第四話
森の木々がざわめいて、鳥たちが一斉に飛び立った。ジョンが吠える。兵士たちは顔を上げて一瞬動きを止めると、めいめいの持ち場に戻って銃を構えた。
「敵襲ー! 敵襲ー!」
まだ塹壕を掘っていない。適度に積んだ石塀のうしろに身を隠し、兵士たちが歩兵銃に弾丸を詰める。
木々の向こうから火属性の魔法が飛んでくる。聖女が火球を視界にとらえるや否や、火球は軌道を変えて、敵陣に向かった。
雷が落ちるような大きな音と、焦げくさいにおいがたちこめる。森の木々が一本燃え上がり、きしみながら倒れ込んだ。
ウサギやシカ、キツネがあわてたように飛び出してくる。神経を尖らせている兵士たちは、いちいち銃口を向けて警戒する。まだ撃たない。聖女が自分たちの味方にいることの安心感が勝っている。
聖女の犬が鼻にシワを寄せて唸っている。森にシカの鳴き声が響いた。思わず立ち上がった聖女の目に、木の下敷きになったシカが映った。シカの前脚が宙をかいている。
「あ……」
「敵兵に撃たれますよ!」
新兵があわてて聖女を座らせる。いつもの場違いな明るさがなりを潜めていることに気付いて、新兵は眉を寄せた。
「大丈夫ですか?」
放心状態の聖女の頬を、犬がなめる。ようやく我に返った聖女が下唇を噛んだのを見て、新兵は射撃準備に入った。
森の向こうから、火球が立て続けに飛来する。聖女が火の玉を視界にとらえた。
軌道が変わるはずだ。そう思い込んでいた兵士たちが見守るなか、火球はそのまま、中空で弾けて消えた。
聖女が目を丸くする。森の木々が揺れるように、兵士たちのざわめきが広がった。
まだ国境警備隊に被害は出ていない。本陣に届く前に、火球は弾けた。しかしこれまでとは、あまりに違った。
皆、聖女の反射能力をあてにしていた。
「おい、撃て!」
聖女自身も戸惑っている。放心している兵士を叱咤して、ベテラン兵が歩兵銃を撃った。兵士たちがあわてて引き金を引いてあとに続く。
銃声の応酬が続くなか、新兵はちらりと聖女の様子をうかがう。わずかに震えている。ジョンが心配そうに聖女に寄り添う。
突然、兵士の情けない叫び声がこだました。聖女の毒の呪いに冒された敵兵が、国境警備隊の兵士につかみかかっている。青紫色になった顔のなかで、血走った目がギロリと兵士をにらんだ。
「援護頼む!」
ベテラン兵は石塀から飛び出して、歩兵銃の銃床で敵兵を殴りつけた。毒に冒された敵兵の肉が、虫に食われるように地面に崩れ落ちていく。
***
戦闘に勝利した国境警備隊の面々は、皆一様に安堵のため息をついた。聖女の反射能力の精度が落ちていることは一目瞭然だったが、誰も口にしなかった。
戦勝会という名の宴がはじまる。兵士たちは焚き火を囲んで酒を飲み、干し肉を食らい、歌い、踊っている。ジョンの前には、新鮮な生肉がいくつも積んである。
まるで神様を祀るようだと、新兵は聖女の犬を見た。犬は前脚を伸ばして尻尾を振り、軽やかな足取りで喜びを表現している。
聖女は待ちきれないといった様子のジョンに「お食べ」と声をかけた。途端にジョンは生肉にかじりつく。聖女が笑い声をあげるのを、新兵はじっとりとながめた。
「よう、楽しんでるか?」
「……よく楽しめますね」
ベテラン兵の口の周りに、ビールの泡がついている。新兵は小さくちぎった干し肉を口に放り込むと、騒がしい宴の席に背を向けた。
「まあ、今は忘れて楽しめよ」
「聖女様がいなくなったら、俺たち、どうなるんです!」
食ってかかる新兵に、ベテラン兵は肩をすくめた。
「戦勝会は参謀本部からのお達しだよ。聖女様を回復させるためのな」
「どういうことですか」
「知らん。ただ、前の聖女様のときもそうだった」
焚き火のまわりは聖女と兵士たちの笑い声にあふれている。新兵は目を細めてその様子をながめると、いらだちに任せて足元の土を蹴った。
ベテラン兵がゆっくりと手にしたジョッキをあおると、口元にビールの泡がついた。
「慰安は大事だよ。俺たちにとってもな」




