第二話
夜闇のなかで、ぱちりと松明の爆ぜる音がした。虫の声に混じって、兵士のいびきが聞こえる。
見張り番が焚き火に薪を一つ放り込んだとき、ひゅうと空気を切る音がして、犬が吠えた。
夜が急に明るくなる。光魔法だろう。強烈な閃光に見張り番はぎゅっと目を閉じて目を慣らそうとするが、ちかちかして見えづらい。
「敵襲ー! 敵襲ー!」
城壁前に展開した国境警備隊のテントのなかから、何人かの兵士が転がり出てきた。軍服のジャケットに袖を通しながら、兵士たちは武器を構える。大地を揺るがすような馬のひづめの音と、わあっという敵の叫び声が届いた。
「馬防柵は!」
「設置してます! 多少は時間を稼げます!」
「左翼部隊に負傷者! 聖女様はおられますか!」
「はあい」
部隊長の元に次々と報告が舞い込んでくる横で、聖女はのんびりと目をこすりながら手を挙げた。
「負傷者の手当てをお願いします!」
「わかりましたー。……行くよ、ジョン」
聖女は傍にいた犬の頭をなでる。そうして踊るように軽やかな足取りで、負傷者の元に向かった。
夜を切り裂くように火球が飛んでくる。案内役の新兵が「危ない!」と声をあげた。しかし聖女がちらりと視線を向けると、火球はすぐに軌道を反転させ、敵の奇襲部隊の真ん中に落ちた。
「いったい何を……」
「リフレクター。反射だよ」
兵士たちが戦場を駆け回り、銃声が飛びかった。聖女は悠々とテントに近づき、負傷兵たちに回復魔法を施した。
かざした手に光が集まり、たちどころに傷がふさがっていく。痛みに唸っていた負傷兵の顔が、穏やかになった。
負傷兵の額に浮かんだ汗を拭きながら、新兵は「ありがとうございます!」と声をあげた。
「聖女様、おられますか!」
「はいはい」
負傷兵の傷を治した聖女に、即座に別の部隊から声がかかる。血と硝煙の匂い、土煙のたちこめる戦場で、聖女はまるでパンの焼き具合を確かめるかのように立ち上がった。
「ご案内します」
テントの外から、ダン、タタタタッという銃声と、馬のいななき、誰かの叫びが聞こえてくる。新兵の指は、小さく震えている。ベテラン兵が夕食をとりながら言っていた「一番安全なのが聖女様の傍だってのは、わかるがね」という言葉が、頭の隅にこびりついていた。
新兵は聖女と犬とともにテントを出て、戦場を歩く。道は暗く、足元もおぼつかない。
地面に伏せていた敵兵が歩兵銃のレバーを手前に引く音に、ジョンが大きな声を出して唸った。
次の瞬間、銃声がとどろいた。
「伏せて!」
「きゃっ」
即座に地面に伏せた新兵の横で、聖女がぺたんと座り込む。犬がキャインと尻尾を下げた。聖女を気遣うように鼻を鳴らしている。
「ご無事ですか!」
「大丈夫。ちょっとビックリしちゃっただけ」
聖女はのそのそと立ち上がると、スカートについた泥をはたき落とした。無傷だ。
戦場の闇のなかから聞こえる断末魔に、新兵は即座に視線を向けた。遠くで光魔法の閃光が上がる。
閃光に浮かび上がる戦場で、聖女に銃口を向けた敵兵が悶え苦しむのが見える。座り込んで喉をかきむしるその顔は、青紫色になっている。
敵兵の苦悶の声が急に止む。そのまま後ろに倒れ込んだ敵兵の身体が、どろりと溶けていくのが見えた。
「ヒッ!」
後ずさる新兵の背を受け止めたのは、ベテラン兵だった。ベテラン兵は溶けていく敵兵につかつかと近づくと、つま先で敵兵が生きているかを確かめる。腐り落ちた肉がほろりと地面に落ち、消えていった。
「こりゃあ……毒だな」
光魔法の閃光があがるたび、夜の戦場が露わになる。あちこちで、身体の溶けた敵兵が転がっている。飛んできた大砲の弾が軌道を変え、敵陣の只中に直撃した。
新兵は顔を背けようとするが、目が吸い寄せられて、首が動かない。
反射した敵の火魔法が敵陣の上で炸裂したのを見て、聖女は屈託のない笑い声をあげた。
「花火みたい!」
新兵は恐怖のあまり地面に座り込むと、後ずさった。こみあげる吐き気が、彼の目に涙を浮かべさせた。
***
夜襲を防いだ国境警備隊は、翌日、交代のために街に戻った。聖女のおかげで味方に大きな被害こそ出なかったものの、夜中の奇襲は堪えたらしく、兵士たちの足取りは重い。何人かあくびをしている者もいるほどだ。
隊列を組んで街の大通りを歩く兵士たちに、人々から自然と歓声がわきあがった。
「よくやったぞー!」
「ありがとうー! おかげで家が焼けずに済んだー!」
惜しみない賞賛を受けながら、胸を張る者、少し照れくさそうにする者、手を振りかえす者など、兵士たちの反応もさまざまだ。
その隊列に、聖女がいる。愛犬ジョンを連れて、妙にふわふわとした踊るような足取りで歩いている。
「あれが今度の聖女様だって」
街の人々が遠巻きに聖女をながめる様子に、新兵はぎゅっと自分の目を閉じた。
早朝、新兵は昨夜の戦場を見た。光魔法の閃光でちらりと見えてはいたが、明るくなってから見ると、夜に見たときよりもおぞましい光景が広がっていた。
おびただしい数の骨が足元に転がっている。毒にぐずぐずと溶けていく敵兵を思い出して、新兵は息を飲んだ。
聖女の力を目の当たりにして、改めて肝が冷えた。
見ていられないと遠くに視線を移す。敵陣があったらしい場所で、炎がくすぶり、煙が上がっている。
再びこみあげてきた吐き気を堪える新兵の横を、聖女の愛犬が大きく尻尾を振って駆け出していった。
「こらー! 待ちなさーい!」
聖女があとから犬を追いかけていく。犬は足元に転がっている敵兵の骨に興奮して、右へ左へとステップを踏んで、短く鳴いた。
「かじっちゃダメだよ、ジョン。ばっちぃから。……毒、残ってるかもしれないし」
新兵は座り込んで、せりあがってきたものを吐き出した。まだ朝食を食べていない。泡のような胃液が敵兵の骨にかかり、新兵はあわてて顔を背けた。
「父ちゃん! おかえり!」
どこか誇らしげな子供の声で、新兵は我に返った。
隊列に駆け寄る子供を、父親らしき兵士が抱き上げる。
無事に再会した二人の笑顔を見ていると、聖女や自分たちが街を守ったのだという実感がじわじわと胸にこみあげてきて、新兵はぎゅっと自分の手を握った。
これでよかったんだ。味方が助かった。街も人々も守られた──新兵はそう自分に言い聞かせるが、目に映る街並みは、ほんの少し涙でゆがんで見えた。




