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第十一話『第二の事件』

――わたしの素人探偵気取り、探偵ごっこは結局、事件の真相に何ら近付けなかった。


 薄々気付いていた事をはっきりと自覚するようになって三日目だが、後悔は無かった。わたしの中では踏ん切りがついたし、積尸気さんに一回は褒められたのだ。


 何よりも、探偵ごっこがきっかけで早音さんという友人ができた。


 ――もう。


 潮時だ。


 日常に帰る時が来たのだろう。


 だけど、日常に帰っても、この町の息苦しさ――閉塞感は変わらない。ただ――早音さんという友人を得たわたしの表情は、少し明るくなっていた。


「おっニガバナ。最近何か良い事でもあった? 顔が明るいな」


 仕事中に社長にそう聞かれ、はい! と返事ができたし、家に居てもよく早音さんとメッセージアプリでやり取りしている。


 ここが妥協点ではないだろうか。


 もう探偵ごっこで魔の在り様を考えながら事件に深入りする必要もない。結局は神代さんの助言通りになった訳だが、それに対する拒否感も特に抱いてはいない。


『魔の葬送』には通い続けるし、マスターや積尸気さんとお話して時間を溶かしたい。


 今、わたしとそれを取り巻く状況には凪が訪れていた――。




 会社、フルーツロール宅配便の仕事量が増えて忙しくなり、しばらく早音さんと連絡を取れないでいた。六連勤ほどだったが、毎日時間いっぱいにフルでスクーターに乗って走り回り、業務は密度がかなり濃くなっていた。社長に「走り回らせて悪いね。疲れたらすぐに言えよ」と謝られながらも、社長自身も毎日夜中まで働いている事を知っていたので、力になりたかった。と思うと同時に、社長はこんなに美人で有能な人なのに、再婚しないでいる理由を薄っすらと察した。


 そして、やっと配達量が落ち着き、わたしのシフト表に休みの二文字が入るようになった。ここのところ毎日帰宅してすぐに寝る準備をしていたが、次の休みはリフレッシュしようと決めた。


 そういえば、わたしはプライベートで『魔の葬送』に行った事がないし、しばらくポロトクの宅配便でも訪れていない事に思い至った。新しい友人ができた事を、マスターや積尸気さんに報告したかった。


 ――そして、わたしの探偵ごっこを、それを以て終わりにする事も。




「ほらニガバナ。臨時ボーナス」


「え」


 明日の休みはマスターや積尸気さんに会いに行こうと考えながら、退社前の事務処理をしている時だった。社長が茶封筒をわたしに手渡してきた。


「ここずっと動きっぱなしだったから疲れてるだろ。それで焼肉でも食べてきな」


「ありがとうございます――」


 嬉しかった。お金ではなく社長の気遣いが。


 ありがたくリフレッシュのために臨時ボーナスを使わせて貰おう。早音さんと焼肉に行くのも良いし、まずは『魔の葬送』でソフトドリンクとチーズケーキを食べるのも良い。


 わたしは社長にお礼を述べ、社長もわたしに感謝を伝えてくれた。


 そして翌日、お昼時にわたしはスクーターであの国道交差点を左に曲がり、異界じみた道筋を辿り月蝕通りに入った。ゆっくり走りながら『魔の葬送』に到着し、このバーの深紅のドアを開けた。


 シャンソンというのだろうか。物悲しい曲が今日は静かに流れていた。


「あら。お久し振りねニガバナさん」


 マスター――ルルイエさんがカウンターから微笑んだ。


「お久し振りです。今日は仕事休みで、プライベートで来たんです」


「それは嬉しいわ。ニガバナさん、少し雰囲気変わったねえ。ニコニコして」


「はい。実は最近、新しい友人ができて――」


 そしてわたしはカウンター席に座り、とりあえずミルクセーキを注文した。あとで何かランチも頼むつもりだ。


 わたしはマスターに一連の出来事を話した。神代さんとの再開や、早音さんと仲良くなれた事。わたしなりに悩んでいた聖と魔の二項対立に、グラデーションという答えを得た事――。


 マスターは相変わらず柔和な表情でそれを聞いてくれた。


「ですから、わたし――」


 探偵ごっこはもう、止めようと思うんです。そう伝えた。


「そこがあなたのゴールだったのね」


 微笑むマスターに対して、首を縦に振ろうとした――だが、何故か頷けなかった。


「ゴール――」わたしはそう口にする。「ゴールというには、まだ遠すぎる気もします」


「確かにニガバナさんは若いんだから、まだゴールは遠いわね」


 そして、マスターが最奥の席の方に顔を向けた。


 ――来る。


「積尸気さーん」


 わたしもそちら――闇の濃い空間に視軸を向ける。


 今日も魔王が、居た。


 センターで別けた銀色の長髪、顎にかけて整えてある髭。傍らに立て掛けてあるステッキ。漆黒のダークスーツ。その鋭すぎる眼光。魔王は、バーの最奥の玉座で、闇を纏いロシア煙草を喫っていた。年齢不詳の長身の老人ではあるが、相変わらず矍鑠(かくしゃく)としている。


