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第五話『彼女についてわたしが知った二、三の事柄』

 わたしは、ヴィンテージ加工のブロンズ製丸テーブルの席に着いていた。


 対面には早音さんが座っている。


 テーブルの上にはニラと豚肉の炒め物やベトナム風串焼き等が並んでおり、わたしの希望で麦茶が注がれたグラスも運ばれてきていた。


「あは。苦花ちゃんももっと食べなよ。ここ安いし美味しいし、学校でつるんでる連中とよく来てるんだよ」


 わたしは、はい、と頷くと串焼きを口にした。甘辛さが口内でとろける。


 確かに美味しい――いや、わたしが普段は質素な食生活をしているから大袈裟に美味しく感じているだけかもしれないが。


「苦花ちゃん、もしかして普段は質素な食生活してる?」




 あれから帰宅後、メッセージアプリで早音さんから連絡が来た。そしてこのエスニック料理店『象の日』の前で待ち合わせをする事にして、わたしたちは一緒に店へと入った。わたしはスクーターで来ているし、早音さんは軽自動車で来ているのでアルコールは頼めない。だが、早音さんはわたしと合流するなり、シラフとは思えないほどよく喋った。苦花ちゃん私よりちっこいんだね。苦花ちゃんは一人暮らし? 苦花ちゃんって私より二歳上なんだね! 苦花ちゃん――。早音さんは元々人懐っこいのか、それともいわゆるコミュ強なのかは知らないが、随分と懐かれてしまった。


 わたしはこういうお洒落なお店にはほとんど来ないし、彼女は自分とは正反対のキャラクターだ。ガチガチに緊張しているわたしは端から見れば動作がかなり硬く、弄り易いのだろう。


 ――それに。


 事件の事を聞きたいというわたしの魂胆もあった。それこそが今日の本丸だ。


 だが、昼間、寅浜建設で再開した時のように強気で攻めるのもタイミングを外している。やはり、会話の流れに沿って、それとなく聞き出したいのだけど――。


「そういえば苦花ちゃん。事件の事を調べてるって言ってたじゃん」


 向こうの方から切り出された。


「あ、うん――はい。調べてるよ――調べてます」


 急な展開でしどろもどろになると、早音さんは少し真顔になった。面長で、モデル系統の整った顔立ちをしていると改めて思った。


「具体的にさ、何を調べてるの?」


 ハッとした。


 まるで積尸気さんの言う魔の解法だ。わたしは一体――実のところ、何を知りたいのだろう。


 何のために――。


 ――それは。


 積尸気さんに褒められたいから。


 その一心でだけ動いている事は否定できない。


 はたと困ったわたしを、早音さんは不思議そうに見つめる。


られた被害者の事ならさ。ちょっと――いやまぁ、結構知ってるけど」


 報道によると被害者は二十三歳の男性だった。確かにこの狭い町内では、知り合いの知り合いであったとしてもおかしくはない。


「――早音さんとは、どういうご関係だったんですか?」


「あいつはうちの専門学校の卒業していった先輩。よく遊んでた」


 そうだったのか。


平内翔太ひらうちしょうた って言ってさ、警察にもしつこく訊かれたけど、殺された当日の午前、私、会ってたよ」


「一緒に遊んでたんですか」


「うん。学校サボってセックスしてた」


 一瞬、心臓がドキッとして、わたしは返答に困った。


「え!? 照れてる? もしかして苦花ちゃん――した事ないの!?」


「――確かに、推定死亡時刻は夜だったと報道で見ましたね」少し声を張ってわたしは続ける。「その平内さんは、どんな人だったのかが気になります」


「もう遊び人だよ。レベルマックスでも賢者に転職できないタイプの」


 よく分からない例えだが、あまり真面目な人間ではなかったと言いたいのだろう。


「他人をイジるのが好きでさ、差別的で攻撃的でさ。いい歳していじめっ子気質」


「でも何で、そん――その人と早音さんは」


 性的関係を持っていたのか? とは恥ずかしくて言えなかった。それに――またわたしは「そんな人」と言いかけてしまい、あの時の積尸気さんの眼光を思い出していた。


「ん? 顔はイケメンだったから。うち服飾の専門なんだけど、学校でも一番服にお金かけてたし」


 はあ。


 わたしには縁のない浮ついた世界だ、殺人事件を機にこういった世界と縁ができるのも、因果な話ではある。


「お腹をさ」少し眉をひそめた早音さんは言った。「刃物で滅多刺しにされてたんだって」


 ――怨恨。


 その漢字二文字を連想しつつも、わたしは声が出なかった。


「死体の第一発見者は親父の会社の従業員でさ。それで聞いたの。お陰であの空き地にケチがついちゃって――まぁ元々、色々と大人の利権が絡んでたんだけど、工事計画自体がもう頓挫しそうだってさ」


 わたしの中で、断片と断片が接面しつつあった。


 魔の解法は、まず魔に姿を与える事。


 朧気ながら事件の輪郭が浮かんできて、わたしの胸の内はざわついていた。


「それでそれでそれでさ!」


 炒め物を一口食べた早音さんは急にアップテンポになった。


「は、はい」


「学校で今、刃物持ってうろついてる怪人ザクロ男の話題も出てきて!」


「何ですかそれは」


「事件の犯人。ここのローカル都市伝説として結構広まってると思うけど、ザクロ林の奥に棲んでる大男で、滅多刺しにして被害者を弾けたザクロみたいにしちゃうからザクロ男」


