退学だけは何卒
入学式すら来ずに四年間一度も学校に来たことのない生徒、奥山透。彼の副担任になった私は、担任の先生の代わりにプリントを届ける事に。
これは、親への反抗期真っ盛りクソガキ高校生と彼に懐かれてしまった私の、面倒な高校生活の一部である。
現在、時刻は十八時。私はとある生徒に胸ぐらを掴まれていた。
ジャケットが歪み、シャツのボタンが捻れてしまうがお構い無し。
机越しに私を引き寄せた金髪の彼は、八重歯を見せてニマッと笑う。
「セーンセー、俺と付き合って」
○
奥山透。高校二年。私が副担任を務めているクラスの生徒だ。
ただし私は一度も対面したことがない。
おそらく学校に所属する生徒のほとんどは彼の顔を知らないだろう。
なにせ、彼は入学してから一度も学校に来たことがないのだ。
受験すら受けていないのではないかと噂されているほどだと言えば、わかりやすいかもしれない。まあ実際は、別室で彼だけ一人受験していたというのが現実らしいが。
そんな彼に会いにきたのは、担任である鈴木先生の代わりというだけの事である。
いつもなら、鈴木先生がプリントやらを届けに来ているのだが、どうしても外せない用事があるとのことで、私が行くことになった。
とはいえ、私は副担任。新人とはいえ、流石に受け持つクラスの子に一度も会っていないのはまずいので、丁度良い機会なのかもしれないなと、この時の私は楽観的に考えていたのだ。
「ここね」
タワマン……。
高校生が一人暮らしするにはかなり大きすぎるだろう。
「えーっと十五階の……」
インターホンを押すと、ガチャリと音がする。
「こんにちは。初めまして。私、奥山君のクラスで副担任を務めてます、佐田琴音です。今日は鈴木先生の代わりにプリントなどを届けにきました」
そう言うと、マンションの自動ドアが開いた。
さっさとエレベーターに乗る。
はてさて。
不登校生の彼はどんな感じの子なのだろうか。
鈴木先生曰く、いたって普通らしいけれど、一度も学校に来ていない子が果たして普通と言えるのだろうか。
中高一貫だから……四年か? いやいや普通じゃないって。
先生もかなりの変人ではあるし、もしかしたら同族として仲が良いのかもしれない。だとしたら学校に連れてきて欲しいものだが。
などと考えている間に目的の階層に着き、扉が開いた。
「…………」
目の前に金髪のどえらいイケメンが立っていた。
「…………」
「…………」
扉が閉まる。
「っておいおいおいおい」
「ぎゃびゃぁああ!!!!」
踏み出していた右足を挟みかけて、私は思わず悲鳴を上げてしまった。
「…………ぶふっ……ぎゃびゃあて……くっ、ぷふっ、ふふふふ」
すっごい笑ってる。いや、笑われてる。
「ぁー、こんなくっだらない事で、くっ……笑っちゃうなんて……、ありえな……ぶふっ」
「……あの」
「ああ、ごめんごめん。クククッ」
「お、奥山君ですか?」
「え? ああ、うんそうだよ」
目元を指で拭いながら言う彼は、写真で見た時よりは随分と垢抜けて見えた。
何せ黒髪のどストレートヘアーが、金髪ユルフワパーマみたいになっていたのだから。
メガネインテリイケメンから金髪不良イケメンに。どっちにしてもイケメンであることに変わりはないか。とはいえ流石に一瞬わからなかった。
そのまま私は彼に連れられ彼の部屋へ。
彼の部屋はエレベーターを出てすぐだった。
中はこれまた見た目通りと言うか。少し苦手な甘めの香り漂う綺麗な部屋で、でっかいテレビやらガラスのテーブルやらが置いてあった。なんかもう私の家とは真逆だ。
「どうぞかけてかけてー」
「は、はあ」
「あ、先生は何飲む? コーヒー? お茶? 水? ジュース? あ、アルコール系統は無いんだよね」
「じ、じゃあお水を一杯……」
「はーい」
冷蔵庫から水の入ったボトルを出している彼を改めて眺める。
最初に見た時には気がつかなかったが、金髪はどうやら自分で染めているようで、どこかむらっ気のある色合いだった。
ただ何故かそれが味になっているのか、違和感は無い。
むしろ彼には非常に似合って見える。
かと言っていわゆるチンピラのような雰囲気はなく、終始ニコニコ笑顔を絶やさない様子の彼は、不登校生徒とすら思えない。
服だって、室内着とは思えないくらい妙に洗練されていて、逆に息が詰まらないのか心配になる。
