第六章(3):聖地からの救出(?)
数時間経ってもセラフィナが戻らないことに、佐倉家の中には静かな緊張感が漂い始めていた。
特に、夕食の時間になっても、あの食いしん坊のセラフィナが食卓に現れないという事態は、陽子も剛も、そして何よりルシアンにとって、尋常ではなかった。
いつもの彼女なら、夕食を抜くなどありえない。もっと早く戻ってくるはずだ。
ルシアンはすぐさま部屋を出て、リビングにいた陽子と剛に声をかけた。
「セラフィナが戻らない」
彼の言葉に、二人の顔にも不安がよぎる。
剛が「何かあったのか?」と問うが、ルシアンはすでに宝珠に意識を集中させていた。
彼は、自分の指に輝く漆黒の宝珠の指輪にそっと触れる。すると、セラフィナが部屋に残してきた聖剣の紅い宝珠が放つ光が、ルシアンの宝珠へと吸い寄せられるかのように、一層強く輝き始めた。
二つの宝珠は、まるで磁石のように互いを引き合い、特定の方向を指し示す。
「この光が、セラフィナのいる場所を示している」
ルシアンの声には、わずかな焦燥感が滲んでいた。
(かつて、俺が異界に囚われていた時、勇者たちがこの宝珠の光を頼りに、俺を探し出してくれた。まさか、今、俺が愛しい妻を探すために、この光に導かれることになろうとは……)
あの時と同じように、宝珠の光は揺るぎなく、ある方角を指し示している。
その先には、一体何が待ち受けているのか。
「陽子殿、剛殿。心配をかけるが、俺はセラフィナを探しに行く」
ルシアンは、二人に簡潔に告げると、足早に、そして迷うことなく光が指し示す方向へと歩き出した。
彼の脳裏には、先ほどまで共に過ごしたセラフィナの笑顔が焼き付いている。
そして、その笑顔が、今、危険に晒されているかもしれないという焦燥感が、彼の心を激しく揺さぶっていた。
夜の街を、ルシアンが、宝珠の光に導かれるようにして駆けていく。
その視線の先には、見えない鎖で繋がれた愛しい存在がいた。
***
一方その頃、私はというと、加藤さんとすっかり意気投合し、先ほどのアクリルフィギュアの奪い合いなどなかったかのように、仲良く店内の隅にある休憩スペースで盛り上がっていた。
「え、まさか加藤さんも、あの『魔法使いの王ルシアンと四人の勇者の物語』のファンだったなんて!」
「そりゃそうでしょ! あんな神作品、読まないとかありえないでしょ!? ていうか、あんたに『推し活をすると世界が広がる』とか言われて、半信半疑で読み始めたら、見事にハマったのよ! それにしても、あんたこそ、ルシアン様と婚約したからって、もうグッズ集めとか卒業したのかと思ってたわよ!」
「とんでもない! 推し活に卒業はないんですぅー! てか、加藤さん、まさか私たちのこと、本当にアクション俳優だって信じてたの!? 」
私が尋ねると、加藤さんはぷいっと顔をそむけた。
「そりゃ、あれだけリアルにそっくりだったら、誰だって信じるでしょ! 特にルシアン様なんて、まんま魔王ルシアンだし! 演技力が半端ない俳優さんだと思ってたんだからね! 佐倉花も、セラフィナにそっくりで、もう悔しくて、悔しくて、あんたのことだけは嫌いだったんだから!」
「えぇー!?私まで!?」
私は思わず叫んだ。まさか、そんな風に思われていたとは!
「でもさ、あの小説の五光の勇者たちの設定、マジで痺れるよね! それぞれの属性魔法とか、キャラデザも神だし! 特にカスパール様のあのツンデレ具合が最高じゃない!?」
「カスパール君のツンデレも捨てがたいけど、やっぱり、最高のツンデレは、ガイア様でしょ! あの高慢ちきなところがたまらない! あの美人で、ツンケンしてるのに、意外と乙女な部分があるとか、萌えるしかないでしょ!」
私たちは、次から次へとえありす先生の『魔法使いの王ルシアンと四人の勇者の物語』に出てくるキャラクターや設定について熱く語り合い、時間の感覚を完全に失っていた。話は尽きず、気がつけば店内は閉店準備に入り、店員さんに追い出される羽目になった。
「もうこんな時間!? ヤバい、夕飯!」
慌てて時計を見ると、とっくに夕食の時間を過ぎていた。
「セラフィナ!」
低い、しかし切羽詰まった声が、店内を静かに満たした。
私たち二人は、同時に声の主を振り向いた。そこに立っていたのは、紛れもないルシアン様だった。
相変わらずの美しい顔立ち、銀白色の髪、そして焦燥と安堵が入り混じった蒼い瞳。
彼は、私を見つけると、張り詰めていた緊張が解けたかのように、微かに表情を緩め、安堵の息を漏らした。だが、すぐにその眉間には深い皺が刻まれた。
私は、彼の顔を見て、一瞬で背筋が凍りついた。
(や、やばい…! ルシアン様、こんなところまで探しに来てくれたってことは、マジで心配してたってこと!? 推し活に夢中になりすぎて、魔王様のご機嫌を損ねてしまったぁぁぁ!)
私の脳内には、危険を知らせる赤ランプが点滅し始めた。
しかし、私の隣にいた加藤さんは、私とは真逆の反応を示していた。
彼女はルシアン様を見つけると、興奮のあまり、輝く瞳をさらに大きく見開いた。そして、立ち上がった。
「ルシアン様! お久しぶりですぅーっ!加藤です」
加藤さんは、以前ルシアン様に散々お叱りを受けたことなど、頭の隅にもないかのように、満面の笑みで駆け寄ろうとする。
「いやぁ、まさかこんなところでお会いできるなんて! やっぱり、あなたの美しさは次元を超えていますわ! このオタクショップという場においても、その輝きは一切失われないどころか、むしろ神々しさがマシマシで…!」
加藤さんの目は、まるで推しのライブ会場にいるファンが、最前列で推しを拝んでいるかのように、熱烈な感情でルシアン様を捉えていた。その瞳は潤み、体は小刻みに震えている。その興奮は隠しきれていなかった。
ルシアン様は、突然の加藤さんの登場と、その熱烈な歓迎に、一瞬呆然としたように立ち尽くしていた。
まるで思考が停止したかのように、彼は微動だにしない。
彼の眉間の皺が、さらに深くなったように見えた。私は、このカオスな状況に、頭を抱えたくなった。




