第九章(1):三千年前の王と現代の常識
その時、薄暗い室内の空気が張り詰め、空間そのものが軋むように歪んだ。
私の視界に、アズラエル王が最後の力を振り絞って王冠に念を送り込んだ聖域の祭壇が、幻影のように目の前に現れた。
そして、祭壇の中央に置かれた黄金の王冠から、漆黒の靄が立ち上り、みるみるうちに巨大な人影を形成していく。
それこそが、生きていた時よりもはるかに威圧的な雰囲気と、奥底に厳しい光を宿した、アズラエル王の「念」そのものだった。
『よく来たな、セラフィナ。いや、転生者よ。まさか、このような存在が、我が領域に足を踏み入れるとはな』
アズラエル王の声は、どこからともなく響き渡り、空間全体を震わせた。
その声には、私の存在を試すような、底知れない重みがあった。
彼の蒼い瞳が、私を射抜く。
(え、ちょっと待って……これ、アズラエル王!? ルシアン様のお父さん!?)
私は、脳内を過負荷状態にしながら、目の前の人影を凝視した。
全身を黒い靄に包まれ、威圧的な雰囲気を放っているというのに、その靄の隙間から垣間見えた顔立ち……ルシアン様と異なるのは髪色だけだった。
アズラエル王は漆黒の髪を持つが、ルシアン様と同じ吸い込まれるような蒼い瞳は健在。
鼻筋の通った整った顔立ち、そして引き締まった顎のラインは、紛れもなくかなりのハンサムぶりを示していた。
(うわあああ、これが公式からの「推しパパ」情報!? そりゃ、ルシアン様があんなに美しい顔立ちしてるんだもんね……このアズラエル王も、生きてた頃は相当なイケメンだったに違いない! 厳しいけど顔面偏差値は高いとか、最高かよ!……って、いやいや! 今はそんなこと考えてる場合じゃないでしょ私! 推しは試練の中で眠ってるんだぞ!)
脳内で全力でツッコミを入れ、自分を奮い立たせた。
『フン。貴様の甘い言葉など、我の前では無力。ルシアンは、魔法使いの王として世界の礎となるべき存在。情など、王には不要なのだ』
アズラエル王の言葉に、ふと佐倉花の世界の記憶が蘇る。
彼の言う「王としての責務」が、幼いルシアン様から感情や自由を奪うような、一方的な重圧だったことに気づく。
それは、まるで彼の心を無理やり型にはめようとしているかのようで、私の胸に言いようのない不快感が募った。
(ちょ、待って!? これって……もしかして、まるっきりアレじゃない!?)
脳裏に浮かんだのは、現代日本では、決して許されない行為の定義だった。
(これ、完全にアウトじゃない!? ルシアン様が幼い頃から、価値観を押し付けられ、感情を否定され、王国の道具にされようとしてたなんて……いくら三千年前だろうと、時代遅れも甚だしいよ!)
「ねえ、アズラエル王! あのね、あなたのしてること、私の元の世界じゃ完全に『児童虐待』ですよ!」
ルシアン様の幼い日の孤独な姿が脳裏に焼き付き、沸き上がる怒りを抑えきれずに、私は臆することなく叫んだ。
『何だと…? 児童、虐待…?』
アズラエル王の巨大な影が、わずかに揺らいだように見えた。
その言葉を理解できないようだったが、同時に、自分の行為が他者から定義されることへの苛立ちを滲ませていた。
「そうです! 子供の将来を親が決めて、感情を無視し、道具扱いなんて、人として許されることではありません!」
私は一歩前に踏み出し、言い募った。
「子供には、自分自身の感情があり、意思があるのです。それを尊重せず、ただ王国のための駒として育てようとするのは、教育でもなんでもない、ただの支配です!」
「それに、今時完全にアウト! めちゃくちゃ時代遅れですよ! もっとバージョンアップなさるべきです!」
私は三千年前の王に現代常識を叩き込む、場違いな講師と化していた。
「それに、あなた、三千年前の知識や常識にとらわれすぎているのではありませんか? 世界は広いんです! いや、この宇宙には、世界は一つどころか、たくさんあるんですから! もっと客観的にご自身を見てごらんなさいよ!」
私は指をさして、アズラエル王の「念」を真っ直ぐに見据えた。
