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断罪されたモブ令嬢ですが、放置されていた辺境で気づいたら聖域を作っていたらしいですよ?  作者: 九葉(くずは)


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第15話 毒と真実

 「これは、トリカブト系のアルカロイドだ」


 指先に残った粉末を見つめて、確信した。


 伯爵邸の作業室。窓から差し込む朝の光の下に、辺境から届いた薬草の束が広げてある。二日かかった。ブラント伯爵の伝令馬を使って、辺境のトマスから現物を取り寄せた。


 薬草の束は、一見すると──何も変わらない。乾燥させた銀葉草。フユハッカ。カノコソウの根。わたしが辺境で精製して、各領に出荷したものと同じ。


 でも。


 束を解いた時、葉の間に──微かに黄色がかった粉が混じっていた。


 指先で少量を取り、舌の先にほんの僅かだけ触れさせた。


(……痺れる)


 舌先が、じんと麻痺する感覚。前世の毒物学の講義で、教授が「絶対に飲み込むな」と念を押しながら見せてくれた標本と同じだ。アコニチン系のアルカロイド。トリカブトの根から抽出される猛毒。


 すぐに口を濯いだ。


「リーネ殿」


 クロエさんの声が──鋭かった。作業室の反対側で手帳を開いていたのに、わたしが粉を舌に触れさせた瞬間、椅子から立ち上がっていた。


「大丈夫です。量はごく微量ですから。──でも、確認できました」


 石臼の上に粉を広げた。すりこぎで細かく砕いて、水に溶かす。溶解の速度、色の変化、沈殿の有無。


(水溶性が低い。結晶構造が残っている。精製度は高くない──つまり、根をそのまま乾燥させて粉にしただけ)


 前世の知識が回る。アコニチン系アルカロイドの精製法と性質。この粉は、専門家が作ったものではない。薬種商が取り扱う、原料段階の毒物だ。


「トリカブト系の毒です。具体的にはアコニチンに近い成分。少量でも嘔吐と腹痛を起こしますが、致死量には遠い。──南部の患者さんが命に別状なかったのは、混入量が少なかったからです」


 クロエさんが手帳にペンを走らせている。わたしの言葉を一語一句、書き留めている。


「ここからが大事です」


 棚に並べた薬草の瓶を見回した。辺境から持ってきた薬草の標本。畑で育てたものの見本。全部──わたしが植えて、摘んで、乾燥させたもの。


「辺境の薬草園に、トリカブト系の植物は存在しません」


 断言した。


「わたしが一年以上かけて薬草園の全区画を管理しています。植えた品種は全て記録してある。トリカブトの仲間は一本も植えていないし、辺境の自生地にも分布していません。銀葉草の群生地は北側の岩場で、トリカブトが好む環境とは全く違う」


 声が──通った。震えていない。


 昨日まで震えていた。トマスの手紙を受け取った時、膝が笑って、指先が冷たくなって。「わたしの薬が人を傷つけた」という言葉が、頭の中でぐるぐる回って──眠れなかった。


 でも今は、違う。


 わたしは植物学者だ。この手は標本を作り、成分を分析し、論文を書いてきた手だ。前世の研究室で何百回とやった作業を──今、ここでやっている。


「この毒は、辺境の外から持ち込まれたものです」


 クロエさんのペンが止まった。灰色の目がわたしを見ている。


「さらに──この粉の精製度から判断すると、薬種商が扱う原料そのものです。一般の農家が入手できるものではありません」


「流通経路が限られる、ということですか」


「はい。トリカブト系の毒物を原料段階で取り扱う薬種商は──前世の知識を参考にすれば──専門の許可が必要なはずです。この世界でも似た規制があるなら、取り扱い業者は多くない」


 クロエさんが頷いた。


「王都近郊に薬種商の組合があります。トリカブト系の原料を扱える業者は──三軒」


(三軒)


「辺境から出荷した薬草の荷が、各領に届くまでの中継地点は四箇所。そのいずれかで、荷に粉を混入した人間がいる」


 クロエさんの声が──冷たかった。いつもの抑制的な声とは違う。切れ味がある声。


「薬種商三軒と中継地点四箇所を照合すれば、混入のタイミングと経路が──」


「特定できます」


 わたしとクロエさんの目が合った。


(この人は、もう動いている)


 毒の報せが届いた時から──いや、もしかしたらそれ以前から。手帳に数字を書き続けていたのは、こういう時のためだ。



 ブラント伯爵の書斎は、重厚な木の匂いがした。


「外部犯行、か」


 伯爵が分析結果の書面を読み終えて、顎髭を撫でた。


「辺境の薬草園にトリカブトは存在しない。毒は王都近郊の薬種商から出た原料。──これは明確だな」


「はい。薬草院の薬草そのものは安全です。混入されたのは、出荷後──各領への輸送途中のどこかで」


「証拠は」


「毒の粉末の現物と、辺境の薬草園の全品種記録。それに、わたしの分析結果の文書です」


 伯爵がわたしを見た。あの実直な目。


「リーネ殿。これを関係領主に配布するぞ」


「閣下──」


「わしの名前で出す。『ブラント伯爵の調査により、辺境の薬草は安全と確認された。毒は外部から持ち込まれたものである』と」


 伯爵が机を叩いた。どん、と低い音が書斎に響く。


「わしの膝を治してくれた薬を、誰かが汚した。──許さん」


 声に力がこもっていた。実直な人だ。自分の身体で薬草の効果を知っている人だから──嘘と事実の区別がつく。


「ありがとうございます、閣下」


「礼はいらん。事実を広めるだけだ」


 伯爵がペンを取って、書面に署名した。伯爵の紋章の封蝋が押される。重い。この封蝋は──グラーフ侯爵のような慎重な領主にも、無視できない重さを持っている。


(噂で壊されたものを、証拠で取り戻す)