「風のウワサなんですね」


「それがさぁ――あ、苦花ちゃん麦茶のおかわりいる? てかもっと食べてよ」


 唐突に怖い話をしておいて「もっと食べて」も無いと思うのだが、わたしは串焼きを一本食べて少し麦茶を飲んだ。


「月辰湖からちょっと行った所に月辰山あるじゃん。そこの麓に――本当にあるらしいんだよね」


「え」


「ザクロ林が」


 話がきな臭くなってきたというか、殺人事件の本質からずれてきている気がする。


「で、うちの学校のバカどもが本当に行ってみたら、林の奥にプレハブの建物があって――」


「――はい」


「怖くてそこで逃げたらしいんだけど、都市伝説系動画配信者にでもタレ込もうかって言ってた」


「はぁ――動画のネタ系の話、ですか」


「でも怖いよね。火のない所に煙は立たないって言うし」


 ――違和感。


 今、早音さんに対する印象――押しの強い現代の学生というイメージが、何らかに転化した感覚があった。暮らす世界が違う『陽キャ』などではなく、本質は――かつてわたしに対して投げ掛けた「ヤジウマ」という言葉、その体現者なのではないかと、ふと思った。


「火のない所に煙は立たない」と今早音さんは言ったが、放火された人や小火ぼや を大炎上させられた人だって居るだろう。それに狼煙を上げる事だって場合によっては必要なはずだ。


 会話と、何気ない一言に出てくる本質。そして、この窒息しそうな町に漂う閉塞感の正体。


 ――他人の噂や、偏見と先入観。


 ――野次馬気質。


 それは、わたしもついつい『魔の葬送』で口走ってしまった事だ。


 それは、魔だ。


 それは、偏在する。


 頭の中をビジョンが巡る。


 子供に関心の無いシングルマザー。最終的にノイローゼになり、自宅に放火した母親。気付いたら福祉に繋がっていた幼少時のわたし。


「苦花ちゃんどうしたの!? 難しい顔して。もしかして怖い話は苦手?」


「――いえ。というか、事件と、そのザクロ男が繋がってるって根拠が分かりません。普通にそこに住んでる人かもしれないじゃないですか」


「うーん、ザクロ男の仕業ってみんなが言ってるしなぁ――」


 ――ミンナガイッテル。


 昔からわたしの大嫌いな言葉だった。


 だが、この言葉は事件と町の輪郭を照らすクリティカルワードでもあった。


 漠然とはしているが、事件の形が見えてきた気がする。


「――早音さんは」


「ん?」


「早音さんも、それ信じてるんですか」


 うーん、と唸ると、早音さんは麦茶を少し飲んだ。


「改めて訊かれると迷うね。死んだのは一応知ってる男だしねぇ――」


 情交まで重ねていた相手が殺人事件の被害者だというのに、他人行儀だった。浮ついてるというよりも、表層的な薄い関係で輪を広げる事が目的のノリ。その終着点。


『魔の葬送』のマスターは、若者は無軌道で照準もブレているものだと言ってはいたが、早音さんのように軽薄なノリで深刻さを薄めようとする言動は、理解はできても共感はできない。


 ――しかし。


 それもまた、人間の多様なのだ。


 ましてや感情に関わる部分を他人であるわたしはコントロールできないし、しようとしてはいけない。価値観のすり合わせをどうにか行なう事しか――できない。


「まぁさ、早く犯人が捕まって欲しいとは思ってるけどね。まだ捕まってないって、ちょっと怖いじゃん」


 眉毛をハの字にしながら彼女はそう言う。改めて濃いメイクだなと思った。


「あっ!」


 いきなり両手をパーン! と合わせて早音さんは小さく叫んだ。思考に閉じ籠りかけていたわたしはびっくりした。


「苦花ちゃん、次の休みはいつ?」


「え――明後日はシフト休みですけど」


「行こうよ」


「?」


「ザクロ林に」


 何か凄い事を言い始めた。


「事件とか犯人とかはひとまず置いといてさ、私の車で月辰山麓のザクロ林までドライブしよ?」


 これは、歯車が噛み合った証なのだろうか。正直、早音さんとはまったく噛み合わないと思っているのだが、向こうはわたしの事をえらく気に入ったらしい――しかし、それも軽薄なノリで増やしたい、薄っぺらい関係を求めてきているのかもしれない。


 ――駄目だ。


 偏見は止めて。自分に言い聞かせる。


「特に断る理由も無いですけど――」


 了承の言葉がわたしの口をついて出た。


 数秒後に後付けで考えた事だが、早音さんはまだ何か情報を知っている可能性が高いのだ。


「やったぁ! じゃあ明後日、ザクロ林を見に行ってそれから一緒にランチしよ! 隠れた名店的なお店に行こうよ!」


 はしゃいでいる早音さんは正直、人好きがするタイプだ。異性のみならず同性にもモテるだろうと安易に予測できる。


「明後日、学校はお休みなんですか?」


「いいや、サボる」


 真顔でそう言う早音さんにわたしも真顔になった。


「あ、今日の支払いは私に任せておいてね。昼に親父からお小遣いを巻き上げたばかりだから」


 凄い金銭感覚だ。ありがたいが、複雑な気持ちもあった。


 明後日はプライベートで『魔の葬送』に訪れようと考えていたのだが後日にしよう。ドライブしてきたという話をマスターへのお土産にする。そして積尸気さんには、進捗を報告する。


 それからわたしたちは店を出てお別れの挨拶をした。早音さんから「今日は面白かったぁ」と、また肩をぽんぽんと叩かれた。


 わたしも奢ってもらったお礼を言った。


 明後日に行くザクロ林へのドライブ。


 最近気が張り詰めていたので、息抜きにも良いかも。


 そんな事を考えていた。


 ――今は。

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