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第八話『モカ&ジンジャーエール対話篇』

小箱を三つ抱えて階段を登り続けていた。


 目指すは六階。古い団地なので荷物を持って階段で上がるしかない。ただ、荷物は軽いのが幸いと言えば幸いだった。


 この仕事を始めてから肉体的には結構鍛えられていると思っていたが、それでも息が切れた。しかしお客様の前では愛想を良くして受け取り票にサインをいただき、少しゆっくり目に階段を降りる。


 今日は朝イチから配達量が多かったせいなのもあったが、何となく気分が浮かなかった。夜、早音さんに会って話し合う用事もあるが、それ以前に何らかの胸騒ぎが止まらなかった。


 それでも、昼前には午前の配達をタイトなスケジュールですべて終わらせ、一旦営業本社に帰った。


「ニガバナぁ、今日は顔色悪くね?」


 社長が心配してくれたが、わたしは大丈夫ですと虚勢を張った。社長に心配をかけるのは本意ではない。


「調子が悪くなったらすぐ言いなよ。今日は小物ばかりだからニガバナが早退しても仕事回せるからさ」


 そんなにわたしの顔色は悪いのだろうか。すっぴんでも美人な社長に真面目にそう言われると、萎縮してしまう。そして社長は自分とわたしの分の仕出し弁当を持ってきてくれて、続けた。


「困っている事があるんだったらすぐに言いなね。あとしっかり食え」


「はい――いただきます」


 今日の弁当はチキン南蛮だった。


「これうちの元旦那が好きでさ、タルタルソースを通常の三倍くらいかけて食べてたんだ」


「それは少し胸焼けがしそうですね」


「かなり胸焼けがしてたみたいだよ。それでも食べてたんだよ。私に勝ちたいって」


「何の勝負ですか」


「私の方がたくさん食べてたし、私の方が身長高かったから。せめて食べる量では勝ちたいってね。男って可愛いもんだよね」


 そういうものなのだろうか。仕事以外であまり男性と話した事がないわたしからしてみれば未知の世界だ。


「フルーツロール宅配便を立ち上げてからは私の方がよく働いてたし、家事も三秒でやっつけてたし、夜のベッドの上でも私の方が頑張ってた。もう勝ち負けじゃなくて根性の世界だったよね」


 チキン南蛮を食べながら、改めて頼もしい社長だと思った。現代の女傑と言い換えてもいい。コネも多いし経営も順調だ。そして、こうして謎に包まれているプライベートの一環をたまに話してくれるのも楽しい。


 わたしはここで働けて救われたと思う。


 それから、社長は食後の一服として電子タバコを吸いながら、午後の予定を説明してくれた。今日は『魔の葬送』への配達は無いが、やや重たい荷物や小うるさい店舗への定期便があった。しっかり夕方まで予定が詰まっている。


 社長との昼食で少し気分がほぐれて、午後の配達もスムーズに行なえた。今日の最後の配達はプラスチックのケージに入ったハムスターを個人宅に届けるというもので、その愛くるしさにお客様の家で少し長い雑談をしてしまった。そして心地良い疲れを感じながら帰社した。


「今日もお疲れさん。明るいうちに帰んな。てか警察も早く殺人犯を捕まえてほしいよな」


 社長の言葉に少しドキッとする。わたしが探偵ごっこをやっている事は社長には言っていないが、やはりあの空き地での殺人は月辰町全体に影を落としているのだ。心配してくれている社長に、少し申し訳がない。


 安全運転でスクーターを走らせ帰宅した。約束の七時まではまだ時間がある。スマホを見ると、メッセージアプリに新着通知があった。早音さんからだ。


「苦花ちゃんお仕事お疲れ様! 今日七時に『Cafe 魔術師』に待ち合わせで問題ない?」


 わたしはすぐに返信した。


「変更無いです。運転に気を付けて来て下さいね」


 そして、わたしはシャワーを浴び、出掛ける用意をする。今日は長袖シャツの上に白のコーデュロイのオーバーオールを着た。


 ――そして。


 わたしはアパートを出てスクーターのエンジンをかけた。今からならちょうど七時に着くはずだ。社長との会話とハムスターのお陰で少しこころは軽くなっている。あとは早音さんに話をするだけだ。よし。


