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第九話『そのひとりは聖女』

 国道をスクーターで走っていた。


 初夏の程好い気候は、昼食後ともなると眠気を誘ってくる。


 今日の午後の便は月辰果物市場にライチを集荷しに行く仕事だ。脚にハンディキャップを持っている年配の男性の家にそれを宅配する。空の中箱二つを荷台に括り付けているので、眠たいながらも安全運転のバランスを取りながらスクーターを走らせている。


 果物市場は規模がそこそこ大きく国道沿いから見える位置にあり、業者やお客の出入りも多い。わたしはバイク置き場に到着すると、中箱二つを抱えて門管に挨拶し、入場書類に必要事項を記入して市場内に入った。


 空き箱にライチを詰め込むと結構な重量になったので台車キャスターを借り、会社へとライチの領収書を切ってもらい、ガラガラと台車を転がしながらバイク置き場に歩いていく。


 それら一連はいつものわたしの業務だが、最中は少し上の空だった。考え事をしながら何かをするのは集中できていない証拠だし、特に物思いに耽りながらスクーターを運転するのは止めろと社長には口を酸っぱくして言われている。幸い、それで事故を起こした事は無いのだけど、今日などは午後の眠気もあって危険かもしれない。


 にも関わらず、わたしは考え事をしていた。


 ――わたしは、何をしているのだろう。


 素人探偵を気取ってみてはいるものの、事件解決のための何の進捗もなく、クリティカルな情報も得られていない。動き回って、考えて――それらがすべて空回っているような気がしている。


 元々は積尸気さんに認められたい一心だった。だが、ザクロ林の件ではやんわりと咎められてしまった。


 ――本当に。


 わたしは、何をしているのだろう。


 ライチが詰まった箱二つをスクーターの荷台にしっかりと括りつける。


 物事に集中している時や、思索に耽っている時に人は隙だらけになる――それは何かの格好のタイミングだ。例えば、魔が出現するような。


「こんにちは」


 いきなり背後から声をかけられて心臓が跳ねた。


 振り向くと、わたしはさらに驚きを増し、声を上げそうになった。


 ――そこには。


 白のセーターに白のズボン、腰よりも長いスーパーロングの黒髪の女性が立っていた。


「この前うちのザクロ林でお会いしましたよね。そのハンチング帽子とオーバーオールで判ったの」


 わたしは咄嗟に声が出なかった。


 サボリーマンの中条さんから話に聞いていた、設楽さん――の娘さん――神代という人だ。


 何故、ここに居るのだろう。


「私の家、たまにここにザクロを納品してるんです。趣味も兼ねて」


 驚いているわたしをあやすように、神代さんは鈴が鳴るような声で喋った。


「はい――そうなんですか。それよりも、先日はご迷惑をお掛けしました」


 頭を下げたわたしを黙って少し見つめると、神代さんは言った。


「うち、今はボランティアで、ハンディキャップを持つ青少年たちに色々やっているんです。だから物見遊山と、都市伝説だのと言い回るのを止めていただければ――それで結構です」


『魔の葬送』で中条さんから聞いた話と同じだ。わたしは続けて「申し訳ありませんでした」と謝った。


「ここへは、お仕事で?」


 神代さんがスクーターの社名ステッカーを見ながら言った。


「はい。わたし、配達便の仕事をやっておりまして」


「その若さで立派だわ。私は働くに働けなくてね」雑談をするタイプには見えなかったが、神代さんは語り始めた。「あなたとは不思議なご縁があるように思えるから言うけど、私は神がかりで」


 ――カミガカリ?


 それが一体何を指すのか分からなかったが、何となく訊いてはいけない事のような気がして、黙っていた。


「――だから、あなたと再開できたのも導きだと思うし、お話してもいいかなって」


 午後の配達予定はそんなに詰まっていないので、少々の雑談くらいならできるが――しかし、わたしは今、何故か積尸気さんを思い出していた。あまりにもこの神代さんが、魔王然とした積尸気さんと対照的過ぎるからだ。


「あなたは物見遊山だけでうちのザクロ林に来た訳じゃないでしょう?」


 この神代さんにはどこか浮世離れした雰囲気を感じるが、会話は一応成り立っている。だからわたしも普通に話す事にした。


「はい、実は都市伝説云々ではなく、個人的に調べている事がありまして」


「それは霊的な事?」


「レイテキ――?」


「あなたや、私のたましいが類属する世界にまつわる話? やがてアティルト界へと至るために」


「あ――いえ。オカルトな事ではなく――その――」


 正直、戸惑っていた。


 確かに浮世離れはしているが、大して面識の無いわたしに真顔でオカルティックな話を振ってくるとは。あまり知らないタイプだ。


 だが、わたしは意を決して言った。


「月辰新住宅地の空き地の殺人、その真相を自分なりに探っています」


「――それで、真相を知ったとして、あなたのたましいは清められるの?」


 ――え?


