わちきは今日も絶好調ですわ
ミドとレナが王城に幽閉され始めてから三日。
最初の不安は何処へやら城には平和な日々が流れていた。
朝昼晩の食事は豪華で、昼寝も散策も特に制限は無し。
頼めば茶が出るし、願えば菓子が出る。誰もが羨む自堕落生活が其処に在った。
城の中では彼女ら二人以外にも、トンタ王に惚れ込まれた町娘が多く暮らしている。数は三十にも及ぶだろうか。入城当初は若い娘特有新人いびりの餌食になってしまうのでは無いかと心配していたミドとレナだが、総じて穏やかで和やかな性格を持っている町娘達のお陰で杞憂に終わっていた。トンタ王も普段はそれなりに忙しい様で、あの謁見以降で二人の前に姿を現したのは精々数回程度。故にレナやミドの貞潔が穢されるという事態が起こる事も無く。強制連行と女装侵入という荒々しいスタートを切った割に、彼ら二人はかなりの好待遇で生きて行くことが出来ていた。
「ここに居ると平和ボケしちゃいそうだねぇ。」
「ほんとに、…あ、そこもうちょっと強く…、」
二人がそんな幸福な日々の享受を拒む筈も無く。
今朝は九時起きで最高級のパンケーキをいただき。
今昼は城内に備えられた衣裳部屋にてオシャレを楽しみ。
今晩は一流整体師によるマッサージに微睡んでいた。
「あ、あぁ、良いよぉ、ちょうだい、もっとぉ…、」
「ねぇミド気持ち悪い声出さないで。…ひゃうんっ…、」
…端的に言ってしまえばただのニートである。
◇◇◇
大浴場に浸かり夕飯を貪り娯楽に溺れ…。
三日目の夜も満喫した二人だが、レナは危機感を覚える。
「…私たち、これで良いのかな。」
「まぁまぁ、ぼくたちはあくまで側妻なんだからさ。」
「いや『妻としての務め』を危惧してるんじゃなくて…。」
少女は呆れた様に突っ込むが、直後に一瞬口を噤む。
聞き流してはならぬ爆弾ワードを少年が発したからだ。
「……ミド、まだ自分のこと女の子だと思ってる?」
「あったりまえさ! この城ではそういう設定だからね!」
「あの王サマ以外全員気付いてるよ?」
「ま、まさかそんなこと…。」
「そんな反応するならもっと隠し通す努力をしなよ…。」
地毛である短い緑髪を物怖じする事無く周囲へ見せ付け、ビュッフェでは肉ばかり取ってガツガツ食い荒らし、一人称は安定の『ぼく』を採用し、浴場では白昼堂々男湯側へ駆け込み、共同部屋であろうともいびきを轟かせながら爆睡し…。品性の欠片も無い行為を繰り返すミドの性別が、同じ城の中で暮らしている町娘や兵士や使用人などにバレない筈も無かった。むしろ『元気な坊や』として可愛がられている節すら在るので、ミドは既に完璧な開き直りを見せている。
…の割に彼は口をあんぐり開けて愕然としている訳だ。
レナの凍て付く様な瞳が向けられるのも無理は無い。
「け、けど、王の前ではぼくもちゃんと気遣ってるし?」
「……それこそ正気を疑うけどね。だってミドの…」
「――キミ達! 今日は月が綺麗だね☆」
その甘い声が届いた瞬間レナは露骨に嫌そうな顔をした。
見れば廊下の向こう側からは噂の青年が歩んで来ていた。
くねくね身体を揺らし眼を蕩けさせながら、彼女達の方へ向かって来ていた。
「こんな場所で双子星が輝いてるかと思えば、レナちゃんとミドちゅぁんか。」
「うげぇっ……ん”ん、こんばんは、トンタ王。」
「…もしかして俺に会いに来てくれたのかい!?」
「…あちゃちゃちゃ、気持ちわ……ん”んん。」
本音を発したいレナと、穏便に事を済ませたいレナ。
小柄の少女の内側では激しい主権争いが行われていた。
明らかに後者が百歩程リードしている様に見えるが、本人は至って真剣である。
「む、ミドちゃんは少し元気が乏しい様子だが…。」
ふと視線を横にずらしたトンタ王が少年の名前を呼ぶ。
