王道楽土に住まいし黒き妖精は、白き妖華をこよなく愛す
異世界の軍事大国〝モーン王国〟から接触を受けた日本政府は、その事実を伏せたまま彼等との秘密外交を開始する。
モーン王国は、現地で被差別種族とされていたダークエルフが、第二次世界大戦末期の満州から転移した日本人の一団から支援を受けた事により、建国にこぎ着けた新興国だ。
彼等はその経緯から、恩人の祖国である日本との友好的な交流を望んでいた。
しかしモーン王国は、現代地球の倫理観とは相容れない残虐な覇権国家という側面があり、慎重な対応が必須となる。
異世界、そしてモーン王国の存在公表と本格交流に先立ち、日本政府は交渉団を現地に派遣した……
「ここが異世界、ねえ……」
車の窓から見えるのは、整然と立ち並ぶレンガ造りの建物だ。
石畳で舗装された広い道の中央には路面電車が行き交い、人々の足になっている。また街灯が設置され、夜も安心して歩けそうだ。
自動車の生産はされている物の、まだまだ普及していない。僕が乗りこんだ様な公用車の他は、殆どが業務用のバスかトラック、そして軍の装甲車両が走っている程度だ。その分、人力車や自転車、そして馬車といった軽車両の往来が多い。
あえて言えば、戦前の欧州と日本のイメージを混ぜこぜにした様な光景である。
地球の懐かしき街並みと決定的に違うのは、行き交う人々の容貌だ。その半分がダークエルフと呼ばれる、現地の知的生命である。
漆黒の肌にスリムな体。顔の造作は彫りが深く、髪は透明感のある銀色。そして笹の葉の様な耳が、ダークエルフの外観上の特徴だ。
後の半分は、様々な姿の種族がいる。狼男、猫耳娘、半人半蛇、角の生えた赤鬼青鬼、髭もじゃの小人等々、色とりどりだ。多種の知的生命が併存しているのが、この世界の大きな特徴と言えた。
その中には我々と同じ〝人間〟もいる。生物学的に地球のホモ・サピエンスと同種なのだが、見かけるのは白人ばかりだ。若干ながら我々の同胞もいる筈だが、街では全く見かけない。
この世界には様々な知的種族が併存するが、モーン王国はダークエルフが支配種であり、他は従属民という立場だ。決して奴隷や賤民という訳ではなく、地球のイスラム文化におけるズィンミーに近い。
また唯一の例外として、漂着した日本人及びその血をひく者は〝渡来人〟と呼ばれ、ダークエルフと同格の扱いを受けている。
「いかがでしょうか? 新奉天は」
僕の隣に案内役として座る憲兵少佐が、街の感想を尋ねて来た。彼女 ……名をナハトという…… は御年二百歳だそうだが、長寿を誇るダークエルフの基準では若年に入るらしい。
この国の軍制は旧日本軍をモデルとしているが、女性が普通に軍務へ就いているのは、彼等の元々の気風による物だという。その点に関しては、僕も素直に評価出来る。
「……古き良き光景に見えますね」
少し迷ったが、僕は率直な感想を述べる事にした。
社交辞令のお世辞を述べても仕方ない。彼女自身、極秘で現在の日本を訪れた事があるのだから、彼我の技術差は実感している筈だ。
「この新奉天は、この世界でも有数の都市であると自負していたのですが…… 地球の技術は、さらに進んでいるであろうとは思っていました。ただ、あそこまでとは……」
ナハト少佐は自嘲気味にうつむいて、言葉を濁す。
地球の近代を模した様な街並は、現地に元からあった物ではない。七六年前に漂着した日本人の一群が、その地域を支配するダークエルフの武装勢力 ……他国は〝匪賊〟〝蛮族〟と呼んでいた…… から庇護を受けて建設した物だ。
地球の西暦でいえば、一九四五年八月。
ソ連参戦により混乱する満州からの避難民をすし詰めに乗せた列車が、丸ごと一編成、唐突にこの地へ現れたのだという。
開拓民、軍人、官僚、学者、技術者、職人等々、避難民には様々な立場の者がいた。
彼等は庇護の対価として、自らの持つ地球の知識や技術をダークエルフへ提供した。新たな力を得た事により、辺境の一武装勢力に過ぎなかったダークエルフは〝モーン王国〟を名乗り、周辺の国々を併呑していった。
列車がこの世界に漂着した事象を、この世界特有の技術〝魔法〟を駆使して研究を重ねた末、地球との往来実験に成功したのが丁度、昨年頭の事だ。
到着したのはあろう事か、富士演習場の一画である。日本政府は現地に居合わせた訓練中の自衛官に箝口令を敷き、モーン王国と秘密交渉を重ねて来た。
僕もその一環として、異世界の地を踏む事になった外交官である。
「王国がここまで来るのに、七〇年かかったのです。ですが地球では、それ以上に文明が進んでいた訳ですから…… 全く力が及ばず、我々の非力を感じました」
「いえ。地球には〝魔法〟がありません。概念はありましたが、迷信とされていたのです。同胞が持ち込んだ地球の知識や思考を取り込んで、魔法と科学技術を融合し、この世界の列強と呼ばれる立場になった貴国には、全く感服します」
落ち込んでいたナハト少佐だったが、王国の発展を称える僕の言葉に、自信を取り戻した様だ。
