水の星の願い人
地表の九割を海で覆われた星、惑星リロカ。
点在する島々を泊に、人々は船を拠り所として海原を漂い、離合集散を繰り返しながら暮らしていた──
貧しい漁師の少年アウロは、月に一度の船合わせで、幸運を呼ぶという白い石を売り付けられる。
その夜、アウロは謎の集団に襲われる。祖父を殺され、アウロ自身も連れ去られようとしたとき、白い石の中から“人魚の少女・リアラァ”が現れる。
祖父の古い知り合いを名乗る老人・ノルシクに助けられたアウロは、惑星リロカが滅びの危機に瀕していると告げられる。それを止めるためにはリアラァと、そしてアウロの命が必要だった──
傭兵、海賊、テロリスト。一癖も二癖もある仲間たちに、決して真意を明かそうとしないノルシク。
様々な思惑をはらみながら、アウロの長い長い旅が始まる。それは、アウロが自分の生まれてきた意味を知り、“命の使い方”を選ぶまでの旅路──
青く透明な海原の真ん中に、廃材の群れが浮かんでいる。
ラロヨ諸島は、古くから交易の中継地として発展してきた群島だった。
珊瑚礁が堆積してできた島々は泊となり、人が増えれば船を繋ぎ、互いを綱で舫ながら沖へ沖へ。
船を大地に、流れ着く廃材を家に変え、いつしか港市を成すまでに至っていた。
ひしめき合う船の間を、一人の少年が歩いていた。
齢は十四か、十五。日に焼けた浅黒い肌に、細身の身体。身に着けているのは、穴の開いた麻のシャツと膝丈のズボン。顔立ちは整っており、大きな目の中の瞳は碧かった。墨のように黒い、潮に洗われた不揃いの髪が、肩のあたりで揺れていた。
少年は海イグサで編んだ籠を背負い直すと、桟橋の左右に視線をやった。桟橋に並んだ船を一つ一つ確認し、首を傾げて来た道を戻る。
二十歩ほど歩いてから左右を見、また思い直して元の道へ。
彷徨い歩く少年の身体を、周囲の人波が鬱陶しそうに押し退ける。
この日、ラロヨ諸島では、月に一度の船合わせが行われていた。無数の隊商船団が舳先を並べ、一大マーケットが開かれる。
鋼鉄の貨物船から粗末なカヌーまで。島を基点として四方八方に船が延びる様は、巨大なヒトデを思わせた。
近海の魚介に、色鮮やかな果実。生活用品から燃料、機械部品。普段は見かけない珍奇な品々までもが、商船の船縁に並べられる。
商船の間には簡易の桟橋と水路が張り巡らされ、周辺の海域から押し寄せた大勢の客と舟で、島はごった返していた。
マーケットの案内人に二回も料金を支払い(一人目は、まったく関係ない場所へ連れて行かれた上に逃げられた)、散々歩き回った末、少年はやっと目的の場所にたどり着いた。
ヒトデの足の先端付近。マーケットのおよそ最南端に、古びた船が一隻、浮かんでいた。
それは長さ八十フィート。二つの船を並んでくっ付けた双胴船で、帆とエンジンを両方積んでいた。このあたりでは、典型的な商船のスタイルだった。
「よお、アウロ。ひと月ぶり!」
双胴船の右舷側。舷側に降ろされた店舗用の小舟にいた店員が一人、少年の姿に気付いて声を掛けた。小舟の頭上には、屋根代わりの帆布が掛けられ、表に“トアラ商会”と染め抜かれている。
桟橋に籠を下ろした少年、アウロは店員の顔を見て、ほっ、と息を吐くと、
「久しぶり、シャハーム。……いま、いいかな?」
「ちょっと待ってろ。おーい、誰か! ここ代わってくれ!」
シャハームと呼ばれた店員は、背後の双胴船に声を上げた。返事が来るのも待たずに、ひょいっと陳列された商品を乗り越える。
小舟から出てきたのは、アウロと同い年くらいの少年だった。アウロより小柄だが、若干太め。煙水晶のレンズが嵌った丸眼鏡を、額のあたりに引っ掛けていた。
「ここ、分かりにくかっただろ? 親父がクジで負けちまってさぁ」
けらけらと笑うシャハームに、アウロは無言で頷いた。案内料二回と一時間分の頷きだった。
「ほら、今年はホスナムんとこが市長だろ? やっぱ氷海の連中はダメだな。頭が固いうえに、融通が利かないったら、」
アウロから籠を受け取ったシャハームは、おっ、と息を呑んだ。
籠の底を持って慎重にひっくり返す。籠の口が逆さまになり、そこからずるりと出てきたのは、一抱えほどもある大型の魚だった。
「スゲェ……兜頭じゃねぇか!」
シャハームの声が弾んだ。
桟橋に横たわった魚は、兜頭は、長さが五フィート強。二股に分かれた尾に、身体は左右から押し潰したように平たい。体高は高く、隆起した額は、つるりとした丸みを帯びている。
「今朝、島の近くで見つけたんだ。捕まえるのに苦労したよ」
鰓からドス黒い血を流す兜頭を見下ろして、アウロは言った。両膝に置かれた手の指には、まだ真新しい小さな傷が、いくつも付いている。
シャハームは、腰の袋からペンチを取り出すと、鋭く尖った鱗を一枚、兜頭から引っぺがした。
耳元に近づけ、鱗の端っこを中指の爪で弾く。
キィンと高く澄んだ金属音に、シャハームは舌なめずりした。
「……よく詰まってる。傷も少ねぇし、こいつぁ上物だな」
「どうかな? ここで買ってもらえる?」
