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第二話『殺人現場のククーシュカ』

 国道をスクーターで走っていた。


 営業本店までは四十分ほどだが、道が空いているので時間はもっと短縮できるだろう。


『魔の葬送』のマスターにおいとまを告げ、あの混沌の通りから国道にふたたび出たのだが、道沿いの表情が少し変わった気もしていた。澱みが薄くなって、柔和に。わたしの心象の変化が、世界に反映されているのだろうか。そこまで国道沿いに対する心象が変わった記憶も無いが、やはりあのマスターと、積尸気さんとの出会い――そして、わたしなりにあの事件を調べてみようという決意が、世界を少しだけ彩色したのだと思う。


 初夏の風が心地良い。オーバーオールの下には長袖のシャツだが、スクーターで走るにはちょうど良い服装だった。そして、営業本店兼社長の自宅に到着した。


「お疲れ様」


 事務室から出てきた社長は、もう半袖シャツに白のカーゴパンツというラフな服装で居る。長くて綺麗な髪の毛は後ろで結んであるだけだ。中肉中背のわたしから見れば、そんな格好も似合う社長の高身長が羨ましい。女性一人でこの会社を立ち上げただけの威厳がある風体だ。


「ニガバナ、喉乾いてない? 麦茶冷えてるよ」


 社長とわたしは麦茶が好きだ。のみならず、色々な価値観が合う。だからわたしもこの仕事を続けていられるし、気兼ねなく話せる――そう、この『フルーツロール宅配便有限会社』というネーミングの由来からして、わたしは気に入っている。


 ペットボトルの麦茶を貰い、月辰川向こうのお客様の受け取り票を渡して処理を終えると、「実は社長――」と切り出した。


「どうしたニガバナ。嬉しさが隠し切れてないよ」


「新しい定期の仕事、取ってきたんです」


 わたしはバー『魔の葬送』での事を話し、珍味ポロトクの宅配を依頼された件を説明した。


「ああ、ポロトクね。ルートあるからすぐにでも配達できるよ」


 社長には謎が多い。特に色々な商品の販路をどうやって確保しているのか。犯罪じみた行為はしていないとは思っているが、きっとわたしの知らないツテが多いのだろう。


「でもニガバナ、あなた明日シフト休みでしょ? いつからその『魔の葬送』さんに宅配すればいいのか確認しておくわね」そして社長はスマホであの店の電話番号を検索する。「ああ――月蝕通りにある店なんだね」


 あの混沌とした通りは『月蝕通り』というのか。そしてわたしは、バーの電話番号すら聞いていなかった自分の凡ミスを悔やんだ。


「今回はたまたま番号を訊くの忘れてたんでしょ? これから気を付ければいいよ」


 わたしの内心を見透かしたかのように社長が微笑む。


「ニガバナ、あなたもう上がっていいよ。私はこれからポロトク宅配の手続きやっとくから。明日はゆっくり休みな」


 凡ミスの件は少し引きずっていたが、わたしは社長の言葉に甘えて本日の仕事を上がる事にした。最近の連勤で少し疲れが溜まっていた。


 挨拶をしてわたしは本社を後にした。ルーフ付きスクーターはプライベートでも貸し出しさせてもらっているので、出退勤はこれで行なっている。ゆっくりと道路を走りながら、自宅アパートへの帰路に就いた。


 初夏の空は明るいが、それでも、もう夕方だ。


 今夜はゆっくり眠り、明日――月辰新住宅地の空き地、あの殺人現場をこの目で見に行ってみよう。


 アパートの駐輪場にスクーターを停め、階段を上がり、二階の自室の鍵を開けた。電灯を点ける。必要最低限のシンプルな部屋。身軽な方が良い。わたしはいずれ遠くへ行きたいのだから。


 わたしも社長も飾り気が無く、化粧も殆どしない。故にわたしは童顔と言われ、社長はすっぴんでも美人だと言われる。


 ――化粧なんか。


 しようがしまいが、個人の勝手だと思う。社長もそう言っている。そうした価値観は非常に合うし、いつだったか社長はフルーツロール宅配便有限会社の命名の由来を語ってくれた。あらゆる果実を巻き込めるうつわ。あらゆる味を楽しめる多様なスイーツ。そんな願いを込めてのフルーツロールという名前なのだ。そして、今は何でも――多種多様なものを宅配できている。


 お風呂に入り、冷食で夕飯を済ませるとわたしはすぐにベッドに入った。


 意識が溶暗するまでの間、『魔の葬送』の事を考える。そしてあの積尸気さんという老人に、わたしなりの殺人事件の解釈を伝える事を考える。学生時代は不登校だったが、目的を持って考えるのは好きだ。それを行動に起こす事も嫌いではない。


 眠りに落ちる頃、夢うつつに何を見たのだろうか。何かを幻視した気もするし、遠目に事件の犯人の背中が見えた気もする――。


 ――そして。


 目が覚めた。


 自分では少し疲れていた程度に思っていたのだが、デジタル時計を見て驚いた。昼前まで惰眠を貪ってしまったようだ。


 わたしは牛乳を温め飲むと、すぐに外出する準備をした。ショートボブの髪型なのと毛質のお陰で寝癖はすぐに取れる。別段急ぐ必要も無いのだが、仕事の都合上次はいつ休みが取れるか判らない。休日は有意義に使いたい。


