第十章(3):竜神の激闘、覚醒の兆し
竜神フワワと深淵の主が激しく衝突した。
『ギィィィィィィィィィィヤアアアアアァァァッッッ!!』
深淵の主の耳障りな咆哮と、竜神フワワの聖なる光を纏った突進が、正面からぶつかり合う。
竜神フワワの全身から放たれる聖なる光は、深淵の主の瘴気を物理的に焼き払い、周囲の空気を瞬時に清浄なものへと変質させた。
周囲の空気が歪み、地響きが城下町にまで伝播するほどの衝撃が走った。
フワワの小さな体からは想像もつかない巨大な力が、深淵の主の巨体を押し戻す。
深淵の主の岩石の体から、ゴゴゴゴ、と鈍い音が響き、さらに大きな亀裂が走り始めた。
「くっ…竜神フワワ…! 相変わらず、いや、前よりも凄ぇ…!」
カスパールは、竜神フワワの圧倒的な力に、驚きと興奮の声を上げた。
彼の紫色の宝珠が、フワワの放つ光に呼応するかのように、さらに強く輝いている。
「まさか、再びこの目で竜神の顕現を見るとは…! カスパールとローゼリアの力が融合した奇跡…!」
アルドロンは、その光景に目を見張りながらも、冷静に状況を分析する。
しかし、深淵の主もまた、ただでは終わらない。
その全身から、これまでにないほど濃密な漆黒の瘴気を噴き出し、竜神フワワを包み込もうとした。
その瘴気は、聖なる光を吸い取るかのように蠢き、フワワの輝きを鈍らせようとする。
『グオオオオオオオオオオオオオオォォォッッッ! 滅せよ…!』
深淵の主の赤い瞳が憎悪に燃え、無数の腕が竜神フワワへと叩きつけられる。
一つ一つの腕が山を砕くかのような威力を持ち、竜神フワワの鱗に激しい衝撃を与える。
竜神フワワの体が揺らぎ、聖なる光がわずかに霞んだ。
「フワワッ!! 無茶しやがって…!」
カスパールは叫んだ。フワワが、たとえ竜神の姿になったとはいえ、深淵の主の猛攻を受け続けていることに、カスパールの焦りが募る。
このままでは、フワワの聖なる力も消耗してしまう。
「禁断魔法・空間斬り!」
カスパールは、深淵の主の腕が振り下ろされる隙間を狙い、空間を切り裂くような紫色の魔力の刃を放った。
それは深淵の主の腕に深い傷をつけ、その動きを僅かに阻害する。
アルドロンもまた、竜神フワワを援護するために、次々と賢術を放ち、深淵の主の動きを封じようとした。
現実世界での激しい戦いが繰り広げられる中、私の呼びかけはルシアン様の意識の奥底へと深く浸透していた。
アズラエル王の「念」は完全に収束し、アリア様の光が彼の心を優しく包み込んでいる。
「ルシアン様…! 聞こえますか…? 私たちは…あなたを待っています…!」
私の声が、彼の最も深い場所に触れる。
凍てついていた彼の心が、温かい波紋を広げ始めたのが感じられた。
私はルシアン様への全ての想いを、言葉に乗せて彼の意識に送る。
「ルシアン様は、誰よりも優しくて、温かくて、私を包み込んでくれる光です。どんな時も、私の隣にいて、私の手を引いてくれました。その瞳は、いつも真っ直ぐで、全てを見透かすようで…でも、時々、ちょっと意地悪なところも、本当に大好きなんです。その笑顔は、どんな悲しみも吹き飛ばしてくれるくらい、輝いていて…私は、あなたを心から愛しています!」
私の言葉は、堰を切ったように溢れ出した。ルシアン様がどれほど素晴らしい人であるか、どれほど深く愛しているかを、私は夢中で羅列していく。
アリア様の光が満ちるルシアン様の意識空間で、私の言葉を聞いていたアリア様が、慈愛に満ちた眼差しで私を見つめ、小さく、クスッと笑ったのが分かった。