「積尸気さん、ニガバナさんが頑張ってきたってさ」


 魔王はマスターの顔を黙って見遣り、続いてわたしの顔を見て、いつものように会釈をした。


 わたしも会釈を返す。


「――苦花とやら、答えを得たのか」


 魔王――積尸気さんは低いがよく通る声でわたしにそう問う。


「マスターとの会話がお耳に入っていらしたと思いますが、わたしの答えは、探偵としての実力不足と――新しい友人でした」


「己を知るか――だが、自らの才覚と靭性までをも捨て去る必要はない」


「はい。わたしはこれからも、グラデーションを大切に生きていくつもりです」


「グラデーション、と言ったか」


「――はい」


「色彩が段階を踏まぬ混沌もある」そう言うと積尸気さんは喫っていたロシア煙草を灰皿で揉み消した。「もしくは、中程が無い始まりと終わりもな」


 どういう意味なのだろう。グラデーションになっていない混沌とした中間や、そもそも中間が無い出来事もあるという事だろうか。


「――よく理解はできませんが、わたしは極端に振れないように頑張りたいと――」


「魔に寄せられる情熱は正当なものであり、また聖に寄せられる信頼も正当なものだ。その二つの間には中程が無い事がある。そこにグラデーションを以て強制するのも如何いかな事か、考えてみると良い」


 ――強制。押し付け。


「苦花、お前は優しく強い。だが、それ故に危ない部分もある」


 積尸気さんはそう言ってグラスを手に取り揺らし始めた。


「ニガバナさん、また難しい顔になっちゃったけどさ、積尸気さんは積尸気さんなりにニガバナさんの事を心配してくれてるんだと思うよ」


 マスターがそう言いながらチーズケーキを持ってきてくれた。


「あなたは優しくて強い。そう言ってもらえたんだから良いじゃない。あの積尸気さんにそんなに褒められるなんて、珍しいよ」


「嬉しいです――そう言ってもらえて」


「今日は何か、変わった事があるかもね?」


 マスターと笑顔を交換してわたしはチーズケーキを一口食べた。とても上品な味がする。


 ――その時。


 入口――深紅のドアが開き鈴が鳴った。


 新しいお客が来たのだろうか。それとも今日は姿が見えないサボリーマンの中条さんがサボりに来たのかもしれない。振り向いて確認するのも失礼なので、わたしはそのままチーズケーキを食べていた。


 新しいお客は、わたしの二つ隣のカウンター席に腰掛けた。


「――いらっしゃい」


 マスターの声に合わせるように、わたしはちらりと横目で新しいお客を見た。


 青い作業服の上下を来た若い男性だった。歳は二十代後半くらいだろうか。


「ルルイエさん、聞いた?」


 落ち着いた、しかし深いトーンで男性はそうマスターに問い掛けた。


「何をかしら?」


「昨夜の事。また、やらかしたらしいんだよ」


 それを聞いていたわたしの両肩に何かが走り、少し跳ねた。不気味な予感があった。


「――良くない話みたいね」マスターは静かに返事をする。「また、って、誰が何をやらかしたのかしら」


「空き地の殺人犯の話。多分ね、同一犯の可能性が高い」


「次の被害者が――出たって訳?」


「そうなんだよ――しかもその被害者っていうのが――」


 そのやり取りが聞こえているわたしの頭の中は灰色がかっていた。


 事件はもう手を離して警察に委ねるべきなのに、この会話は何でこんなに胸中に突き刺さってくるのだろう。鋭い刃物の冷たさじみた魔の時間が唐突に訪れ、わたしは動けないでいた。




「――被害者っていうのが、うちの元請けの令嬢なんだよ」




 ――止めて。


 ――これ以上聞きたくない。


 ――嫌な予感にもう胸中が、ズタズタにされている。


 そして、マスターが決定的かつ運命的な、わたしのこれからの方向性を定める一言を口にした。




「あなたの会社の元請けって、確か寅浜建設さんだったわね」




 一瞬、視界が暗くなった。


 動けなかった。


 息苦しかった。




「そう。寅浜の社長の娘が――」


 トラハマノシャチョウノムスメガ――。


「次は、やられたんだって」


 ヤラレタンダッテ――。




 頭の中で空虚にその言葉が跳ね返り続ける。唐突な魔の報せに、名前と姿態が与えられてしまった。


 御浜早音。と。


「どういう――」わたしは思わず上ずった声を出していた。「どういう事ですか」


 作業服の男性は驚いてわたしを見た。えっ――と小さく声を上げて。わたしは間を置かず言った。


「寅浜建設の娘――早音さんはわたしの友人なんです」


「新しい友人って――そうだったのね」


 マスターが静かにそう言う。続けて男性は、ああ、と言うと話し始めた。


「昨夜、寅浜の令嬢が何者かに襲われてさ。それで今、あそこの社長がてんやわんやになってるらしくって。協力会社のうちらも予定が無茶苦茶になるし、警察に朝から聞き込みされてたし、記者もたくさん来てたしさ。これまたニュースになると思うよ」


 わたしは片手で口を押さえ、それを聞いていた。今にも叫び出してしまいそうな自分を制しながら、早音さんの茶髪のポニーテールを、一緒に遊んだ記憶を反芻する。


「すみませんマスター、ちょっとわたし帰ります、帰らなくちゃ――」


 ふらふらと立ち上がると、マスターが少し声を張った。


「ニガバナさん、落ち着きなさい」


「大切な友人なんです。今度一緒に遠くに旅行に行こうって――」


「あなたが今動いても何も変わらないわ。それこそ魔の虜になってあなたにまで何かが起こるかもしれない」


「でも何で――何でよりによって早音さんが」


「それを調べるのは警察機構なの。あなたがもう探偵ごっこをしてどうにかなる段階じゃないの。とにかく落ち着きなさい」


 全身の力が抜け、わたしはガタッと椅子に座り込んだ。


 報せを持ってきた男性と、マスターと、恐らく積尸気さんの――視線の中、座り込んで動けないでいた。


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