたしを正面から見ている。


「経路がどうあれ、薬草院の名前で出荷された薬で患者が苦しんだ。それは事実ですわ」


「おっしゃる通りです。出荷管理の問題は──」


「管理が甘かったのでは?」


 また別の夫人。若い金髪の女性が、薄い笑みを浮かべている。


「辺境のご出身でいらっしゃるんですものね。大規模な流通には不慣れでいらっしゃるのかしら」


(……四面楚歌だ)


 声が、四方から飛んでくる。扇の陰から。微笑みの裏から。上品な言葉に包んだ刃が、丁寧に、正確に、わたしの急所を突いてくる。


 社交のルールが分からない。どう返せば角が立たないか、どう笑えば場が収まるか──前世でも今世でも、わたしはそういうものを持っていない。


(でも)


 膝の上の薬箱に、手を置いた。


(わたしには、これがある)


「──失礼ですが、どなたか、慢性のお痛みを抱えていらっしゃる方はいませんか」


 サロンが──静まった。


 質問が、想定外だったのだ。議論を仕掛けてきた夫人たちの顔に、一瞬だけ空白が走る。


「薬草の安全性を言葉でご説明するより、効果を見ていただくのが一番早いと思いまして」


 レギーナの目が──細くなった。


 沈黙が続いた。誰も名乗り出ない。当然だ。追放された令嬢の薬を、この場で試す勇気のある人は──。


「……わたくしが」


 声がした。円の端に座っていた、白髪の夫人。六十代くらいだろうか。背筋がまっすぐで、顔に深い皺が刻まれている。


「腰が悪いの。もう十年。聖女様の治癒でも半年で戻るし、最近は立ち上がるのも辛くて」


「ノイマン伯爵夫人……」


 レギーナの声に、微かな焦りが混じった。


「いいじゃないの、レギーナ。薬草が危ないかどうか、この場で分かるんでしょう?」


 ノイマン伯爵夫人が立ち上がった──いや、立ち上がろうとして、腰に手を当てた。


「ほら、こんな具合よ」


 苦笑いしている。この人は──仕込みではない。本当に痛いのだ。


「失礼いたします」


 薬箱を開けた。


 銀葉草の消炎成分。カノコソウの筋弛緩剤。ヨモギギクの鎮痛精油。三つの薬草を石臼で擦り、混ぜ合わせる。


 サロンの全員が──見ていた。


 扇が下ろされている。囁き声が止まっている。わたしの手元を、二十の視線が追っている。


(ここがわたしの戦場だ)


 言葉では勝てない。社交では勝てない。でも──手なら。薬草なら。


 軟膏が仕上がった。ノイマン伯爵夫人の腰に、許可を得て塗り込む。三層に分けて。丁寧に。ブラント伯爵の膝を治した時と、グラーフ侯爵の夫人の首を治した時と、同じ手で。


「……温かいわ」


 伯爵夫人が目を閉じた。


 五分。


 十分。


「あら」


 伯爵夫人の目が──開いた。


「あら……あら、あら」


 立ち上がった。


 腰に手を当てていない。まっすぐ立っている。十年ぶりに──。


「痛みが……消えているわ。嘘みたい。こんなに楽なの、何年ぶりかしら」


 サロンが──ざわめいた。


 扇が落ちた音がした。誰かが小さく息を呑んだ。隣同士で顔を見合わせる夫人たちの目が──変わっていた。


 ノイマン伯爵夫人がわたしの手を握った。皺だらけの、でも力強い手。


「ありがとう。──本当に、ありがとう」


 空気が、変わった。


 風向きが変わるように。一気にではなく、でも確実に。



「しかし──毒事件は」


 レギーナの声が割り込んだ。


 まだ笑っている。完璧な微笑みを崩さない。でも──声が、わずかに高い。


「目の前の効果はともかく、流通の安全性が確保されていない以上──」


「こちらは第二王子クロード・ルクレシアです」


 ──声がした。


 壁際から。


 低い声。サロンの空気を一音で切る、あの声。


 振り返る暇もなかった。クロエさんが──クロードが、壁際から一歩前に出ていた。背筋がまっすぐ伸びて、灰色の目がサロンの全員を見渡している。


「薬草院の護衛を務めております。──国王陛下の勅命により」


 サロンが凍った。


 扇を持つ手が止まった。椅子から腰を浮かせかけた夫人がいた。レギーナの微笑みが──初めて、崩れた。


 第二王子。


 王族が──この場にいた。護衛として。辺境の薬師の、護衛として。


「薬草院の活動は、国王陛下の勅命に基づく国家事業です。流通の安全性については、王家が責任を持って監督いたします」


 クロードの声は──静かだった。怒っていない。責めてもいない。ただ、事実を述べている。


 でもその事実が──この場の全てを変えた。


「王族が薬草院を支持している」。その事実が。


 サロンの夫人たちの目が──変わった。レギーナを見る目が。さっきまで「毒事件は?」と追及していた夫人たちが──黙っている。


 レギーナが──孤立していた。


 自分のサロンで。自分が仕掛けた罠の中で。


「……本日はありがとうございました、リーネ様。大変勉強になりましたわ」


 レギーナの声は平静だった。完璧な社交術。表情を崩さず、声を震わせず、優雅に場を閉じようとしている。


 でも──目の奥が、冷たく光っていた。



 サロンを出て、廊下に出た。


 秋の夕暮れの光が、高い窓から差し込んでいる。石の廊下に、わたしとクロードの足音だけが響く。


「……クロエさん」


「はい」


「あれは──事前に、決めていたんですか。正体を明かすこと」


「いいえ」


 短い返事。


「あの場で判断しました」


 ──つまり、計画ではなかった。サロンでわたしが追い詰められているのを見て、その場で──。


(この人は、自分の正体を武器にした。わたしを守るために)


 第二王子が辺境の薬師を庇護している。──その事実が社交界に広まれば、クロード自身にも影響が出る。王族が特定の平民に肩入れしていると見なされる。政治的な──。


「殿下、あの──」


「クロエです」


 低い声。廊下の石壁に反響して、少しだけ柔らかくなった。


「ここでは、クロエです」


(……ああ、もう)


 この人は──。


 言葉にならなかった。ありがとう、と言えばいいのか。ごめんなさい、と言えばいいのか。あなたは何を失ったのか、と聞けばいいのか。


 何も言えないまま、並んで廊下を歩いた。足音が重なっている。わたしの靴音と、クロエさんの靴音と。


 ──廊下の曲がり角で、伯爵邸の使用人が走ってきた。


「クロード様──宮廷より、至急のお手紙です」


 封蝋のついた書状が手渡された。王家の紋章。


 クロエさんが封を切った。目が──紙の上を走る。


 表情が消えた。


 さっきまであった──「クロエです」と言った時の、あの僅かな温度が。全部、消えた。雪の彫像に戻ったように。


「……何が書いてあるんですか」


 聞いた。聞かずにいられなかった。


 クロエさんは書状を畳んで、懐にしまった。


「──些事です」


 嘘だ。


 この人が表情を消す時、それは「些事」ではない。辺境で深夜に密使が来た時と同じだ。拳を握りしめる音が聞こえた、あの夜と──。


 でも、聞けなかった。


 クロエさんは──もう、わたしの方を見ていなかった。灰色の目が、廊下の先の暗がりに向けられている。何かを──考えている。


 秋の夕暮れが、窓の向こうで燃えていた。


 サロンで勝った。薬草で答えを出した。ノイマン伯爵夫人の腰痛を治した。レギーナを孤立させた。


 ──なのに。


 隣を歩く人の横顔が、どこか遠く見えた。

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