 数字と事実。わたしが持っている武器は、いつもそれだけだ。



 分析結果が各領に届いたのは、それから三日後のことだった。


 伯爵領に滞在しながら、わたしは毎日の治療を続けていた。伯爵領の農夫たちの腰痛、関節痛、慢性の皮膚炎。一人ずつ診て、薬を調合して、記録をつける。


 ──風向きが変わった。


「辺境の薬は危険だ」。そう囁かれていた噂が──「じゃあ、毒を入れたのは誰だ」に変わった。


 分析結果が効いたのだ。ブラント伯爵の名前で出した文書は、社交界の噂より重い。事実は──噂に勝つ。


(でも、まだ終わってない)


 犯人が分かっていない。誰が、なぜ、わたしの薬草に毒を混ぜたのか。



 夜。


 伯爵邸の客室で、精製ノートを書いていた。


 今日の治療記録。農夫の腰痛に使った軟膏の配合比。銀葉草の消炎成分の濃度──いつもの作業。でも頭の片隅で、ずっと毒のことを考えている。


 誰が。なぜ。


(神殿の通達と、タイミングが合いすぎる)


 辺境を出発した直後に神殿の通達が出て、各領を巡っている最中に毒混入事件が起きた。「辺境の薬は危険だ」と噂を流すのに──これ以上ないタイミング。


 偶然だろうか。


 偶然なわけがない。


 ──扉を叩く音がした。


 開けると、辺境から来た連絡役の男が立っていた。トマスが寄越した、村の若い衆だ。毒入りの薬草を届けてくれた男。帰りの馬の準備ができるまで、伯爵邸に泊まっている。


「リーネ先生、ちょっと」


「どうかしましたか」


「いや、大したことじゃないんだが──先生に伝えておこうと思って」


 男は頭を掻いた。


「昨夜、おれ、馬の世話で遅くまで起きとったんだけど。あの王都のお兄さん──クロエさん、だっけ。あの人、ずっと先生の部屋の前に立っとったよ」


「……え」


「窓の方ばっかり見てなさった。おれが声かけようかと思ったんだけど、なんか──邪魔しちゃいけない感じで」


 窓の方。


 わたしの部屋の──窓の方。


「何時頃ですか」


「夜中の二時くらいから、明け方まで。おれが馬小屋を出た時にはもういなかったけど」


(──一晩中?)


 連絡役の男が去った後、窓辺に立った。


 中庭が見える。昨夜、クロエさんはここから見える位置に立っていたのだ。秋の夜。吐く息が白くなるほど冷える、あの時間に。


 扉を出て、廊下を歩いた。


 クロエさんの部屋の前で足を止めた。扉を叩く。


「はい」


 開いた。クロエさんが立っていた。手帳を持ったまま──まだ起きていた。


「昨夜、外にいましたか」


 灰色の目が──一瞬だけ、揺れた。


 ほんの一瞬。瞬きひとつ分。


「警備の一環です」


(嘘だ)


 護衛なら、出入口を見張るはずだ。わたしの部屋の窓を──ずっと見ている理由にはならない。


 でも、追及しなかった。


 この人に「嘘でしょう」と言えば、口を閉ざすだけだ。それは分かっている。


「……風邪を引きますよ。秋の夜は冷えるんですから」


「ご心配なく」


「心配しますよ。毒の分析で手一杯なのに、護衛の人に倒れられたら困ります」


 クロエさんの指先が──手帳の背表紙の上で、微かに強張った。


「……善処します」


「善処じゃなくて、部屋で寝てください」


「……」


 沈黙。


 この人の沈黙は、否定でも肯定でもない。ただ──言葉が見つからない時の沈黙だ。


(まったく)


 ため息をひとつ吐いて、自分の部屋に戻った。


 寝台に入って、目を閉じる。


 ──窓の方ばっかり見て。


 連絡役の言葉が、頭の中で繰り返された。


(護衛なら出入口を見るでしょう。窓を見る意味は──)


 考えかけて、やめた。


 今は毒の件が先だ。犯人を特定しなければ。流通経路を辿って、薬種商を割り出して──。


 目を閉じたまま、分析の手順を頭の中で組み立てていく。明日、クロエさんに薬種商の情報を聞こう。あの人なら──王都の流通網に詳しいはずだ。


(わたしにできることをする。目の前のことを)


 いつもそうだ。モブにはモブのやり方がある。数字と証拠で、一つずつ。



 翌朝。


 作業室でクロエさんと向かい合った。


「薬種商の調達記録を辿れますか」


「すでに手配しました」


 ──早い。


「王都近郊の三軒の薬種商に、過去三ヶ月の取引記録の開示を求めています。伯爵閣下の名前で」


「ありがとうございます。結果はどのくらいで」


「早ければ十日。遅くとも二週間」


 クロエさんが手帳を開いた。


 ページが捲られて──わたしの目に、一行が映った。


 名前が書かれていた。クロエさんの右に傾いた几帳面な字で。


 レギーナ・モルゲン。


「……誰ですか、この人」


 クロエさんの手帳が、すっと閉じられた。


「まだ確定ではありません。──調査中です」


 それ以上は語らなかった。


 わたしは聞かなかった。この人が「まだ」と言ったなら、まだなのだ。確定した時に教えてくれる。そういう人だ。


 でも──あの名前は、頭の隅に残った。


 レギーナ・モルゲン。


 窓の外では、秋の風がブラント伯爵領の丘を撫でていた。黄色い花が揺れている。あの日ディルクがくれた花と、同じ種類の。


 平穏な景色だった。


 その下で──誰かが、わたしの薬草を汚した。

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