 わたしはスクーターを役所通りの方向に走らせた。


 横道に入り、『Cafe 魔術師』の看板が見えた。そのすぐ横に、もう早音さんの軽四が停まっていた。


 わたしが店の前にスクーターを停めると、車から早音さんが出てきた。


「苦花ちゃーん! 今日のオーバーオールは白色じゃん! 可愛い!」


 茶髪のポニーテールで相変わらずメイクが濃い。そしてベージュのカーディガンに白のロングスカートというカジュアルな格好だった。


「入ろ入ろ! 苦花ちゃんはここによく来るの?」


「はい。ここなら落ち着いてお話できそうなので」


 わたしたちは一緒に店内へと入った。チリンチリンとベルが鳴る。


 カウンターに居たマスターが「いらっしゃーい」と言い、チラッと初顔の早音さんを見た。


 二人で奥のボックス席に座ると、わたしはモカを、早音さんはジンジャーエールを注文した。


「嬉しかったんだぁ! 苦花ちゃんがお店を選んでくれた事!」


 ここは落ち着けるタイプのカフェなのだが、早音さんの声は大きかった。騒がしいエスニック料理店の時と同じボリュームだ。


「――あのザクロ林の事で、お話したい事があるんです」


 わたしはいきなり話を切り出す事にした。早音さんのペースに巻き込まれてあの積尸気さんの言葉の純度を下げてはいけない。


「え、なになに、怖い話!?」


「その、怖い話というのが、まず凄まじい偏見だったんです」


「え、話が見えない」


 そして、わたしは語った。ザクロ林の設楽さん親子の事、ボランティアでハンディキャップを持つ青少年たちのハンドマッサージをしている事、あのザクロ林はかつての農園の名残だという事、白服黒髪の女性は娘の神代さんだという事。わたしたちがそこを勝手に踏み荒らして迷惑をかけてしまった事。何よりも、ザクロ男という都市伝説でものすごく迷惑をこうむっている事を。


 気付けば、わたしも声のボリュームがかなり大きくなってしまっていた。早音さんは少し圧倒されたようにわたしの話を聞いていたが、それが終わるとジンジャーエールを一気にあおった。


「それ、マジなの?」


 わたしは頷いた。かつてあのザクロ農園と取り引きがあった人から配達先で聞いた話だと説明し、わたしなりに――早音さんにお話して、偏見を正さなければならないと判断した旨も伝えた。


「すみませーん!」早音さんがマスターに呼び掛ける。「ジンジャーエールもう一杯下さーい!」


 話を続けた。


「――という事情なんです。だからもう、ザクロ男だとか、都市伝説――いや、デマと誹謗中傷を拡散するのは止めましょう。殺人犯はきっと、別に居ます」


「苦花ちゃん、今日はすごくガチ迫力があるね」


「本気で言ってるんです」


 その時、テーブルにごとりとジンジャーエール入りのグラスが置かれた。マスターがお代わりを持ってきたのだ。


「いつものお姉さんも、新顔のお姉さんも、ゆっくりしていって下さいね」


 垂れ目で初老のマスターはますます目を垂らしてそう言った。


「あ。ありがとうございます」


 早音さんはジンジャーエールのグラスに早速口をつけた。


「空き地の殺人事件、怖いですよね。うちにも子供が居ましてね、一人で出歩かせるのが心配で」


 珍しく、マスターが話題を振ってくる。


「気を付けてた方がいいですよ! ここだけの話ですけど、あれ、殺されたの私の知り合いなんですよ」


 早音さんが気さくに返事をして、わたしとマスターは一瞬ビクッとした。


 知り合いが被害者だとカジュアルに言えるデリカシーの無さにだろうか。それとも被害者と近い人間であるというカミングアウトにだろうか。とにかく、場の空気が刹那、凍った。


 狭い町内の噂話。狭い町内の人間関係。狭い町内の都市伝説による被害――。


 いつも感じている閉塞感が強くなり、急に空気が薄くなったように感じた。


「お友達だったんですか?」


 マスターが少し驚いているようだった。


「同じ専門学校の知り合いで、よく遊んでて」


「はあ――それはそれは――御愁傷様でした」


 何にせよ、二人ともお気を付けて下さいね、と言ってマスターはカウンターに戻っていく。


 やはりあの空き地の殺人事件はこの町の住民間でのホットトピックなのだ。


 しかし、だからと言って偏見は――偏見に基づいて決め付ける事は、良くはない。


「話を戻しますけど、空き地の事件に関して偏見をばらまくのはもう止めて、さっきマスターにも言ってましたけど、被害者の事を気軽に言い回るのも止めた方がいいと思います――いや止めるべきです」


 わたしは自分の喋りがまた熱を帯びてきているのを自覚していた。


「私――そんなにデリカシーが無くてガサツだったかな」


「早音さんは美人だしたまに優しいし根っこは良い人だと思います。でも、これ以上軽率な言動が続くようだと――ちょっと――」


 言葉を濁したわたしの顔を、唇を結んだ早音さんが見ている。


「正直、ショックが大きいわ。苦花ちゃんに怒られて警告を受けるのは」


「早音さんなら分かってくれると思っています」


「そんなつもりは無かったんだけどな――そっか。わたしノンデリ人間だったんだ」


「わたしも大した人間じゃないですけど、少なくとも――お互いに高め合う事はできるはずです」


「私、あまり親父から怒られた事もなくてさ、だから怒ってくれる苦花ちゃんが新鮮っていうか――嬉しいかも。私のためを思ってくれているのが、伝わってくる」


 早音さんは視軸を下に遣り、ジンジャーエールのグラスを手にすると少し口をつけた。


 わたしもずっと放置していたモカのカップに口をつける。かなり冷めていた。


「苦花ちゃん」


「はい?」


「私――これからも苦花ちゃんと友達で居たい」


 真面目な表情だった。


「私の悪いところ、直すように頑張るから――お願い、私を見捨てないで」


 少し、早音さんの奥深い部分にある寂しさを見た気がした。


 薄っぺらい輪を拡げるだけの人間関係を続けている、現代の学生の本音。


 それは魔が入り込むゲート。そんな事を今、想像した。


 わたしは冷めたモカを一気に飲み干した。


「こちらこそ、これからもよろしくお願いしますね。わたしの悪いところも――どんどん指摘して下さい」

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