上目遣いになるアウロを、シャハームは鼻で笑って、
「バーカ。こいつを買わないなんて間抜け、うちの船にはいねぇよ!」
屋根代わりの帆布で兜頭を包み、背中に巻き付ける。そのまま器用に錨鎖を伝って、双胴船に駆け上った。
甲板に溢れた商品の間を縫い、船の後部へ。
操舵室の後ろ、商品の買取に使っているスペースへと兜頭を運び込む。
「最近は、どこ行ってもスカンピンでな。うちも鉄と銅が手に入んなくて、困ってたんだよ」
台に載せた兜頭の鱗を一枚一枚はがしながら、シャハームがぼやく。後ろからゆっくりと歩いてきたアウロは、乾物の山を崩さないよう注意しつつ、
「やっぱり、物不足はどこも一緒なんだね」
「お前も見ただろ? 船合わせだってのに、どこの店もすっからかんだ。漁獲量はどんどん減ってるってのに、大尽様方はお構いなしだしよ。食い物も資源も、みーんなクジラの腹ん中に持って行っちまう」
アウロは、船縁から下を覗いた。トアラ商会の店先。舷側に繋がれた小舟に並ぶ品は、どれも去年の今頃に比べて、三割り増しの値段が付けられている。
「どこもかしこも不景気ったらねぇ──近頃は、妙な連中も増えてきたしたな」
そう言って、シャハームは鱗を計量する手を止めた。桟橋の反対側、小さな商船団が溜まっているあたりを睨みつけた。
その男は、古びたカヌーの舳先に腰掛けていた。
見た目は二十代半ばほど。このあたりでは珍しい白い肌。頭髪は鮮やかなオレンジ色で、頭の右半分だけを剃り上げ、残りを左へ垂らすような形に伸ばしている。
男はまだ青い海リンゴを齧りながら、退屈そうに周囲の人波を眺ていた。時折、脚を組み替えると、腰の左右に吊った二本の刀が、かちゃりと音を立てる。
一向に動こうとしない男を見て、カヌーの主が迷惑そうに顔を顰めていた。
「ありゃぁ、ここいらの人間じゃねぇな。肌の色からして、南の出だろ。もしかしたら、南方傭兵かも」
シャハームは険しい顔で言った。
「うん。きっと、ここら辺の人じゃないね」
アウロは、深く頷きながら言った。あんなに青い海リンゴを食べるなんて、アウロには考えられなかった。きっと、もの凄く酸っぱいに違いない。
「西のほうじゃ、戦争が近いって噂だ。ああいう連中が出張ってくるとなると、本当かもしれねぇ」
「戦争って……東の海みたいな?」
「まさか」
顔を曇らせるアウロに、シャハームは肩を竦めた。
「西の連中に、そんな度胸はねぇよ」
十年も戦い続けるなんてさ、とシャハームは気のない声で言った。
「……こんなに貰っていいの?」
分厚い配水チケットの束に、アウロは面食らった。紐で繋いだ貝貨も冗談みたいな長さ。アウロの手首から肘まで、いっぱいに巻き付けても、まだじゃらりと重たげに垂れている。
「鱗にプラチナが混じってたんだ。その分、割増しにしといてやったぜ」
シャハームが快活に笑う。肩をバシバシ叩かれて、アウロはぐらぐらと頭を揺らした。
「で、どうする?」
「へ?」
「金の使い道だよ。うちで買い物してくんだろ?」
シャハームに言われて、アウロはこくこく頷いた。そうだった、買い物するんだった。
双胴船からおりて、アウロは小舟の商品を物色した。見たこともない大金に動揺しながら、ともかく必要なものだけ買おうと、懸命に頭を働かせる。
「ええっと、米と芋。それに水と……」
「香辛料、いいのが入ってるぞ。燃料も、うちは混じりっけなしだ。買ってけよ」
「じゃあ、それも」
シャハームは、てきぱきと注文の品を揃えながら、
「そういや、爺さんの調子はどうだ?」
「相変わらず寝たり起きたりだよ。食も細くなってきてるし。ほんとは、もっと大きな島で医者に診せたいんだけど、じいちゃん嫌がるから」
「なら、いい薬があるぞ。こないだ、ハンナイへ行ったときに仕入れたんだ」
言うなり、シャハームは再び双胴船へ駆け戻った。すぐに一本の薬瓶を持って出てくる。
「値は張るけど、よく効くって話だ。本来なら二万は貰うとこだけど、俺とお前の仲だからな。特別に半額で分けてやるよ」
アウロが答える前に、シャハームはぐいと薬瓶を押し付けた。ついでに、これも買ってけ、あれも持っていけと様々な商品を手渡してくる。
「これもどうだ。幸運を呼ぶ白い石。飾っとくだけで無病息災から商売繁盛まで、なんにもで効くすぐれモノだ。爺さんの体調だって、きっとよくなる」
「いや、でも」
「なぁに、俺とお前の仲だ。特別に安くしといてやるよ!」
アウロは、籠の底にでっかい石を詰め込むシャハームを見て、それから両腕に山と積まれた品々を見て、目を瞬かせた。
水と食料だけのつもりが、なんでこんなことに、と頭の片隅で思った。
「今日の稼ぎは超えちまうけど、残りはツケでいいよ。こういうときは助け合いだ。お前なら、親父も文句言わないだろうし」
さすがに借金は嫌だな。
そう思ったアウロは口を開きかけて、
「おいおい。この店は、物の相場もわかってねぇのか?」
背後から、ぬっと突き出たオレンジ色の頭に、びっくりして口を閉ざした。