よいではないか、ぐへへっ
彼らの逃避行が始まってから約五分。
チラチラと後ろを振り返りながら少女は呟く。
「…このままじゃ追い付かれるよ。」
彼女ら二人とトンタ王との間に確保されている距離は時間が経つにつれて着実に縮まっていた。幾ら下調べをしたとは云え、舞台は敵が所有する超巨大王城。いざという時に備えて抜け道や隠し扉などは数多く設置されている。当然その最短経路を一番知り尽くしているのは城主であるトンタ王本人であり、ただ愚直に鬼ごっこを続けていればいずれ捕獲に成功するであろうことは全員が理解していた。
「まだ入り口までには遠いしねぇ…。」
「思い切って窓から脱出する?」
「んははっ、この高さからかい?」
彼女達の現在地は王城三階中央広間付近。
窓から地上までの高度は十五メートルよりも上だ。
生身で飛び降りることは純粋な自殺にも等しいだろう。
「でもねぇ、それ採用っ!」
尤も好奇心旺盛なミドのお眼鏡には適った様だ。
「へっへっ、どうせなら悪戯しようか!」
「この局面でよく悪戯っていう発想に至るね…。」
「まぁまぁそう言わずにさ。レナの能力って何だっけ?」
「布生み出せるだけだよ。あとその応用で糸とかも。」
「いいねいいね! 悪用し放題じゃないか!」
ふと疑問に思った様子で少女は少年に問い掛けた。
「…ミドの能力、私知らないんだけど。」
「んん、ぼくかい? ぼくのはそんな大した物じゃ…。」
「そうやって誤魔化そうとしないで、教えなさい。」
「…ぼくは『葉っぱを生み出せる』ってだけさ。」
「え? 葉っぱ? 地味能力ランキング一位獲れるよ。」
「ほうらそういう反応するじゃないか! だから言いたくなかったんだっ!」
ぷんすかという擬音が似合う仕草で頬を膨らませるミド。
レナは軽く謝罪しながらも、自らの境遇を思い出して気を引き締めた。
「それで何を仕掛けるつもり?」
「ふっふっふっ、それはねぇ――」
◇◇◇
全力で走りながら絶えず斬撃を放っていたトンタ王は、
言い表し難い違和感を覚え、片手剣を腰の鞘へ仕舞った。
「…何処に隠れた?」
気付けばそれまで前を歩いていた筈の二人が居ない。
今の廊下は一本道だ、曲がれる場所が在るとすれば…。
「ニコの部屋か。…流石に寝ている時間だろうな。」
と或る扉の前で立ち止まったトンタ王は逃亡者の所在を確認しようとノックをし掛けるが…、己が正妻の安眠を気遣い寸前で堪えた。もしもアテが外れていれば只々一人の姫君へ迷惑行為を仕掛けただけの王様になってしまう。しっかりとした理性と常識を備え、無駄なリスクを取らぬ辺りが彼の賢明な部分だろう。
だが彼の自制心は些細なことで吹き飛ぶのが特徴だ。
「お、お止めくださいミドさん…。」
「ぐへへっ、よいではないかよいではないか。」
室内から聞こえるのは愛しの町娘と件の少年との会話。
町娘はトンタ王にしか聞かせぬ様な嬌声を上げていて…
少年の方はそれを下卑た笑いで愉しみつつも、更に手を加えようとしている。
そんなふざけた不敬をトンタ王が許す訳も無い。
「お前ェ”! 余程死にたいみたいだな―――」
力強く部屋の扉を開け放った彼は部屋へ足を踏み入れ…
「――なア”アアアァァァッ??!!!」
床スレスレの白糸に絡め捕られて、すっころんだ。
「はいレナ! グルグル巻きの刑に処すんだ!」
「うんっ! ミドでいっぱい練習したから得意だよ!」
「そんなこと誰も聞いてないけどまぁ良し!」
素早く飛び掛かった少女がトンタ王をミイラにして行く。
「レ、レナちゃん、やめっ、アッ……」
「ねぇミドこの人なんでか気持ち良くなってる!」
「うーん、そういう趣味なのかなぁ。」
計り知れぬ嫌悪を抱きながらも身体を縛り付けて行く。
「ねぇなんかビクンビクンしてる!」
「あっ、レナちゃん、もっとぉ…、」
「ひゃああぁぁミド助けてぇぇぇぇ!」
王城内に絶叫を響かせながらも全身を布で包んで行く。
「あっやめないで、もっと強く押さえ付けてぇ、」
「うぇひぇぇぇ…、ね、ミド、もういい? もういい!?」
「うんバッチリだね。後は剣を取り上げて、と。」
ばっちい物に触っちゃった、を珍しく取り乱すレナ。
そんな彼女に苦笑しながらもミドは剣を鞘ごと取った。
余っていたレナの包帯を使って念の為に刀身を封印し…。
悪巧みへの協力願いを快く了承してくれた女性に向けて感謝を告げる。