実際、この世界の魔法が、今後の地球に与える影響は計り知れない。日本が他国に知られぬ形でファーストコンタクトを取れたのは、全くの幸運だった。
「はい。焦土から復興を成し遂げた帝國も衰えを見せ、力を付け増長した支那のアカ共に出し抜かれつつあると言いますが。我等が協調すれば、状況は大きく好転するでしょう」
現代日本を取り巻く国際情勢については、彼女もレクチャーを受けて知っている。〝支那〟〝アカ〟という古めかしい単語は、こちらに来た渡来人から伝え聞いていたのだろう。
そして彼女達にとって、日本は未だ〝帝國〟だ。体制が変わろうと皇室が存続している上は、敬意を込めてそう呼ぶべきだという。自分達が王制国家である故だろうか。
ともあれ、未開拓の市場、潤沢な地下資源、労働力、そして魔法という未知のテクノロジー。この異世界には、閉塞した日本が喉から手が出る程に欲しい物ばかりが並んでいる。 だが、簡単には手に出来ない事情があった。
「その前に解決しなければならない、看過出来ない問題があります。私はそれを調べる為に来たのです」
「帝國の憂慮は、我々も承知しています」
車が向かった先は、郊外の飛行場だ。
プロペラの大型軍用機が、何機も駐機されている。これも我々にとってはレトロな代物だが、王国で実用的な航空機が生産される様になったのは、ここ二十年程前からだという。
渡来人が様々な知識を持ち込んでも、機材や資料が輸入出来ない状況で一からここまで造り上げるには、並々ならぬ苦労があったのだろう。
この世界で飛行手段を持つのはモーン王国のみであり、絶対的な制空権が覇権を盤石な物としている。彼等が世界を完全制覇しないのは、ダークエルフの人口数による、支配領域拡大の限界を踏まえての事だ。
だが、僕達は居並ぶそれらの機体ではなく、日本から持ち込まれた、陸上自衛隊のUH-1へ乗り込んだ。滑走路が不要なヘリコプターの方が移動には都合がいいし、技術差を見せつけておく必要もある。
機上から下界を見ると、城壁で囲まれた新奉天の周囲には、一面の花畑が広がっているのが解る。阿片の原料となるケシが栽培されているのだ。
渡来人の中にいた開拓民が、満州で栽培されていたケシの種子を所持していて、モーン王国に普及させたのである。
阿片は諸外国へと輸出される、モーン王国の重要な特産品となった。一応は鎮痛剤という建前だが、実態としては麻薬としての消費がほとんどである。
阿片輸出で得られる莫大な利益によって、モーン王国はこの世界で奴隷として使役されている同族を買い集めて臣民に加え、勢力を急拡大していったのだ。
そう言った経緯から、モーン王国はケシを富と力の象徴と位置づけ、その花を国章の図案に採用した程に尊んでいる。
だが、現代の地球において、阿片は重大な禁制品だ。漂着した日本人が現地に広めたという事が地球で知られれば、日本は国際的に袋叩きにされかねない。
この件も頭痛の種なのだが、僕達が向かう先には、さらに深刻な物が待ち受けていた。
*
一時間ほど飛び、ヘリコプターは目的の施設に着いた。
堀と塀に囲まれた、巨大な建物。九九式小銃のコピー品を携えた衛兵が、周囲を巡回しているのが見える。
ここは、渡来人が持ち込んだ地球の医学と、現地の魔法医学を融合させるべく設立された研究施設だ。現代日本の科学技術を供給すれば、これまでとは比較にならないレベルの発展が期待出来る筈だが、事はそう簡単ではない。
問題は、この施設が大量の死刑囚を使い、人体実験を行い続けている事。開発されているのが純然たる医療技術だけでなく、いわゆる生物化学(それに加えて魔法)兵器も含まれている事。そして施設の設立・運営に際して、渡来人の中にいた、悪名高き〝満州第七三一部隊〟の一部研究者が大きく関わっていた事である。
この施設に収容されている死刑囚は、刑事事件の重罪犯だけではなく、占領地や属国で捕縛したパルチザンも多い。
勢力をつけて王国を建国する以前、ダークエルフは賤しき民として忌まれ、多くの国で奴隷として酷使されていた経緯がある。その為、強者となった彼等は敵対者に対し、見せしめを兼ねて残虐に対応する様になった。
これが日本国民に知れれば、積極交流等、とてもおぼつかない。米国その他の国々も、人道を名目にモーン王国への強制的な介入を要求して来る可能性がある。
秘密施設ならば、まだ揉み消せたかも知れない。だがここの存在は、秘密どころか国威高揚、そして他国を恫喝する為、国内外へ高らかに喧伝されている。
「万死に値する屑共を費やす事で、国がより栄えるならば喜ばしい事でしょうに…… 地球のヒューマニズムとやらは、自分には欺瞞にしか思えません」
人体実験や大量破壊兵器開発の中止を望む日本の意向に、ナハト少佐は不満を隠さない。彼女が高級将校だからではなく、これこそがモーン王国臣民の代表的な意見だろう。
それだけに、地球の倫理観とすりあわせる形での現状改善は、極めて困難と思われた。
「それでは、ご案内します。どうぞこちらへ」
衛兵の捧げ銃に迎えられ、僕はナハト少佐と共に施設の門をくぐった。





