第六節:神域ノ扉、今ひらかれ
「チリン……」
もう一度、鈴の音が鳴った。
たったひとつの小さな音。それだけのはずなのに、世界のすべてがその一音に耳を澄ませているように感じた。
喧騒は消え、色も音も匂いも、すべてが遠のいていく。
冬の空はいつの間にか雲を裂き、灰と白の光が差す空間が、わたしたちの頭上に静かに広がっていた。
キリが低く唸る。
「来るぞ。絶対に目を逸らすな……いいか、ミコト」
私は何も言えなかった。
視線の先に、裂けるような光が降りてきたからだ。
それはまるで、空の一点に刺さった白銀の針のようだった。
そこから、ゆっくりと、静かに、誰かが降りてくる。
一歩。
また一歩。
足音はない。なのに、わかる。
この世のものではない存在が、確かにこちらに近づいてきている。
まず目に入ったのは、黒の衣。
深い闇を編んだような質の着物が、風もないのにふわりと揺れる。
その裾には、金と朱の文様が刺繍されている。古の神紋——まるで失われた時代の記憶のようだった。
そして、その顔が、明かりの下に現れた。
——美しい。
ただ一言、そう思った。
長く流れる黒髪、雪のように白い肌。
整いすぎた顔立ちが、かえって人間味を拒絶するような冷たさを放っている。
その目は、燃えるように紅く、けれど憂いを湛えたように伏せられていた。
「……あれが……」
私の声が、震えた。
ユキが、そっと言う。
「大国主命だよ」
その名を聞いた瞬間、空気がまた一段、冷たく張りつめる。
彼が踏み出すたびに、足元には淡い光の紋が浮かび、まるで見えない神殿の参道を歩いているかのようだった。
周囲に人の姿はない。
まるでこの瞬間だけが、この世界から隔絶されているようだった。
彼は、わたしの前で立ち止まった。
その瞳が、ゆっくりと私を見据える。
まっすぐに、深く、何もかも見透かすような目。
言葉はなかった。
ただ、その視線だけで、問われている気がした。
「——おまえが、言霊の継承者か」
心に直接響くような、低く澄んだ声。
その瞬間、背筋が総毛立った。
神が、私に語りかけている。
現実が、確実に変わったのだ。
私は、何かを答えようと口を開いた。
けれど、声が出ない。言葉が、見つからない。
そのときだった。
「……やっと会えたな」
神——大国主命が、ふっと微笑んだ。
それはほんの一瞬。
けれど、その笑みに、なぜだか懐かしさを覚えてしまった。
私の中にある、ずっと昔の記憶。
それは夢か、幻想か、あるいは前世の残響か——わからない。
でも、確かに思った。
この人を、私は知っている。
最初の神の登場です。次節は神使として主人公が問われます。
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