大奥侵入御免なすって!~密通成敗請負人・小夜参りやす!~
時は江戸。
小夜は不義密通を隠密に始末する“密通成敗請負人”を生業としながら、相棒のネズミ・マルと暮らしていた。
ある晩、謎の青年・京之介が小夜の前に現れ、莫大な報酬と引き換えにある仕事を持ちかける。
それは「江戸城大奥に侵入し、密通を働こうとする女を監視すること」、そして「密通相手を始末すること」だった。
報酬に目のくらんだ小夜は美しい下働きに身をやつして京之介の依頼をこなすことに。
しかしある時、小夜の仕入れた情報に京之介の顔色が変わる――。
町はずれの出会茶屋の灯りが消えた丑三つ時。小夜はまだ男女の匂いが色濃く残る部屋にいた。
「……まぐわった直後に悪ぃね、旦那。まあいろんな意味で極楽に逝けたんだから許しとくれよ」
「チュッ」
小夜の呟きに部屋の隅で様子を窺っていたネズミが合いの手を入れるように鳴いた。小夜が足元で動かなくなった塊を転がすと、ドサリという音と共に月の光に白い男の裸体が浮かび上がった。
「全く、男も女も命がけでも交わりてぇなんて馬鹿なもんだよ」
そう言いながら無造作につかみ上げた男の髷を切り落とすと、糸の切れた人形のように男の頭もゴトンと落ちた。
「うおっ! やべっ!」
小夜は男の傍らに倒れる女に思わず視線を向けた。上等な着物が淫らにはだけた半裸姿の女は、すうすうと気持ちよさそうな寝息をたてている。
「まあ小夜様特製の眠り薬だもんな。ちょっとやそっとじゃ起きねえか。よくやった、マル」
小夜はそう言いながらしゃがむと、先ほどのネズミを招き寄せた。マルと呼ばれたネズミは勢いよく小夜の体を駆け上り、肩口に落ち着いた。
女の足首には小さな噛み傷がついていた。小夜の相棒であるマルの歯形だ。小夜はマルの歯に眠り薬を仕込み女に嚙みつかせたのだ。
小夜は肩にマルが乗ったのを確認すると、立ち上がりながら着物の裾を直した。
小夜が身に着けているのは江戸城・大奥の下級使用人“御末”の着物だった。
御末は将軍のお目見え以下の雑用だ。しかし小夜の衣紋から覗くうなじは染み一つなく滑らかで、唇は紅を差さずとも赤く蠱惑的だ。その唇が弧を描けば傾国の美女・西施も顔色を失くす……とは言い過ぎかもしれないが、小夜の美しさは雑用にしておくには惜しいものだった。もしお目見えが叶う立場なら、将軍の目に留まることは間違いないだろう。
「おい、京之介。終わったぜ」
小夜は着物を整えると鋭い刃を投げつけるかのように、長い睫毛の下の瞳を暗がりに向けた。荒々しい言葉はその美しい唇から生み出されたとはにわかに信じ難いものだったが、暗闇から姿を現したその人物は全く意に介していないようだった。
「お疲れ様です。あなたがその姿で仕事をこなす様子は見惚れてしまいますね」
「ふん、見世物じゃねえよ。それと悪ぃが俺に男色の趣味はねぇんだよ」
小夜は鼻の頭にくしゃっと皺を寄せながら、京之介と呼んだその男の顔を見ずに返事をした。
そう、小夜は歴とした男である。ちゃんと親からもらった大事な一物が股の間にぶら下がっている。しかしなぜ男である小夜が女の恰好をし、将軍以外男子禁制とされている大奥で働いているのか。それには理由がある。
京之介は小夜のつっけんどんな返事にもいつもの笑みを崩すことなく、それどころか親し気に肩を叩いてきた。
「いえいえ、やはり忍びの出だけあって女装も見事な物ですよ。やはりあなたにお願いして良かった。さすがは“密通成敗請負人”を名乗るだけありますね」
「なんだよ、急に気持ち悪ぃな」
小夜は京之介の触れた部分を手で払い、さらに渋い表情をして見せた。だがこの男はどんな態度を取られても全く表情が変わらない。
「けっ、金さえもらえれば仕事はきちんとこなすぜ。それが“密通成敗請負人・小夜”の信条だかんな」
小夜がそう答えると、京之介はさらに笑みを濃くした。
“密通成敗請負人”――それは小夜が江戸で生きていくために考え出した仕事である。
不義密通は重罪だ。身内が罪人として明るみに出る前に“なかったこと”にしたい金持ちは多い。そこに小夜は目を付けた。
「どんなコソコソしてても、俺様は鼻が利くんでね。どういうわけか見つけられんだよ。そんでもって悲鳴を上げる前に殺っちまう。それが俺の売りだかんな」
あの晩、「依頼がある」と自分の元を訪れた京之介に小夜は得意気に語って聞かせた。京之介はその時から笑みを顔に貼りつけたまま、小夜の話をうんうんと聞いていた。どれほど武勇伝を語った時だろうか、京之介はおもむろに懐に手を入れると小夜の目の前に一枚の紙を取り出した。両手を合わせたくらいの大きさのその紙には四角い箱がみっしりと書き込まれていた。
「んだこれ? 家の間取り図……にしてはでけぇ。……って、え? おま、これ?」
小夜が信じられない思いで目の前の紙から京之介に視線を移すと、京之介は感情の読めない瞳で小夜を見つめていた。
「ご推察の通り、江戸城大奥の図です」
にべもなく答えた京之介は小夜の目の前にドスンと巾着を置いた。