それは、娘の恋心を見守る母親のような、温かい笑みだった。
アリア様の存在が、私の言葉にさらなる力を与えてくれるようだった。
―――薄暗い深淵の空間に、いつも夢に見ていた女性の姿が浮かび上がる。
漆黒の髪にセーラー服、スマホを片手に小躍りする、あの懐かしい佐倉花の後ろ姿だ。
幼い頃、孤独な彼の唯一の救いだった、夢の女性。
以前は振り返ると消えてしまっていた彼女が、今、微かに輝きながら、ゆっくりとこちらへ振り向いた。
彼女の顔が、はっきりと見える。
優しい笑みを浮かべたその顔は、紛れもなく佐倉花だった。
「……セラフィナ?」
ルシアンの心が、かつてないほど激しく脈打つ。
夢の中でしか会えなかった彼女が、今、目の前で微笑んでいる。
胸の中に、言いようのない温かさと、深い安堵が広がった。
すると、花の姿が、ゆらりと揺らぎ、光の粒子となって砕けていく。
それは、過去の幻影が消え去り、現実の存在へと昇華するかのようだった。
そしてその光が集まり、形を変える。
現れたのは、見慣れた柔らかな笑顔——セラフィナだった。
「ルシアン様……!」
佐倉花の姿がセラフィナへと変化し、彼女は微笑んだ。
その笑顔は、夢の中で待ち焦がれた光そのものだった。
彼女が、迷いなくルシアンへと駆けてくる。
「セラフィナ……!」
ルシアン様の意識を覆っていた呪縛が、音を立てて砕け散った。
凍てついていた心が溶け、彼を縛っていた冷たい鎖が、内側から弾け飛ぶ。―――
彼は覚醒した。
その時、ルシアン様の意識の闇の淵から、微かに光が灯った。
それは、小さく、しかし確かな輝きだった。
その光は、まるで遠い記憶の残滓を辿るかのように、ゆっくりと私の元へと近づいてくる。
その光が、ルシアン様の瞳の色と同じ、透き通るような蒼色であることに気づき、私の胸は高鳴った。
――愛しい、セラフィナ。
その光の中から、ルシアン様の声が響いた。
それは、やっと聞くことのできた、いつもの優しい声だった。
「ルシアン様…!」
彼の意識が、私を認識した。
彼の心が、私の声に応えようとしている。
光はさらに強まり、私の手をそっと包み込んだ。
その温かさに、私は涙が止まらなくなった。
この温もりは、夢ではない。
――ありがとう。お前が、俺を呼び戻してくれた。
ルシアン様の光が、私を抱きしめるように包み込む。
彼の意識が、私を抱きしめているのだと、本能的に理解できた。
私の意識が、現実世界へと引き戻され始めるのを感じる。
まるで、深い水底から、眩しい光の差す水面へと浮上していくかのように。
それは、彼が目覚めようとしている証拠だった。と同時に、ルシアン様自身の意識もまた、深い眠りから覚め、現実世界へと戻ろうとしていた。
ローゼリアは、ルシアンとセラフィナの傍らに寄り添い、彼らを瘴気から守り続けていた。
その時、彼女の桃色の宝珠が、かつてないほど強く輝き始めた。
「ルシアン様、セラフィナちゃん…!」
ローゼリアの視線の先で、静かに横たわっていたルシアンとセラフィナの指先が、微かに、ピクリと動いた。
そして、その閉ざされていた瞼の奥で、ルシアンの瞳が揺れ動き、同時にセラフィナの瞼もまた、かすかに震え始めた。
彼の体が、かすかに震え、ゆっくりと、ゆっくりと…覚醒の兆しを見せ始めていた。
そして、その隣で眠るセラフィナの体もまた、呼応するように微かな震えを見せた。




