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第十話

 参謀本部からやってきた伝令兵が姿を消した頃、ジョンが突然立ち止まって吠えた。


 次の瞬間、地面がぐらりと揺れた。土魔法だろう。


「て、敵襲だ!」


 聖女の後方待機命令をまだ受け止めきれていない兵士たちは、あわてて聖女に駆け寄ってくる。


 聖女が表情を変えることなく、わずかに首をかしげると、地震が止む。迫ってきていた地鳴りが弾けるように止まった。


 つづけざまに火球が飛んでくる。聖女が火球を視界にとらえると、見えない何かに阻まれるように、火球がその場で炸裂する。


「聖女様……?」


 爆風を受けながら、兵士たちは歩兵銃を構えた。石塀に身を潜め、森の手前に布陣した敵に向けて、銃口を向ける。


 敵陣から飛んできた銃弾が、聖女のすぐそばの地面に突き刺さる。


 犬がキャインと悲鳴をあげた瞬間、ぞわりとした気配が長く伸びて、敵陣を飲み込んだ。


 国境警備隊に向かって飛んでくる銃弾が、ぴたりと止まった。魔法攻撃の気配もない。聖女の毒の呪いの効果らしかった。


「斥候! 敵陣の様子を見て来い!」


 ベテラン兵の指示に従って、何人かの兵士が駆け出していく。


 聖女は戦場にゆっくりと背を向けると、無表情のまま、犬の頭をなでた。


 兵士たちが、ため息をついて聖女の背中をにらんだ。


***


 翌朝、国境沿いの町から伝令兵がやってきた。後方待機する聖女を迎えにきたようだ。聖女のそばには犬がいて、しきりに首をかしげている。


「お世話になりました」


 聖女は焚き火のまわりに集まる兵士たちに淡々とそう告げる。


 兵士たちは黙って敬礼した。よく生肉を供えていた兵士に、犬は大きく尻尾を振った。


 火薬と煙の匂いが漂う戦場で、声をあげる人間はいない。川のせせらぎと、ときおり聞こえる小鳥の声がひどくのどかだ。


 ベテラン兵がペッと地面に唾を吐いて、敬礼した。


 聖女は犬と並んで、戦場に背を向ける。


 これが英雄の、聖女の末路なのか──新兵は胸の奥に苦々しいものがこみあげてくるのに気付いて、大きく息を吸った。


「ありがとうございました!」


 新兵はそう叫ぶと、聖女に敬礼する。聖女はほんの少し首をかしげるようにして、ぎこちない会釈をすると、戦場をあとにした。


***


 夜が明ける頃、近所で鶏が鳴いた。ベッドで眠っていたジョンは、耳をぴくりと震わせて薄目を開ける。


 聖女が寝返りをうって、ジョンを抱き寄せる。犬はそのまま目を閉じて、聖女と眠りについた。


 やがて日がのぼり、学校に行く子供たちのはしゃぐ声が聞こえてくる。


 聖女はゆっくりと起き上がって、目をこすった。


「おはよう。ジョン」


 ジョンは寝ぼけたまま短く鳴き、頭を聖女にすりつけた。


 参謀本部から後方待機の命令を受けて赴いた地は、故郷だった。


 丸太を組んだ懐かしい窓を開けると、若草の香りが漂ってきた。


 硝煙や土ぼこり、血のにおいじゃないんだな──と、聖女は窓の向こうに広がる田畑をながめた。


 戦場には、きっと新しい聖女がいるのだろう。町が守られているということは、そういうことだ。


 聖女は扉を開けると、井戸水を汲んで顔を洗った。


 横でジョンが、水を汲んだ桶の中に顔を浸けてから、ぶるぶると頭を振る。飛んできた水滴をタオルで拭って、聖女はゆっくりとまばたきをした。


 この穏やかな日常は、新たな聖女が担っている。そうしてその聖女も、前線で次第に消耗していくのだろう。そのたびに新しい聖女が生まれ、首都の神殿に石像が一つ増える。


 聖女だった女性はほんの少し首をかしげると、太陽に短い祈りを捧げた。


 かつて自分が守った人々が、聖女であった彼女にそうしていたように。


<完>

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