「はいどうぞ」
「ありがとう」
「それで? それが今日のプリント?」
「え? あ、そ、そうでふ」
「あっはっはー。先生なんだから敬語とか辞めなよー」
はいっと置かれたコップを手に取ると、ソレを一気にあおってテーブルに置いた。
「あ、あの。それと、宿題のプリントを……」
「ん? ああこれね」
「ありがとうございます」
すぐに渡された束を仕舞うと、私は立ち上がった。
「お水ごちそうさまでした。ではまた」
「え? もう帰るの?」
「まあ用事も終わりましたし」
「冷たいなー。スズキセンセなんてツマミと酒持って来て寛いでんのにー」
「え!?」
「つーかまだセンセの名前すら聞いてないんだけどー」
言われて振り返ってみれば。
「って私インターフォン越しにですけれど自己紹介はしてますよっ」
「そだっけ? 忘れたー。ま、ほら。折角ちゃーんと目の前にいんだから、対面状態で自己しょーかいするのはレーギってやつだしょ?」
それはうんその通りか。
「俺、とーる。よろしくー」
「わ、私は佐田です。よろしくお願いします」
「はい握手握手」
「ひぇあっ!?」
突然、彼の大きな手が私の手を握る。
男の子の手にしては、潰れそうなほど柔らかいのに、妙な反発力も感じられる不思議な手。
優しく握り返すと、彼は少し驚いたような表情を浮かべてから、口端を軽く上げた。
「鈴木センセに続き、琴音センセもちゃんと握り返してくれるんだねー」
「いや普通は握手したら握り返しますよ」
「わかってないなー。握手の仕方で相手の気持ちがわかるんだよー」
「はあ。あれ? いま琴音って」
「うん。俺みょーじ嫌いだから」
嫌いと言った時、彼は少し強く握って来た。
なるほど。
確かにわかりやすい。
「じゃなくて! 忘れていないじゃないですか!」
「忘れたことを忘れましたっ。あ、今イラっとしたでしょ」
「……しました」
私はすぐに手を放して立ち上がる。
「では今度こそ失礼します」
「あらま。じゃまた来てねー」
「はいはい。あとそんな適当に話していると、適当な人生になりますよ。それじゃ」
私はサッサと立ち去ろうと、廊下に足を踏みだして、
『あ、それと――――――』
そうだった。
「奥山君」
「とーるって呼んでってばー」
「奥山君。どうして学校に来ないんですか?」
「えー? 面倒だから」
「そうですか。では」
用事も済ませたことだし、さっさと帰ろっと。
そして私は後ろから両肩をつかまれていた。
「……あの。放してもらえますか?」
「むりー」
「なぜ」
「聞きたいことがあるからー」
こっちには無いってのに。
「はぁ。なんでしょうか」
「鈴木せんせーに来ない理由を聞けって言われた?」
「はい」
「そっかー。じゃもひとつ」
「なんでしょう」
「普通はそこから説得だとかが入る気がするんだけど。なんで何も言わないの?」
「なんでって……っ」
ギリギリと音がするほどの痛みが肩に走る。背後から感じるのは謎の圧力。
だからと言って、それを理由にしてはいけないのかもしれないが。
「き、興味がないので。あ」
痛みと恐怖で、私はつい本音を口にしてしまった。
「ふーん」
「あの?」
「…………」
「え? ぎゃっ!」
いきなり離された私は思わず前につんのめってしまい、転んでしまった。
「いつつつ」
振り返ると、彼は私を呆然と見下ろしてくる。
「あ、の?」
「興味がない、ね」
「あ! そ、それは! えとあの……申し訳ないと言いますか。き、き教師としては、のそのえーよくないことだったと言いますか」
黙りこくったままの彼を見ながら立ち上がる。
何を言っていいのか分からない。分からないのに、私は口を開いてしまった。
「き、来たくないなら来なくていいと思いますよ。高校は義務教育じゃないんですし。出ておくに越した事はないですけど。とはいえ行かなくたって立派に成長していく人は多いですから。ですから、辞めたければ辞めればいいんですよ。学費が勿体無いです」
私はそれだけ言って、踵を返す。
一度ドアを開ける前に止まって、彼をチラと見てみたが、やはり俯いたまま立ちすくんでいた。
「何が理由かはわかりませんが、まあ、学校に来たら少しは相談になりますよ」
私はそう告げて家を出る。
扉が閉まった途端に、私は息を吐いて座り込んだ。
「や、やっちゃった……」





