第六章(2):聖地での遭遇
翌日、私は佐倉家の庭でのんびりするのもいいけれど、久しぶりに日本の街の空気を感じたくなった。
気分転換に少しだけ外へ出ることにする。
前回日本に来た際は、エリアス様が聖剣をキーホルダーサイズにしてくれたので、常に身につけていられたのだが、今回はそのままの大きなサイズなので、部屋の隅に立てかけて置いていくことにした。
もちろん、もしもの時のために結界は張ってある。
完璧だ。
今は佐倉花の容姿だが、念のため、深くキャップを被り、顔が隠れるようにした。
ルシアン様は、私が外出を告げると、一瞬、心配の色を瞳に宿した。
しかし、私が「すぐ戻るから」と言うと、静かに頷き、「くれぐれも気をつけろ」とだけ短く言い置いて、執務のために用意された和室へと戻っていった。
彼は、日本にまで大量の公務を持ち込んでいるようで、おそらく今頃、山積みの書類と格闘しているのだろう。
お疲れ様です、ルシアン様。
魔王も定時出社、残業ありきって大変だなあ、と心の中でねぎらっておいた。
佐倉家の門を出て、駅前の商店街へと向かう。
見慣れた景色、賑やかな人々の声、そして懐かしい日本の匂い。
私はご機嫌で街をぶらぶらと歩いた。
ああ、この空気にこの匂い、これぞ我が故郷!と感動に浸りつつ、次の目的地へと足を進める。
そして、私の足は吸い寄せられるように、否、もはや魂が導かれるように、聖地へと誘われた。
そこは、壁一面にマンガがずらりと並び、フィギュアやアクリルスタンド、キーホルダーなどの神々しいグッズが所狭しと並べられている、通称「オタクショップ」!
キラキラと輝くその入り口を前に、私の魂は歓喜の雄叫びを上げた。
ヒャッハー!
待ちに待ったぜ、この時を!
私の目当ては一つ、いや二つ、いや無限大!
もちろん、ルシアン様の新グッズと、えありす先生の未読の最新刊だ。
よもやまさか、異世界に行って帰ってきたら、自分が推しと結婚するなんて誰が想像しただろうか。
いや、私でさえ想像できなかった。
しかし、結婚しようがしまいが、推しは推し!
推し活に終わりはないのだ!
店内へと足を踏み入れた瞬間、広がるはパラダイス。
目が、いや全身のセンサーが、煌めくルシアン様グッズを捉えようとフル稼働する。
そして、その視界の端に、光り輝く宝物を見つけた!
新作の「魔王ルシアン様 降臨アクリルフィギュア」だ!
え、ちょっと待って、これ、こんなにクオリティ高くていいの!?
魔王形態のルシアン様が、あの、あのマントを翻して微笑んでるぅぅぅ!
これは、是が非でも手に入れなければ、私の人生に悔いが残る!
私は前のめりになり、興奮のあまり震える指先で、その神聖なるフィギュアに手を伸ばした。
しかし!
同じタイミングで、もう一つの手がそのフィギュアに伸びるのが見えた。
私の手が触れたのは、狙っていたフィギュアではなく、別の誰かの指先だった。
「え?」
思わず、情けない声が出た。私は顔を上げ、相手を見た。
深く被ったキャップ、顔の半分を覆い尽くす大きなサングラス、そしてさらに顎から鼻までを隠すマスク。
その上、厚手でだぼっとしたパーカーが全身を隠している。
(な、なんだこの怪しさ満点の人は!? まるで、どこかの怪盗か、逃亡犯か…いや、まさか私もこの格好で来たから、同類か!?)
一瞬、脳内でBGMが流れ出しそうなほど、その人物の登場は衝撃的だった。
私が「誰だろう?」と首を傾げた、その次の瞬間だった。
その怪しい人物が、私をじっと見て、ぎょっとしたように息を呑んだのだ。
そして、微かに、震えるような声で私の名前を呼んだ。
「……佐倉、花?」
その声に、私の心臓が跳ね上がった。
この声、聞き覚えがある。彼女は、私の顔を見て完全に固まっている。
そして、まるで逃げ出すように、さっと手を引っ込めた。
「ちょ、ちょっと待って! もしかして…加藤さん!?」
私は慌てて声をかけ、その女性の腕を掴んだ。
彼女はさらに狼狽したように身を固くしたが、私の問いに答えようとはしなかった。
もはや怪しいとか以前に、明らかに挙動不審である。
まさか、こんなところで、こんな格好で、加藤さんに遭遇するなんて!?
推しグッズを前にして、素顔でうっかり浮かれていた自分を殴りたい気持ちでいっぱいになった。
加藤さんは、私が腕を掴んだせいで諦めたのか、ふう、と大きくため息をついた。
そして、サングラス越しに私を睨む。
「あんたこそ、何で日本にいるのよ佐倉花!? ルシアン様と結婚して、北方の国に移住したんじゃなかったの!? もしかして、ルシアン様にあっさり捨てられて戻ってきたとか?」
加藤さんの言葉は、相変わらず皮肉たっぷりだった。
しかし、その声はマスク越しでこもっていて、さらに全身の隠しきれない、熱気を帯びたようなオタクオーラと、背景に広がるルシアン様グッズの数々が相まって、まったく迫力がなかった。
むしろ、怪しい恰好で推し活に勤しむ彼女の方が、よほど滑稽に見える。
私は、カチンと来たが、それよりも先に、加藤さんがこの状況で私に放った言葉にツッコミを入れたくなった。
「加藤さんこそ、何で『ココ』にいるんですか!? その、その格好で! まさか、加藤さんも…!?」
私が目を大きく見開いて問い詰めると、加藤さんはさらに動揺したように全身を硬直させた。
「な、なによ! いいじゃない! あんたには関係ないでしょ!」
彼女はそう言いながら、興奮のあまりか、あるいはもう隠しきれないと思ったのか、顔を覆っていたサングラスとマスクを勢いよく外した。
そこにあったのは、いつもの加藤さんの顔で、その瞳は好奇心と僅かな動揺でキラキラと輝いていた。
「それに、私はとっくに目当てのものは手に入れたわよ!」 そう言って、彼女は足元に置かれていたショッピングバッグを指差した。
中には、私が狙っていたものと同じ『魔王ルシアン様 降臨アクリルフィギュア』の袋と、えありす先生の最新刊らしき背表紙が見えた。
(あら、加藤さんもやっぱり、ルシアン様が推しだったのね…! しかも、この限定フィギュア狙いとか、ガチ勢じゃん…!)
私は、なんだか急に親近感が湧いてきて、加藤さんへの怒りもどこかへ飛んでいってしまった。