「こんなにイケメンなのに、なんでそんなに意地悪な顔をしてらっしゃるんですか! 顔面偏差値が高いのに、その性格じゃ悪役キャラ街道まっしぐらですよ! せっかくの美形が台無しですよ!」
アズラエルは完全に呆れ返ったように呻った。
『何を馬鹿なことを…! 常識外れの転生者め!』
彼の怒りが空間を震わせるも、私の言葉が意外な角度から響いたのか、その威圧感は微かに弱まった。
それは、彼が今まで出会ったことのない思考回路と、その遠慮のない物言いに、一瞬だけたじろいだ証のようだった。
その時、漆黒の靄が薄れ、アズラエル王の「念」に深い悲しみが滲んだ。
『貴様ごときに、何がわかる…! 全ては、あやつが生まれたせいではないか…!』
アズラエルの声には、激しい悲しみが混じっていた。
『あの息子さえいなければ、アリアは死なずに済んだ』
『アリアの命と引き換えに生まれた…ルシアンには…王として、この世界を守るために…何よりも強くなってもらわねばならなかった。この試練を乗り越えねば、真の王にはなれない…! そのために、私は、全てを王冠に託したのだ…!』
アズラエル王の「念」は、再び強い光を帯び、漆黒の魔力を漲らせる。
それはルシアン様への厳しさと、王国への途方もない願いが混じり合った複雑なものだった。
私は、彼の深い悲しみと、それゆえに彼がルシアンに課した真意をようやく理解した気がした。
彼の厳しさは、愛する妻を失った悲しみと、その命と引き換えに生まれた息子に世界を託す、絶大な期待の裏返しだったのだ。
「ルシアン様は、誰よりも深く思慮深く、そして誰よりも温かいお方です! あなたには見えませんか?あの気品あふれるお姿! そして、冷静な眼差しの奥には、常に民を案じる慈悲の心が宿っています! たとえ困難な道であろうとも、決して諦めず、最善の策を探し続ける、その強さと賢さこそ、真の王の証ではないでしょうか!?」
私は、左手の薬指に輝くルシアン様の力を分けた漆黒の宝珠の婚約指輪から、温かくも力強い光を放った。
その光は、私の心に宿るルシアン様への愛と、彼の成長を願う強い想いを増幅させ、まるでアズラエル王の黒い靄を優しく包み込むかのように、聖域を照らし始めた。
「彼はこの勇者の世界との和平を願い、人々がより良く生きられる未来のために力を尽くされています! アルドロンさんの研究を尊重し、ローゼリアちゃんやカスパール君のようなかけがえのない仲間を、誰よりも大切に思っているんです! あなたが試そうとしている『情』こそが、孤独だった彼の心を温め、私たちと共に未来へと進む力を与えてくれたんです! その笑顔が、どれほど多くの人々を照らしているか、あなたにはお分かりになりますか!?」
私は、ルシアン様の素晴らしさを、言葉を尽くして語り続けた。
まるで、大切な家族の魅力を誇るように、熱く、そして真摯に。
「確かに、ルシアン様はあなたの想像する王とは違うかもしれません。でも、それは彼が、あなたから受け継いだものを土台としつつ、彼自身の経験と、私たちとの絆を通して、新たな王の道を切り開いている証拠なんです! それこそが、真の王の進化です!」
私の言葉一つ一つに、婚約指輪の宝珠が光を強め、私の決意に応えるように温かく輝く。
『甘い! あまりにも甘すぎる! そのような脆い繋がりで、この世界の重責を担えるはずがない!』
アズラエルの「念」は、さらに威圧感を増し、聖域の空間を揺るがすほどの圧力を放った。
漆黒の魔力が渦を巻き、私に迫り来る。
「甘くても構いません! 私たちの愛と絆は、決して脆くはありません! ルシアン様は、もう一人ではありません! 共に支え合う仲間が、そして私が、彼の隣にいるんですから! 彼の未来は、私たちが共に創り上げていくんです!」
私は、左手の婚約指輪と聖剣の宝珠を強く握りしめ、その光をアズラエル王の「念」へと向けた。
愛と、友情と、そしてルシアン様への揺るぎない信頼が、私の全身から溢れ出し、アズラエル王の放つ圧力に、臆することなく立ち向かっていく。
この光景が、ルシアン様の意識の深淵で繰り広げられている。
私が彼を信じ抜き、彼の心の光を見つけなければ、彼は過去の影に囚われたままになってしまうかもしれない。