 今日はアメリカ製ブランドのオーバーオールを着用した。そしてレザーのハンチング帽子を被る。ポシェットに財布とスマホ、ハンカチを入れた。


「よし」


 わたしは玄関の鍵を閉めたかちゃんと確認すると、駐輪場へと向かいスクーターに股がる。エンジンをかけた後の安定した静かな振動が調子の良さを現している。


 わたしは道路へとスクーターを走らせた。


 平日だからか車はそんなに多くない。この調子ならば四十分もあればたどり着けるだろう――月辰新住宅地外れの空き地。あの殺人現場へと。


 ――たどり着いたとして。


 わたしは何をするのだろう。


 そんな考えが頭をよぎる。


 幼少時に読んだジュブナイル探偵小説では、まず現場を把握する事だと書かれていた。あの殺人事件はもう一ヶ月近く前の事だから、もちろん警察の現場検証も終わっているし、他人の手も入っているのかもしれない。だが、まず現場を見て、何かを必死に考えて、それをあの積尸気さんとマスターに報告する。あの時、迂闊な事を言ってしまったお詫び、そしてわたしは迂闊なだけの人間ではないという矜持のアピールだ。何か新展開に繋がるヒントも手に入れば――それはわたしの純然たる手柄だ。


 国道を横切り、役所の近くを抜けた。このまま真っ直ぐに走り、右に曲がれば――新住宅地だ。


 少し走って、バイクをカーブさせた。


 新住宅地に入る。見るからに高価そうな一戸建てが並ぶ整備された区画。わたしは何回か仕事でこの方面まで配達に来た事があるが、改めて見るとその高級住宅が並ぶ威容に感心してしまう。


 こんな息詰まりそうな町にも家を建てる人々は居る。


 ただ、わたしがこの町に窒息しそうなだけなのかもしれない。わたしだけが閉塞感に疲れているのかもしれない。


 だから、考え事をしながら運転するのは止めて。自分に言い聞かせながら新住宅地を抜けた。


 打って変わって未整備の区画が現れる。こんな奥まで来るのは初めてだ。


 ――確か。


 もう少し走った所。あと二百メートルほど――。


 ――そこに。


 四方の木の杭に、黄色と黒の通称トラロープを張られた空き地が現れた。


 わたしは道端にスクーターを寄せ、スマホを取り出して確認する。


 ここで間違いない。


 周囲に人気はなく、昼間なのに寂しい区域だった。あの『魔の葬送』がある月蝕通り近辺の異世界感とは違って、ただ、空気が乾いていて、ひたすらに寂しかった。


 スクーターのエンジンを切り、わたしはトラロープまで歩いた。


 その三十メートル四方ほどの空き地を眺める。


 砂肌が剥き出しで、工事予定も無いのか――それともずっと昔からこのままだったのか、特に何も置かれてはおらず、虚無を感じた。


 見晴らしは良いので、向こうには山とビルが見える。月辰第一小学校の方角だ。


 ――しかし。


 本当に、この空き地には何も無い。


 ただ、空いているだけの余った土地だ。


 何故、こんな所で殺人が起きたのだろう。通り魔にしては不自然な場所だし、犯人は何らかの計画性や必然性があってこの虚無の地を選んだのだろうか。


 とりあえず、わたしは後で思考を整理できるように写真を撮っておこうと思った。ポシェットからスマホを取り出し、少し歩きながら空き地の写真を撮り続けた――まるで、集中して何かを狙撃し続けるように。


「こんちはー」


 わたしの肩が跳ねた。背後からいきなり声を掛けられたのだ。


 振り向いた。


 そこには若い男性が二人と、同い年くらいの女性が一人立っていた。


「お姉さん、ジャーナリスト?」


 男性のうち、背の高い方がニヤニヤとそう言った。


「いえ――」


 わたしは消え入りそうな声で返事をした。


「え? 学生の人?」


 中背の方の男性がわざとらしい驚き顔でわたしの顔を覗く。


 何だろう。このグループは。


 わたしと大して年齢は変わらないように見えるが、軽薄な感じが受け付けなかった。しかしいきなり絡まれるとは。


「今日授業無いの? だったら俺らと一緒にどっか遊びに行かない?」


「いえ――社会人です」


「え!」男性二人が揃って驚いた声を上げた。「お姉さん、そんな若いのに働いてるの!?」


 わたしは唇をきつく結んだ。自分の視線が冷めていくのが分かる。


 こころの中の大切な何かを土足で踏まれた。そこに怒りが噴き上がってくるのが分かる。


 自分の中の色彩がモノクロに堕ちていくのが――分かる。


「――どいて下さい。もう帰りますので」


「え!? お姉さん怒った!? ちょっ、怒るスイッチが分からないって!」


 おどける男二人の横を抜けて帰ろうと思った時、黙っていたもう一人――茶髪のポニーテールの女性が口を開いた。


「野次馬?」


 そして首を少し傾げながら続ける。


「あれじゃない? この前の殺人の。ここ現場でしょ。野次馬に来てたんじゃない?」


 ――ヤジウマ。


 その形容が、わたしのこころを何故か酷く抉った。


 だが、現時点ではわたしは野次馬でしかない。


 何も反論はできない。胸の中はどうあっても――何も言い返せない。


「――そうですね」


 そう言い残すと、わたしは足早に三人組の横を抜け、スクーターに乗りエンジンをかけた。すぐに発進する。背中にはあの三人の視線を感じる。


 好奇の視線を。


 こういうのがこの町の嫌な所だと思いたいが、この件に関してはただ――わたしが弱かったのだ。何が自分で殺人現場を見てみる、だ。何がわたしなりに推理をして魔の葬送で誉められたい、だ。


 まるでわたしは無力な幼児だった。


 スクーターを走らせながら、軽くため息を吐く。

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