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第三話『初夏の心臓、その活性』

 

 空がいぶし銀に変化しつつあった。


 灰色の曇り空になる寸前――空気の湿度も高くなってきた。


 しかし、わたしはこのまま何の収穫も無く自宅アパートに帰る気は無かった。あんな事があってただ引き返しただけでは、本当にただの『ヤジウマ』になってしまう。


 ――違う。


 わたしは、野次馬ではない。野次馬ではないつもりだが――今は何者でもない。悔しいが、それは事実だ。


 そんな遣る瀬無さに唇を噛みながらスクーターを走らせ続け、役所の西通りを抜けた。そして交差点で、自宅アパート方面とは逆方向に曲がった。この先には――。


『Cafe 魔術師』


 黒地に白抜きのフォントでそうペイントされている立て看板が見えた。あまり大きくはないレトロ家屋風の建物の前だ。


 駐輪場にスクーターを停める。このカフェはわたしの行き付けで、よくコーヒーを飲みながら電子書籍で本を読んでいた。


「いらっしゃーい」


 入店すると、垂れ目で眼鏡をかけた小柄なマスターが厨房から出てきた。必要以上に客には干渉はしないタイプだが、客の顔はきっちり憶えている初老の男性だ。そんな距離感が心地良く、また淹れてくれるモカも美味しいので、もう二年ほどこの店に通っている。


 客はわたし一人だった。遠慮なく最奥の席に着く。お冷やとおしぼりを持ってきてくれたマスターにモカを注文すると、わたしはコップを傾け少し喉を潤した。


 ――まず。


 思考と感情をまとめなければいけない。


 わたしはスマホをテーブルの上に置くと、ロックを解除した。


 あの空き地――殺人現場で撮った写真を見る。


 実地で見た時もそうだったが、写真で見ても虚無しか感じない風景。見晴らしだけは良く、空き地越しに遠景も写っている。


 だが、この虚無に、どことなく禍々しさを感じるのは何故だろう。


 自分の空想癖と言ってしまえばそれまでだが、その禍々しさは、殺人犯の残留思念を信じ込んでしまっているわたし自身の問題なのかもしれない。そもそもの前提として、わたしはあの殺人事件の発端を私怨からだと疑いもせずに思っている節があった。つまり、偏見と先入観にまみれていた――なるべく、ニュートラルに考えたい。


 では、犯人は何で殺したのだろう。


 もし自分なら――殺人という深い渓谷を飛び越える切っ掛けは何か。


 ここが第一の壁だ。


 わたしは人を殺したいなどと――思った事は。


 思った事は――。


 本当に無かったのだろうか。


 幼少時、親には早く死んでもらいたいと思っていた。


 でも、自分で手を下そうとは考えもしなかった。


 ふと魔が差して事件を起こしたりはせず、ただ、わたしは被害者であり続けた。


 ――魔が差して、事件を起こしていた可能性。


 ――魔が。


「モカをお持ちしました」


 ハッとした。


 マスターが、仄かに湯気の立つモカのカップと伝票をテーブルに置き、「ごゆっくりどうぞ」と言って厨房に戻っていく。


 スマホを見つめながら、考え過ぎてしまっていたようだ。


 わたしはカップに口を付けた。琥珀色の液体はとても熱いが、こころは落ち着く。


 ――安らぐ。


 カップを置くと、わたしは数枚撮っていた空き地の写真をスライドさせる。


 微妙に角度が異なるだけで、変わり映えのしない虚無が広がっている。


 わたしは今、もう落ち着いている。しかし虚無を眺め、魔という概念に何かを閃きかけていた。


 思うに、人間は成長していく過程でずっと魔を意識している。魔とは、虚実の絡み合いによって生ずるものなのだろう。魔が差すタイミングとは、虚実のどちらかに大きく振れた時。功利を何も考えられなくなった時か、功利を考え過ぎてしまった時だ。


 ――私は。


 先程から、ずっと殺人犯の立場からあの事件の事を考えている。


『魔の葬送』で耳にした噂や、空き地で殺されていたという事実から、被害者に対しては何らかの――狭い枠に囚われた思考をしていたのかもしれない。反面、犯人像は不明なままで、考える事は多岐に渡る。


「あ」


 わたしはある考え――それはごく簡単なフレーズだが――を思いつき、小さく声を出した。


 ――これだ。


 何も新発見による大手柄を立てなくてもいい。このフレーズだけを『魔の葬送』で伝えてみよう。


 モカを飲む。


 空き地の写真は閉じ、各種のニュースフィードを収集しているアプリを開いた。少し頭を切り替えよう。


 新しい飲食店のオープン、地元サッカー少年団の活躍。いつ見ても、変わり映えのないニュースばかりだ。それらを流し見しながら、モカを飲み終わった。


「ありがとうございます。またお越し下さい」


 精算を終え、店を出るとスクーターを走らせた。とても小さい事ながら、ひとつの結論に到達できたのは、わたしにしてはよく出来た方だと思う。端から見れば探偵ごっこに過ぎないのだろうが――。


 帰宅した頃にはもう夕方だった。


 家に居ても何だかリラックスできない。胸の奥がじんわりと熱い。


 体調を崩した訳ではなく、事件を自分なりに調べてみようという行為に昂っているのだと思う。決して悪い気分ではない。


 現実に起きた殺人事件によって、この町に住まう閉塞感をやや退けられるのも不謹慎な話ではあるが、わたしは正直な話――その不謹慎さを恥じる気も無い。


 うちの社長や、あの『魔の葬送』のマスターのように――わたしにとって――興味深い人間が被害に遭ったのなら話は別だが、この町の知らない人がこの世から消えたとしても――思うところは特に無い。


