第七話
「もういっぺん言ってみろ!」
野営中の森に怒号が響き渡り、聖女はびくりと顔を上げた。新兵は駆け寄るが、ベテラン兵は動じない。あちこちに焚かれた火が、ぱちりと音を立てる。
「聖女様は、俺のしたことの方が気に入ってくれたに決まってるだろ!」
「犬に肉をやることがか!」
「やめろよ!」
新兵が悲鳴に近い声で止めに入るが、喧嘩は止まらない。倒れ込んだ兵士が口元にあふれた血を拭うと、自分を殴った兵士に飛びかかった。
「止めてください!」
殴り合いの喧嘩の中で、新兵がベテラン兵に助けを求める。ベテラン兵は肩をすくめて、よくあることだと聞き流した。
暗い森のなかに、いくつもの人の影が長く伸びる。
聖女はジョンを抱きしめる腕の力を強くした。
「やめてやめてやめて」
「おい! 聖女様はやめてって言ってるぞ!」
ベテラン兵の怒鳴り声で、殴り合いをしていた兵士たちの動きが止まる。聖女に向けられた彼らの視線は、困惑と恐怖に満ちていた。
聖女の腕のなかで困ったように眉を下げていた犬が、遠吠えをする。聖女は兵士たちから顔を背けて、ジョンのふさふさとした背中に顔を埋めた。
***
風もないのに、松明がひゅっと一つ消えた。国境警備隊のなかに、そのことに気づく者はいない。闇の中で、一人の兵士が音もなく崩れ落ちる。喉元を掻き切られている。見張りも哨戒班もいなかった。
前足に頭を乗せてうとうとしていたジョンの耳が、ぴくりと動いた。ゆっくりと頭を上げた犬は、すんすんと鼻を鳴らす。
暗闇の中でほんの少しためらう気配があったあと、焚き火の横に干し肉が放り投げられた。ジョンはきょとんとした顔で干し肉を見て、鼻の頭にしわを寄せて唸った。
「ジョン、どうしたの?」
聖女がテントのなかから姿を見せるのとほぼ同時に、短銃の弾が犬を襲う。ジョンはキャンと悲鳴を上げながらも飛び退いた。
「て、敵襲です!」
聖女の叫びに、兵士たちがばらばらとテントから飛び出してくる。敵の撃った光魔法が一つ、空に駆け上った。
それを合図に敵陣から火魔法が飛んでくる。聖女は火球に目を向けるが、火球は反転せずにその場で破裂した。兵士たちがたじろぐ。
爆風が野営地を襲うと、ジョンはキャンキャンと鳴き声をあげながら、聖女の元に駆け寄った。びっこをひいている。
「……よくも!」
聖女の瞳に、憎しみがわきあがる。闇の中でうごめいていた敵兵がどさりと倒れ込んだ。
「許さない! 許さない!」
「状況はどうなってる!」
部隊長が叫んで兵士たちを立て直そうとするが、聖女の怒りを目の当たりにした兵士たちは、我先にと退却をはじめる。
もしも自分たちに聖女の怒りが向いたらという疑念を消しきれない。
新兵は聖女に駆け寄ると、肩に手を置いて揺さぶった。
「落ち着いてください!」
「ジョン……ジョン!」
聖女が座り込んで、犬を抱きしめる。ジョンの脚を、銃弾がかすめた跡があった。聖女は犬に回復魔法を使う。犬の毛に顔を埋めた聖女の肩が震えていた。
小さく漏れる泣き声に、新兵は何も言葉をかけることができなかった。