「むしろ、新たに大いなる哀しみを背負う事になると思うわ」


「それは、どういう意味でしょうか」


「このアッシャー界におけるあなたのたましいには、今、悪魔が影を落としているわ。それも北方の魔王の影がね」


 ――魔王。


 ――積尸気さん。


「もう、事件に首を突っ込むのは止めておきなさい。今なら引き返せる。魔の中枢を覗くには、人間は脆すぎる」


 言葉が出なかった。何故かやけに喉が乾いている。


「私ね、生まれつきのギフテッドで、父さん――設楽正清に随分と迷惑をかけて。それもあって父さんはザクロ農園を畳んで、ハンディキャップを持つ青少年たちの助けになろうとボランティアのハンドマッサージを始めたの」


「そう――なんですね」


「月辰町にもハンディキャップを持つ青少年はたくさん居る。そして、おろかな事に彼ら彼女らに対する偏見や、心無い行為も多いの」


 わたしは早音さんの言動を思い出していた。彼女は既に反省したのに。自己嫌悪を覚える。


「酷い話ですね。虐げられている人たちには何の罪も無いのに」


「――そしてあなたは、殺人事件に関して、自分なりに何かを得た?」


「それは――」


 そして、わたしはあの時思いついたシンプルなフレーズを、思わず口にした。


「探偵はパターンで動き、犯人は多様性を軸に動く――このくらいしか、得られた思考はありません」


 神代さんは色素の薄い瞳でわたしを見る。いや、こころを覗こうとして来ているようにも思える。


 ――この人は。


 魔とは、正反対の存在だ。


「――あなたは、もう、相当深い場所まで辿り着いている。というか、最初からある種の答えを得ていたのかもしれないわ。だから、魔にそそのかされてこれ以上首を突っ込むのは止めて、自分のしあわせを考えて暮らしなさい」


 自分のしあわせ。今、この人はそう言った。


 わたしのしあわせとは何だろう。


 一番の願いはこの息苦しい地方都市を出て遠くに行く事だが、それはしあわせとイコールなのだろうか。うちの社長や、早音さんや、積尸気さんの顔をふと思い出す。


「――長話し過ぎてしまったようね。お仕事がまだあるんでしょう?」


「――いえ、時間には少し余裕がありますから」


「あなた、最初に会った時はそばかすがあったと思っていたけど、よく見るとありそうで無い童顔なのね。可愛いんだから、もう危険な事は止めなさいね」


 そう言うと、神代さんは果物市場の方に静かに歩いていった。


 わたしはライチの詰まった荷箱を二つスクーターの荷台に縛って固定し、門管に帰る旨を伝えると果物市場の敷地を出た。


 道中は、神代さんの事で頭がいっぱいだった。


 あの人は、あまりにも神秘的過ぎた。積尸気さんとは対極の異様な存在感を放っていた。積尸気さんが魔王とするならば、神代さんは――まるで巫女のような。


 その巫女は、先程の会話で非常に重要な事の数々をわたしに告げたのだ。しかしわたしは彼女の纏う何かに圧倒されて、その真意を噛み砕いて考える事ができなかった。神代さんは、わたしに警告を発してくれていたのに。




 そしてわたしは、その事でのちに大いに哀しむ事になる。




 ライチ配達先の家宅まで到着するといつもの宅配手続きをし、軽く雑談をしてから営業本社に向かう。社長と少し打ち合わせをして、今日は早めに仕事を上がらせてもらった。


 真っ直ぐに家には帰らず、考えと感情を整理するために『Cafe 魔術師』に向かった。いつものモカを注文すると、自分のこめかみを指でトントンと叩いて神代さんの言葉を反芻する――だが、納得の行く解釈は思い浮かばなかった。『魔の葬送』で積尸気さんに教えを乞うべきなのかもしれないが、何故か、これはわたしが自分で考えなければならない気もしていた。


 マスターが熱いモカを持って来てくれた。


「今日はこの前のお連れさんは居ないんですねえ」


 早音さんの事だろう。


「はい。あの時はちょっと騒いだみたいですみません」


「いえいえ、賑やかで微笑ましかったですよ。ハヤネさん、でしたか」


「賑やかな人なんです。根は悪い人ではなくて」


「根っこから悪い人間なんて居ませんよ。ごゆっくりしていって下さい」


 垂れ目を優しく細めてマスターは厨房に帰っていった。わたしはモカを一口飲んだ。


 ――あなたは、もう、相当深い場所まで辿り着いている。


 神代さんはそう言っていた。


 だが、わたしは結局のところ、空回りを続けていただけで殺人事件の事に関しては何も知らないに等しい。これで積尸気さんに褒められるなどもっての他だ。


 ――それに。


 神代さんは北方の魔王の影とも言っていた。積尸気さんに認められる事が――あの謎の貴族然とした老人に褒められる事が、正しいとは限らないと言いたかったのだろうか。


 それから何十分か頭を巡らせた。


 だが、思考の迷宮に嵌まったわたしの中には、適切な言葉が降りてこない。


 とりあえず今日は帰ろうと会計に行き、マスターと雑談をする。仕事の事。早音さんの事。そして――空き地の殺人事件の事。


 マスターは「犯人が未だに野放しだから、怖がってるお客さんも多いんですよ」と、どこか寂しそうに言った。地域密着型の店だから、色々話も入ってくるし、思うところもあるのだろう。


 わたしは店を後にし帰宅した。


 ご飯を食べて眠る用意をするまで、思索の迷宮は解けなかった。


 ――これから。


 わたしはどうすれば良いのだろう。


 事件から手を引くのは簡単だし、そもそもわたしは何故深入りしようとしているのか。


 ――それは。


 あの魔王に、認められたいから。


 そして巫女のごとき神代さんはもう止めておけという。


 分からない。


 わたしがどうしたいのかが分からない。


 わたしには、アイデンティティが――無い。


 これから、どうすれば。

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