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断罪されたモブ令嬢ですが、放置されていた辺境で気づいたら聖域を作っていたらしいですよ?  作者: 九葉(くずは)


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第12話 最初の証明

 「──追放された方でしたか。お噂は伺っております」


 グラーフ侯爵の声には、温度がなかった。


 応接間は広かった。磨かれた石の床に、重厚な木のテーブル。壁には東部穀倉地帯の豊穣を描いた油彩画が掛けられていて、窓から差し込む秋の光がその金色の麦畑を照らしている。


 辺境の診療所とは別世界だ。


「王国薬草院院長、リーネ・ヴァレンシュタインです。このたびは国王陛下の勅命により──」


「ええ、ええ。勅命は拝受いたしました」


 侯爵が片手を上げて、わたしの言葉を遮った。五十代半ば。銀縁の眼鏡の奥の目は細く、口元には薄い笑みが貼りついている。穏やかな顔。でも──目が笑っていない。


(品定めしてる)


 分かる。わたしを値踏みしている。「追放された令嬢」が「勅命を受けた院長」として現れたことへの、慎重な──いや、冷淡な査定。


「辺境で薬草を育てて、隣の領主の膝を治したとか。大変ご立派なことですな」


 褒めているのに、声が乾いている。


「しかし──薬草で万事解決、というわけにもいかないでしょう。聖女様の治癒があれば、大抵の症状は」


「お言葉ですが、侯爵閣下」


 口を挟んだのはわたしではなかった。


 わたしの後ろに控えていたクロエさんが、一歩も前に出ずに──声だけを通した。


「ブラント伯爵閣下より、紹介状をお預かりしております」


 封蝋のついた書状が、テーブルの上に置かれた。


 侯爵の眉が動いた。


 ブラント伯爵。隣領の領主で、王国の中でも実直さで知られる人物。その人が紹介状を出した、という事実が──侯爵の目の温度を、ほんの僅かだけ変えた。


「……ブラント伯爵が? あの堅物が?」


 封蝋を割って、中身を読む。侯爵の眼鏡の奥の目が──止まった。


「伯爵閣下の慢性関節痛を根本治療した、と。聖女様の治癒で再発した症例を」


「はい」


「……ふむ」


 紹介状を閉じて、テーブルに戻した。指先で顎を撫でながら、わたしを見る。


 ──目の色が変わっていた。冷淡さは残っている。でも、ほんの僅かに──興味が混じった。


「実は──妻が頭痛に悩んでおりましてな」



 侯爵夫人の私室は、甘い花の香りがした。


 ラベンダーの匂い袋。枕元にいくつか置いてある。頭痛の緩和のためだろう。効果はあるが、根本的な解決にはならない。


「半年ほど前から、ひどい頭痛が続いておりまして」


 夫人は寝台に腰かけていた。四十代後半。品のいい顔立ちだが、目の下に深い隈がある。眉間に刻まれた皺は、痛みを堪え続けた証だ。


「聖女様の治癒を二度受けました。その直後は楽になるのですが、二週間もすると──」


「再発する」


「はい。前より、ひどくなることもあります」


(やっぱり)


 ブラント伯爵と同じだ。治癒魔法は症状を消す。でも原因を断たないから、必ず戻ってくる。


「失礼します。首を触らせていただいてもよろしいですか」


 夫人が頷いた。


 首の後ろに手を当てた。筋肉が──硬い。石のように硬い。特に左側の僧帽筋が盛り上がっていて、押すと夫人が小さく息を呑んだ。


「こ、ここが……ずっと重いんです」


「ここですね」


 指先で筋肉の走行を辿る。頸椎の両側に、ぱんぱんに張った筋の塊がある。


(緊張型頭痛。原因は頸部の筋緊張──姿勢と血流の問題だ)


 前世の知識が回る。刺繍や読書をする際の前傾姿勢。貴族の夫人なら、日常的にそういう作業が多い。長時間同じ姿勢を続けることで頸部の筋肉が硬直し、血流が悪化して──頭痛が慢性化する。


 治癒魔法は痛みを消せる。炎症を一時的に抑えられる。でも、筋肉の硬直そのものは治さない。


「夫人、少しお時間をいただけますか。軟膏と湿布を作ります」


 薬箱を開けた。


 カノコソウの筋弛緩成分を主軸に。ヨモギギクの鎮痛精油を少量加えて、フユハッカの清涼成分で血行を促進する。前世で研究していた配合比を、この世界の薬草の濃度に合わせて調整する。