「ごめんねぇニコさん、巻き込んじゃって。」
「うぅん、二人はこれからどうするの?」
「国を出るのさ。もうこの城には戻らないかもねぇ。」
「あら、それは寂しくなっちゃうね…。」
ミドからトンタ王の剣を預かりながらニコは微笑む。
「じゃあ、気を付けていってらっしゃい。」
「うん、色々とお世話になったね! どうかお幸せに!」
少年は少女の手を掴み、――三階の窓から飛び降りた。
◇◇◇
舞い散った幾枚もの若葉の中から彼女らは姿を現す。
身を投げ出したにも関わらずその身体に傷は見られない。
「…ねぇ、ミド。今のって…。」
「んふふっ、みんなには内緒だよ?」
ミドはレナの追究をひらりと躱し、前へ歩み出る。
色々とあったが辿り着いた先は目的通り城前の庭園だ。
後はこの道を真っ直ぐ行って、あの立派な城門を潜れば…
「ミド・フォリア、レナ・ヴェスティ…恨んでくれるな。」
…見据えた先には百余名にも迫る兵隊が立ち並んでいた。
「兵士さん、どうかそこを通してくれないかい?」
「申し訳無い。ですが、これが我らの仕事だ。」
「お願い。私達、誰にも迷惑掛けないようにするから。」
「国王様がお二人の存在をお望みなのです。…行かせられません。」
二人の痛切な願いも虚しく兵隊は一歩も道を譲らない。
「――言ったではないか。キミ達を逃がさない、と。」
更に状況は悪化…自由の身となったトンタ王が迫り来る。
…何故だ。あそこまで厳重に縛った布をどうやって?
三階の窓を見上げれば、包帯で巻かれた剣が目に入る。
つまりニコがトンタ王を解放した訳でも無い様だ。となれば逃走手段は…。
「…剣を介さずとも斬撃能力は使えるのかい?」
「ご明察だよ、ミドちゃん…いや、ミドくん。」
「全身から放たれる斬撃かぁ。中々に厄介だねぇ。」
しみじみと呟くミドに対し、トンタ王は言葉を重ねる。
「ちなみにキミ達が同乗しようとしていた浮島だけど、
国王命令で出発時刻をズラしてもらったよ。今頃は夜空の上だろうな。」
「そんなっ…、」
「やってくれるねぇ。」
唯一の脱出経路も完全に潰されてしまった。
最早、ミドとレナがラチュリ王国を脱する術は無い。
後は永遠にこの城で囲われ飼われるだけの生活だろう。
「…レナちゃん。この城の何が不満だ? 君が望むのならば、俺は世界中のあらゆる衣装を取り寄せることが出来る。店を続けたいのならば或る程度の便宜も図ろう。世間では色欲魔王や絶倫国王などと散々な言われ様だが、俺が本当に望んでいるのは相思相愛の関係だということも是非理解して欲しい。
敢えて公言させて貰うが、この城に住まわせている町娘の中でも現状で褥を共にしている女性はニコちゃんだけ。他の側妻達同様に、レナちゃんが希望するまでは決して俺の方から手を出さないと誓おう。役目に縛られる必要も無く、己が純潔を差し出す必要も無い。ただ俺はレナちゃんとこの城で暮らして行きたいだけなんだ。…今一度、考え直してくれないか?」
それはともすればプロポーズにも類する言葉だった。
トンタ王の硬い表情を見るに歴とした本心なのだろうが。
「最初に『ペロペロしたい』とか言ってた人と同一人物とは思えないねぇ…。」
ミドのちくちく野次が飛ぶがトンタ王は動じない。
過去最大級の真剣な瞳に視止められたレナの返答は…。
「ごめんなさい。」
容赦の無い拒絶だった。トンタ王は清らかな涙を流す。
そんな彼に満を持してと云った様子のミドが訊いた。
「トンタ王さん。あなたは『何の王』だい?」
極限まで言葉を刮ぎ落とした様な抽象的で曖昧な問い。
それでもトンタ王は悩む素振りを見せずに答えて見せた。
「俺は――美しき天女に囲まれしトンタ・ラチュリ王さ☆」
…兵士の冷ややかな視線が飛び、レナは身を震わせる。
質問を行った緑髪の少年は目を伏せて数回無言で頷いた。
「そっか、ありがとうね。――走るよっレナ!」
ギュッと少女の手を握り締めた少年が駆け出す。
向かう方向は城門の逆、つまり王城へと戻ることになる。
「どうかな、バッチリ決まって…って何処へ行くんだ!!」
トンタ王の横をすり抜けて走り続けるミドとレナ。
「これ以上は無駄な抵抗だぞ!!」
王の勧告も、兵士の騒めきも。聞かないフリをして。
茶色ポンチョの少年は自ら望んで破滅の袋小路へ逃げる。
それは浅略か、無計画か、自暴自棄か、或いは――。
何にせよ白髪の少女にはもう信じる事しか出来なかった。