 わたしは冷たい人間なのだろうか。


 そして、少しだけ昂りを収めるべくぼんやりすると、食事とお風呂と明日の準備を済ませ、眠りに就いた。


 ――翌朝。


「おはようございます」


 営業本社に出社すると、「おはよーさん」と挨拶を返してきた社長から、早速今日の配達スケジュールを渡された。午前中に小物を三十便、そして中箱を二便。大物はスクーターには搭載できないので、社長自らがバンで運んでいる。中の下くらいの配達量だが、午後は六便と少なく、最終便で――『魔の葬送』にポロトクを届けてもらいたいとの事だった。


「十八時前にはニガバナを上がらせてあげたいからね。最近物騒だし。昨日はちゃんと休めた?」


 のんびりしてましたよ、と、返事をした。空き地やカフェに行ったのものんびりと言えばのんびりした行動だ。


 ――でも。


 胸の奥――心臓は少し昂ったままだ。午後に『魔の葬送』に行き、事件に対する自分なりのシンプルな感想を話す。一目置かれたいとか、積尸気さんに対するお詫びのつもりだとか、そこはもう関係ない。わたしが噛み砕いて考えた結論として、事件の話をするつもりだ。


 出発の用意をしていると社長が言った。


「配達、事故んなよ」


「はい、ちゃんと気を付けます。では行ってきます!」


 そして、午前中は根気を詰めて宅配業務を頑張った。営業本社や仲介先、ガソリンスタンドを行き来して、目まぐるしくわたしは配達を行なった。休日明けの倦怠感より、胸が昂る爽快感が上回っている。お客様から好意でいただいた飴玉や駄菓子をオーバーオールの胸ポケットに詰めておくと、まるで昂る心臓へのご褒美みたいだなと可笑しくなった。


 そして午前の配達が全便終わり、営業本社で午後の用意をする。今日は仕出し弁当でお昼ご飯を済ませ、休憩もそこそこに午後便の配達に出た。午後の六便は三時前に問題なくすべて終わった。わたしは社長に受け取り票を渡すと、ポロトクが入っている段ボールの中箱を受け取る。


「今まで珍味も色々と宅配しましたけど、これは初めてですね。北方の珍味――」


「乾き物だから運びやすいと思うけどね。これガチョウの燻製なんだ」社長はにっこりと笑いながら続ける。「ミイラだよミイラ」


 え、と驚いたわたしに「だから縁起物だよ。安心して運んできな」と発破を掛けられた。


 そして、わたしは営業本社から少し走り、国道に出た。


 あの十字路に着く。ここを「左」だ。


 あの薄暗い異界じみた地域に入り、前に小鬼のような子供が飛び出てきた細道に入る。そしてこの『月蝕通り』の果てまで進んだ。


『魔の葬送』に到着した。


 わたしは駐輪場にスクーターを停めると、サイドボックスからポロトク入りの段ボール箱を取り出した。それを抱え――再び、ここの深紅のドアを開ける。


「お世話になります。フルーツロール宅配の襟瀬です」


 赤を基調とした相変わらずの落ち着いた空間に、わたしの声が通った。


 厨房から、マスターが出てきて微笑む。


「ありがとうフルーツロール宅配のニガバナさん。お宅の社長からちゃんと連絡もらってるよ」


 まあ、それ置いて座りなよ、とマスターはカウンター席を勧めてくれた。


 わたしは段ボール箱をカウンターに置かせてもらい、席に着く。


「今日はこれで最終便なんです」


「お疲れ様だね。うちも助かるよ。ポロトクなんて滅多に入荷されないからね」


 微笑みを絶やさないままマスターは、最奥の席に声をかけた。


「積尸気さん、前の可愛い子がポロトクを持ってきてくれたよ」


 わたしは――あの最奥の席、闇を纏う老人が座していた席の方を、失礼にならないように見る。


 ――居た。


 ロシア煙草の紫煙を静かに吐き出し、老人――積尸気さんはこちらを向き、会釈をする。


 わたしは会釈を返した後、マスターに「実は、昨日」と話を切り出した。


「うん?」


「わたし、あの事件の現場に行ってきたんです」


 マスターは柔和な表情のまま、しかし無言で頷いた。


「素人探偵を気取っていたわたしの調査ははっきり言って無意味でした。でも、結果ではなくて思索を――わたしなりのシンプルな結論をお話したいなと思っていました」


「ニガバナさんはどうしてそう思ったの?」


「先日、わたしはここで偏見に基づいて被害者の方を侮蔑してしまいました。そのお詫びに――いえ、わたし自信の納得のために昨日はスクーターで走ったんです」


 マスターはわたしに背中を向けた。そして、オレンジジュースを持ってきてくれた。


「まあ飲みなさいよ。お話代の代わり。あ。ポロトクの受け取り票は後で渡すからね」


「ありがとうございます」


 わたしは遠慮せずにオレンジジュースで喉を湿らせる。


 そして、興味深そうにしているマスターと、最奥の席に座る積尸気さんに聞こえるように、わたしは声を張った。


「自分で必死に思索してたどり着いた、小さくてシンプルな結論――それは」息を継いで続ける。「探偵はパターンで動き、犯人は多様性を軸にして動く」


 マスターはわたしの目をじっと見ている。


「これだけなんです」


 わたしはそう言うと、マスターの目を強く見返した。


 この会話が聞こえているであろう、積尸気さんの方を意識しながら。

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