 ──手が動く。石臼で擦り、量り、混ぜ合わせる。指先は泥ではなく薬草の汁で緑に染まっている。


(わたしにできることは、これだけだ)


 社交の言葉は持っていない。侯爵の冷たい視線を跳ね返す弁舌もない。


 でも──薬草がある。


 軟膏が仕上がった。布を湯で温めて、夫人の首の後ろに当てる。軟膏を丁寧に塗り込む。三層に分けて。表層の痛みを取る層、筋肉を弛緩させる層、血行を促す層。


「温かい……」


 夫人が目を閉じた。


 十分。


「あの……」


 夫人が目を開けた。眉間の皺が──消えていた。


「頭が……軽い、です」


 もう十分。


 夫人が首をゆっくり回した。左を見て、右を見て。


「嘘……。こんなに回るの、何ヶ月ぶりかしら」


 声が震えていた。


「あの──ほんとうに、痛くないんです。全然。ここ半年で一番──」


 夫人の目に、涙が光った。


 泣かないでほしい。泣かれると、わたしも──。


「軟膏は朝と夜に塗り直してください。それと、湿布は一日二回。姿勢についても──刺繍や読書の合間に、首をこうやって」


 前世で覚えたストレッチを、簡単に教えた。夫人は真剣な顔で頷いている。


「二週間ほど続ければ、筋肉の硬直が根本から解消されるはずです。再発も──治癒魔法の時より、ずっと少なくなります」


「ありがとうございます……ありがとう……」


 夫人がわたしの手を握った。泥も薬草の汁もついていない、きれいな──でも、力のこもった手だった。



 夫人の私室を出ると、廊下に侯爵が立っていた。


 扉の前で──待っていたのだ。


「妻の様子は」


「軟膏と湿布で、痛みはかなり軽減できました。根本治療には二週間ほど──」


「聖女様の治癒を二度受けても治らなかった頭痛が、一回の治療で」


 侯爵の声が──変わっていた。


 あの冷淡な薄笑いが消えている。眼鏡の奥の目が、まっすぐわたしを見ていた。


「……あなたの腕は本物だ。リーネ殿」


 殿。


 さっきまで「追放された方」だったのが、「リーネ殿」に変わった。


(手のひら返しだ、と思うべきなのかもしれない)


 でも──嬉しかった。素直に。


 ブラント伯爵の膝を治した時と同じだ。数字じゃなく、自分の手で、目の前の人の痛みを取った。それが認められた。


 薬草しか取り柄のないモブでも、ここまでは来られる。


「晩餐をご一緒していただけますかな。いろいろとお聞きしたいことがある」


「ありがたくお受けいたします」



 夜。


 侯爵邸の客室は、辺境の小屋が十個入りそうなほど広かった。


 天蓋つきの寝台。厚い絨毯。油灯が三つも灯っていて、部屋の隅まで明るい。


(こんな部屋に一人で寝るの、落ち着かないな……)


 着替えを済ませて、寝台に腰かけた時──ふと、思い出した。


 毛布。


 馬車の中で、わたしは訪問先の資料を読んでいた。グラーフ侯爵の領地の人口比、主要な疾病、過去の治癒魔法の記録。読み込んでいるうちに──いつの間にか眠ってしまったらしい。


 目が覚めた時、肩に毛布がかかっていた。


 辺境の旅用に積んだ、薄手の羊毛の毛布。それが──肩にぴったり合う幅で、きちんと折り返されていた。


 折り返し。


 あれは──偶然じゃない。


(わたしの肩幅に合わせて折ってあった)


 雑にかけたなら、端が余るか、足りないかのどちらかだ。あんなにきっちり折り返すには、相手の身体の大きさを知っている必要がある。


(気のせいかな。クロエさんが几帳面だから、毛布の折り方も丁寧なだけ──)


 そうだ。きっとそうだ。この人は棚の板の隙間を均等にし、薪の断面を揃え、粥の果実を毎日変える人だ。毛布の折り方が丁寧なのは、性格の問題であって──。


 ──でも。


 向かいの席で、クロエさんは手帳を書いていた。わたしが目を覚ます前から、ずっと。毛布をかけた後、何事もなかったように手帳に戻っていた。


(考えすぎだ。うん)


 寝台のシーツを引いて、潜り込もうとした時。


 廊下を歩く足音がして──控えめな扉の叩き方がした。


「はい」


 開けると、侯爵邸の年配の侍女が立っていた。


「リーネ様、夜分に失礼いたします。お連れの方──クロエ様のことで」


「クロエさんが何か」


「それが……お部屋はご用意しておりましたのに、あの方、馬車から動かれないのです」


 ──馬車。


「お声をかけたのですが、『ここで構いません』と一言だけ。秋の夜は冷えますのに……」


(なんで)


