第七節:神の契約(しんのけいやく)
風が、吹いた。
けれど、まるでこの場にいる私たちだけが、別の季節の中に取り残されたような感覚だった。
静寂の中、大国主命はゆっくりと右手を差し伸べてきた。
その手は白く、細く、けれどどこか人のものではないような光を帯びていた。
「藤原ミコト。汝、言霊の継承者なり」
その言葉に、胸の奥がざわめいた。
私の名前——なんで知ってるの?
当たり前のように呼ばれたことで、逆に現実感が遠のいていく。
キリが、私の肩に飛び乗り、小さく囁いた。
「言霊の血を引く者は、神に選ばれし巫……それが、おまえなんだ」
「……や、ちょっと待って。私、そういうの聞いてないっていうか」
私は言いかけて、けれど自分の声が震えているのに気づいた。
逃げたい。関わりたくない。
なのに、その目が、手が、何よりその存在の重さが、私を一歩も動けなくしていた。
大国主命は、そのまま静かに続けた。
「この国は、いま再び闇に呑まれようとしている。
だが、我ら神は直接干渉することができぬ。人の世は人の手で守らねばならぬ」
言霊——。
それは、言葉に宿る力。
かつて古の時代、言葉は神に通じ、霊を動かし、運命さえも捻じ曲げるほどの力を持っていた。
「その力は、いまもおまえの中に在る。
だからこそ、汝は神使としての契約を選ぶ資格がある」
「……神使……」
私の口から、かろうじて出たその言葉に、大国主命は頷いた。
「汝の使命はただ一つ。各地の神と契り、神域を繋ぎ、穢れの影を祓うこと」
「……え、いやいや、待って。あの、急すぎない? 私、高校生だし、受験あるし……!」
どこかで聞いたような台詞を叫ぶ私に、ユキがくすっと笑った。
「まあまあ、気持ちはわかるけどさ。ここから逃げるってのは、もう無理かもね」
「おまえたち、最初から知ってて……!」
「うん、ごめん。ミコトがちゃんと起きてくれるまで、待ってたんだ」
ユキの声はやさしくて、それが逆に悔しくて、泣きそうになる。
だけど、わかってた。
この出会いが——この瞬間が——
ただの偶然じゃないってこと。
大国主命が、差し出していた手を少し下ろし、そっと言った。
「選ぶのは、おまえ自身だ。拒めば、この縁も、ここで終わる」
その声には、強制も恫喝もなかった。ただ、静かに選択を委ねてくるような——
それが、かえって重かった。
私は、胸の奥で何かが震えるのを感じながら、ゆっくりと手を伸ばした。
——私が、この世界のためにできることがあるのなら。
たとえそれが、ただの小さな力でも。
その指先が、彼の手に触れた瞬間——
黄金の光が、一閃した。
風が舞い、空が開き、私の心の中で何かが、確かに結ばれた。
神との契約。
この国を護る、言霊の巫女としての——目覚めのときだった。
次節、はたしてぐうたらJKはどうなるのか。
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