チェック・メイト
放課後の部室に夕陽が射し込んでくる。
木造二階建ての古い校舎の一番奥にある狭い部屋は美術部の部室、チェス盤を挟んで座るのは貴男と私の二人きり…――ああ、此れは高校時代の夢だ。
思案顔の貴男がゆっくりと駒に手をかける。
眼鏡の奥の少し窄められた茶色の目、眉を寄せる表情に見惚れてしまう。
――次に発せられる貴男の言葉はきっと……
「キャスリング」
貴男の宣言に『ああ、やっぱり』と思いながら私は自分の駒を動かす。
チェスはあまり強くない私だけど、貴男に負けることは他の人のそれよりは少ない。
それから暫く続けられた勝負は貴男の一言で呆気なく終りを告げた。
「スリーフォールド・レピュテーション」
ああ、終わってしまった、そう思いながら盤上から貴男の顔に視線を移すと、硝子の様な茶色の瞳で悪戯っぽく微笑む。
チェス盤を片付け終わると丁度下校する時間になった。
「ん、帰るよ?」
そう声を掛けてくれるので、今日も駅まで一緒に歩けると嬉しく思う。
駅までの15分、少しでも長く一緒にいたいから信号に引っ掛かる事を期待しながら並んで歩く。
「そう言えば前回の勝負もステイルメイトで引き分けだったよね、他の人には勝てるのになぁ」
貴男は不思議そうに話す。
だって、貴男の考える事は判るもの。
一寸した目の動き、眉を寄せる表情、口に手を持っていく仕草。
だって、ずっと貴男を見ているから。
ずっと貴男だけを見ていたから、貴男が誰を見ているのか気が付いてしまった。
それでも気付かない振りをして貴男の側にいる。
卒業まで、あと少し。 このまま側にいさせて。
チェック・メイトは聞きたくないから、態と勝負を引き延ばす。 少しでも長く、盤を挟んで貴男の前に座っていたいから。
少しでも長く貴男のその瞳に私を映していたいから。
だから、お願い、彼女に告白しないで。
だから、お願い、私の想いに気付かないで。
このままいつまでも試合を続けて……
チェック・メイトを告げないで――
目が覚めて、ああ夢だったのかと独り言ちる
――何十年も前の懐かしい夢、叶うことの無かった想いは、だからこそ宝物の様に私の心の奥底に眠っている
拙作「逢いたいけど逢いたくない」のワンシーンをラジオ大賞用に書き直しました
今書いている話を全部終わらせたら、ゆっくりと書き直したい作品です