 客室は二つ用意されていた。侯爵邸に着いた時、侍女がそう案内してくれた。なのに──馬車で寝ている。


「……ありがとうございます。わたしから言っておきます」


 侍女が去った後、窓辺に立った。


 中庭に面した窓から、馬車置き場が見える。暗がりの中に、あの頑丈な馬車が一台。その中に──灯りは見えない。


(護衛だから外にいるのが自然、とか思ってるのかな)


 あの人ならありえる。わたしが客室で休んでいる間、馬車の出入口を見張っている──調査員時代からの習慣で。


(本人に聞いても「警備の一環です」とか言うんでしょう)


 ため息をひとつ吐いて、窓を閉めた。


 寝台に戻って、油灯を消す。


 ──暗い天井を見上げながら、考えた。あの人は部屋があるのに馬車で寝ている。客室をわたしに譲るため、とかではなく、たぶん本当に護衛のつもりで。


(でも──寒いでしょう、馬車の中は)


 明日、毛布を一枚多く積もう。本人に渡しても「不要です」と言われるだろうから、こっそり馬車の座席に置いておけばいい。


 気づくだろうか。几帳面な人だから、気づく。


(……お互いさまだ)


 何が「お互いさま」なのか、自分でもよく分からないまま、目を閉じた。



 翌朝。


 侯爵邸の食堂で朝食をいただいて、出発の準備をしていた。


 昨夜の晩餐で、侯爵はずいぶん打ち解けてくれた。夫人の頭痛が改善したことで、薬草医療への関心が一気に高まったらしい。「東部穀倉地帯には慢性の腰痛持ちの農夫が多い。薬草院の軟膏があれば、収穫期の労働力が──」と、もう具体的な算段まで始めていた。


(順調だ。最初の訪問で、ここまで手応えがあるなんて)


 荷物を馬車に運んでいる時、ふと──侯爵邸の裏口から人影が出てくるのが見えた。


 窓越しだった。庭園に面した廊下の窓から、裏口が見える。


 黒い外套の男。顔は見えない。でも──上着に、紋章が見えた。


 神殿の紋章。


(神殿の人が、なぜ侯爵邸に)


 男は裏口から入っていった。侯爵邸の使用人が迎え入れている。正面玄関ではなく──裏口から。


 しばらくして、侯爵が書斎から出てきた。


 わたしと目が合った。


 ──顔色が、変わっていた。


 昨夜の食卓で見せた、あの興味深そうな目はもうなかった。眼鏡の奥の瞳が──曇っている。


「リーネ殿」


「はい」


「薬草院との正式な契約の件ですが──もう少し、様子を見させていただきたい」


 ……様子を見たい。


 昨夜まであれほど前向きだったのに。夫人の頭痛を治したのに。具体的な算段まで話していたのに。


 一夜で──何が変わった。


「もちろん、あなたの腕に疑いはありません。ただ──諸々の事情を考慮して、慎重に」


 諸々の事情。


 裏口から入った、あの紋章。


「……承知いたしました。閣下のご判断を、お待ちしております」


 頭を下げた。声が震えないように、気をつけた。


 馬車に乗り込んで、扉を閉めた。


 クロエさんが向かいの席に座っている。手帳を膝に置いて──わたしの顔を、見ていた。


「……見ていましたか」


「ええ」


「神殿の方が、裏口から来ていました」


「はい」


 短い返事。でも──クロエさんの灰色の目が、わずかに細まった。何かを考えている目だ。手帳を開いて、ペンを走らせ始めた。


 何を書いているのかは見えない。


 馬車が動き出した。


 東部穀倉地帯の麦畑が窓の外に広がっている。黄金の穂が秋風に揺れて、きらきらと光っている。


 きれいだ。


 ──きれいなのに、胸の奥が冷たかった。


(治したのに。痛みを取ったのに。それでも──「様子を見たい」)


 薬草だけでは、足りないのだろうか。


 目の前の人を治すだけでは。


 膝の上で、拳を握った。爪が掌に食い込む。


(──でも、わたしにできることは変わらない)


 次の訪問先がある。次の患者がいる。目の前のことをする。それだけだ。


 議事録の写しが、懐の中でかさりと鳴った。


 馬車が街道を南に下っていく。秋の空は高く、風は冷たく、麦畑が遠ざかっていった。

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