第一話
火球が森の上を通り過ぎたとき、鳥たちが一斉に飛び立った。
ざわめく木々の上を、火球は加速して飛んでいく。危険を察知して、城壁前に走り込んできた犬が吠えた。
兵士たちは顔を上げて火球を確認するや否や、身構える。
「敵襲ー! 敵襲!」
火球は平野部を抜けて城壁を越え、街の上に止まった。
一瞬の静止ののち、力をたくわえるように一段とふくれあがる。
白い漆喰の壁に、火球の影が落ちる。あわてた母親が、子供を抱えて家の中に逃げ込んだ。
城壁付近の兵士たちが魔法攻撃に備えて塹壕に飛び込み、頭を抱える。
轟音とともに、火球が小さな炎をいくつも吐き出して、空気が揺らいだ。街や兵士は、その炎に焼かれるはずであった。
「何も起こらない……?」
しかし炎は、街も人々も焼くことはなかった。兵士たちが塹壕のなかで、おそるおそる顔を上げる。炎の軌道が急に変わり、時間を巻き戻すように遠くに飛んでいくのが見えた。
「ナイスバッティング!」
兵士たちは呆気にとられて、声の主を見た。
城門をゆっくりとくぐって現れたのは、一人の女性だった。若い。戦場に不似合いなその女性に、即座に犬が駆け寄って尻尾を振る。
「敵襲に気付いてくれてありがとう、ジョン」
女性が頭をなでると、犬はワン! とうれしそうに鳴いた。兵士が塹壕から上がって敬礼する。
「聖女様ですね。お待ちしておりました!」
「よろしくお願いします! すごーい! 土煙で前が見えないですね!」
聖女の場違いなほど明るい声に、兵士たちは表情をわずかに曇らせた。
***
日が傾いている。数人分の食糧を受け取って城壁前のテントにやってきた新兵は、明るい笑い声が響いているのに驚いた。足を止めて、テントのなかの様子をうかがう。聖女だ。
テントの前で前足に頭を乗せていた犬が、食べ物の匂いにパッと顔を輝かせる。尻尾を振っている。ふさふさとした毛と、少し垂れた耳が揺れる。軍用犬ではなさそうだ。
「ごめんよ、お前の分じゃないんだ」
新兵がそう言ったとき、テントが少し開いて、聖女が姿を現した。
「あ、ご飯なんですね。私も食べてこようっと! お邪魔しました! ……行くよ、ジョン」
聖女と犬の後ろ姿を見送ってから、新兵はそっとテントの中に入った。
「食事持ってきました」
「おう、ありがとよ」
「あの犬、聖女様の犬なんですか?」
「みたいだな。……まったく、聖女様ってのは、よくわからんよ。前線に犬連れてお散歩か? 一番安全なのが聖女様の傍だってのは、わかるがね」
新兵から食糧を受け取ると、ベテラン兵は乱暴にスプーンを突っ込んでかきこんだ。口の端に垂れたソースを、煤のついた親指で拭っている。
「回復魔法ですか?」
「ああ。聖女様ってのは、ありがたいもんだぜ。前にな、塹壕にいたのに、敵の土魔法で地面がドーンと迫り上がってきたことがある。吹っ飛んだ。……俺がこうして生きてるのも、先代聖女様のおかげだ」
新兵は感心しながら食事をとる。スプーンを持つ手が少し震えている。
「今日来た聖女様も?」
「おそらくな。昼間のあれも、聖女様の力だろうよ」
新兵は昼に見た光景を思い出す。大きな火の玉が近づいてきて、街の上で炸裂した。そのまま炎が襲ってくるかと思いきや、炎は急に進路を変えた。
まるで奇跡のような光景だった。
新兵は食事の前のお祈りを忘れていたことに気付いて、スプーンを持ったまま、祈りを捧げた。