「まずここに百両。これは前金です」
「おい待てっ! 言うな、これヤバいやつだろ!?」
「依頼は『大奥への潜入及び女中の密通相手の始末』です」
「ああっ、聞いちまった!」
耳を防ぎ騒ぎたてる小夜に対して、京之介は表情を変えず淡々と続けた。
「最近大奥内の風紀が乱れております。情けないことにお目見え以上の女中達が他所に愛人を囲うことも多いのです。その女中がもし期を同じくして公方様のお手付きになりにでもしたら、その種の出所を証明するものはありません」
「でもさぁ、混ざりもんがいても別に構わねぇんじゃねぇの? どうせ跡継ぎはいるんだろ?」
半ば投げやりな小夜の言葉に京之介はわずかに眉をひそめた。ここに来て初めての表情の変化だった。
「いえ、今は少々心許なく……」
その時の京之介の悔しそうな表情を思い出す度、小夜は心がざわついてしまう。
(こいつ、自分の身分も依頼の目的も何にも語りやしねぇ。しかも俺が忍びの出だと知っていた。俺だって裏稼業は素人じゃねぇ。あえて京之介の挙動に気づかないように振舞ってはいるが、こいつの公方様の血筋へのこだわりも、こうやって部屋に忍びこんで来れる身のこなしも、こいつが厄介な所の男だってことに違いはねぇのくらいわかる。早いとこ金もらってとんずらかますかねぇ……)
小夜は目の前で倒れた男と寝入った女の検分をする京之介の背中を見つめた。自分とそう歳の変わらないこの男はどれほどのものを抱えているのだろうか。小夜はいつの間にか懐に入り込んで来たマルの温もりが心地よく、そっと手のひらを胸に当てた。
それから十日ほど経った。久しぶりに御末の着物を脱いだ小夜は、城から二里程離れたさびれた神社で身をよじりながら文句を吐き出していた。
「あーっ、ほんとめんどくせえなぁ! 朝から晩までぺちゃくちゃぺちゃくちゃ暇さえあれば噂話! いい加減飽きるだろうがっ!」
「まあまあ。で、今日の噂話はいかがでしたか?」
相変わらずにこやかな京之介は、人より茶色がかった瞳を細めながら小夜に問いかけた。
「てめぇ、少しは俺の話を聞け!」
「そうやって愚痴ろうとするあたり、あなたも大奥に染まったのでしょうね」
そう言ってくすくす笑う京之介に小夜は苛立ちで頭の毛が逆立ちそうだった。しかしふと女達がしていたある噂を思い出した。
「この野郎っ! 誰が女々しいって……、あ!」
「どうしました?」
「そういえば、最近様子がおかしい御切手書がいるんだけどよぉ」
「御切手書とは、来訪者の御切手を改める方々でしたね? 他所者を大奥に入れぬよう……」
「そうなんだよ。で、その中の『お加流』って奴なんだけど、どうも役者に伝手があるようで……」
小夜たち雑用を賄う御末と違い、将軍のお目見え以上の役職であるお加流は格上の女中だ。大奥内では天と地ほどの差がある。その様子が下々にまで聞こえてくる程だから、お加流の最近の行動はよっぽど目に余るものなのだろう。
「役者ですか……?」
京之介も珍しく驚いているようだった。その様子に少し違和感を覚えながらも、小夜は続けた。
「そう、歌舞伎役者さ」
「その役者がどうしたのです?」
話をせかす京之介の目の前に小夜はパッと手のひらを広げた。京之介は面食らったように目をぱちくりさせた。
「何ですか。この手は」
「五両」
「はい?」
「五両追加で教えるぜ」
指の隙間から小夜はにやりと笑って見せた。京之介は自分の雇い主であるものの、ずっと主導権を握られているのも性に合わない。
小夜と京之介は手のひらごしにしばし無言の押し問答を続けたが、京之介が呆れたようにため息をついたことで勝敗がついた。
「……わかりました。それで?」
「へへっ、やったぜ。それでなぁ、そのお加流って女、とある御中臈様に頼まれてその役者を引き入れようとしてるらしい」
御中臈とは将軍や御台所の世話係であるのと同時に将軍の側室になる可能性のある選ばれし役職だ。その御中臈様が外の男、しかも役者と関係を持とうなどあってはならないことだ。
小夜はにやにやと京之介を見た。しかし次の瞬間には京之介の真顔が目の前に現れ、胸元を強く掴まれていた。
「その御中臈の名は?!」
「っ、ちょ、なんだよ!」
「知っているなら教えなさい! 五両ですか、十両ですか?」
頬に京之介の唾飛沫がかかる。いつもの姿とは打って変わって、余裕のない京之介の姿に小夜は逆に動揺してしまった。
「金はいらねぇよっ。『お美音』だ! お美音! ほら教えた、教えたから離せよ!」
小夜が答えると京之介はパッと手を離した。小夜は慌てて距離を取ったが、京之介は夢から覚めたばかりのような顔をして立ち竦んでいた。
「お美音……まさかそんな……」
そんな京之介がぽつりと御中臈の名を呟いた。
「んだよ、いったい……」
「い……う……です」
「は?」
「妹、なんです。私の……」
「……ん? い、いもうとぉ〜っ!?」
目を剥く小夜に向けた京之介の顔には初めて見る表情が浮かんでいた。