対するミドはと言うと、いつの間にか懐から取り出していた女装用のウィッグで長髪に扮し、長らく踏み付けていた靴の踵を綺麗に直し、皺が出来ていた茶色ポンチョを撫でる様に整え、一文字に結んでいた口元の端を軽く吊り上げ…。レナが稼いだ数秒の猶予を余す事無く使うことで可憐な『ミドちゃん』への変身を遂げていた。元の素材が良いことが功を奏しているのか、急造の女の子とは思えぬ程気品ある姿形である。
何はともあれ、トンタ王に向き合う準備は完了した。
後は少し高くした声で当たり障りの無い会話を交わせば…
「ごきげんよう。わちきは今日も絶好調ですワ!」
…甲高いミドの裏声を聞いたレナが小さく吹き出す。
「そうかそうか、なら良いんだ!」
「わちきの身に余るお気遣い、感謝するですわよ!」
「ミドちゃんのハスキーボイスはやっぱり癖になるなぁ。」
(彼、裏声の維持が辛くて声掠れてるだけです…。)
疑念を持たず全肯定を繰り返すお気楽脳ミソは才能か。
それとも『恋は盲目』が悪化し過ぎた色欲男の末路か。
何にせよレナからすれば見ている分には最高な茶番劇だ。
「こんな良い夜に出会えたのは運命としか思えないな!」
「わちきも同意見ですワー!」
「だが時機が悪い…、今宵の相手はもう決まってるんだ。」
肩を落とすトンタ王に隠れ、レナはガッツポーズ。
今日も何とか貞操の危機から逃れることに成功した様だ。
「だが、二人が良ければ俺は三人同時でも――」
「それでは、おやすみなさいトンタ王。」
「ご機嫌麗しゅうですわ?」
振り向いたトンタ王が視たのは歩き去る二人の後ろ姿。
残念そうにしながらも、かの王は辛辣さに頬を緩めた。
新たな性癖が開花しそうな王の所為で悪寒を感じながら、
一刻も早く部屋へと逃げ帰りたいレナはミドの手を引いて廊下を突き進む。
「ふふーん、どうだい! 完璧な女の子だろう!?」
「キャラ付けが雑過ぎ。あの王サマが節穴でよかったね。」
「モデルは異国で出会った王女なんだけどなぁ。」
「そんな残念姫君が実在するんだ…。」
今日一番の驚きを以て少女が呟く。
「そういえば、話の続きじゃなかったかい?」
少年が指摘したのはトンタ王に出会う前の会話だ。
変な方向に脱線していたが確か或る発言が始まりだった。
「『これで良いのかな』ってどういうことだい?」
「あぁ覚えてたんだ。」
「そりゃあ勿論、記憶力には自信が有るんだ。」
胸を張るミドへ笑い掛けながらも、彼女は口火を切る。
「このまま何日も城でダラダラしてて良いのかな。
私は自分の店も有るし、ミドは…環境保全活動か。
兎に角それぞれしなきゃいけないことが有る訳でしょ?」
レナとしても今の生活はそれなりに楽しんでいる。
普段は贅沢も娯楽も求めぬ堅実な暮らしをしているから、
費用も時間も気に掛けぬ生活は完全に新鮮な物であった。
だがふと思う。これが永遠に続くのは嫌だな、と。
祖母から受け継いだ店をほったらかしにして。
義務と責任を捨てて権利と恩恵だけを摂取して。
国を支配する統治者に囲われながら生涯を終える。
「このままで、幸せな人生を歩める気がしないな。」
リスクもアクシデントも無い人生は楽かも知れない。
けれど多分、彩りに欠けた一面白黒のつまらない一生だ。
…壮絶な人生を歩んで来た齢十歳の少女は確信していた。
「あぁ、そのことなんだけどね…。」
同じく生まれて十年、緑髪の小柄な少年が口を開く。
放つ言葉はレナの知見を超えた突飛な未来設計であった。
「ぼくは明日中にこの国を発つことにするよ。」
瞬間、レナの心は穴が空いた様に冷え込んだ。
痛む心臓を抉り取るみたいにして風が吹き抜ける。
それほどまでに、少年の存在は少女にとって大きな物へと変わっていたのだ。
前触れなく突き付けられた別れ。彼女の返事は――