フライング・スカイ・ハイ!
フライングレース。
最新の航空技術により、少しの風でも人を持ち上げるほどの揚力を生むウィングスーツ。
ムササビのようなウィングスーツを身に着けて空を飛ぶ、フライングレース。
2060年に初めて開催されたこのレースは、新しい刺激を求めていた民衆に熱狂的に受け入れられた。
20年目の最終レースで一人の天才レーサーが現れた。
13歳の少女レーサー、モニカ・シューティングスターは大の大人を手玉に取り、悠々と飛ぶその姿は世界中の人間に感動を与えた。
その天才レーサーに憧れた少女 空野翼がいた。
フライングレーサーを目指す翼は、中高一貫校で部活を創設し、仲間とともに全国大会優勝を、プロレーサーを目指す。
これは少女達の友情と挫折と栄光の物語である。
2080年の雲ひとつ無い澄んだ冬の青空。
フライングレース会場に興奮気味の司会者の声が会場に響き渡る。
「さあ、今年のフライングレースも最後のファイトレースを残すのみとなりました。まさか初出場のモニカ選手が単独トップになると、誰が予想したでしょうか!」
最新の航空技術で、少しの上昇気流でも人が浮き上がるほどの浮力を生む、ムササビのようなスーツを身にまとい、自在に空を駆けるフライングレース。
20年続いているこのレースは、今年の最終レースを迎えていた。
その年の上位6人で行う特別なレースはその歴史の中で、記憶に残るレースとなった。スポンサー特別枠で出場した13歳の少女モニカ・シューティングスターは成人の男性選手に混ざり、タイムを競うスピード、美しさと技術を競うテクニカルの二つのレースでトップを取った。
「スピードとテクニカルは、体の軽いモニカ選手に有利に働きましたが、ファイトレースは、ご存じの通り、妨害や接触が認められていますので、これまでのようにはいかないでしょう。総合2位のトム選手にも十分に総合優勝の可能性はあります。展開次第では伊吹選手も可能性も十分にありますよ。まずは接触の可能性の高い、スタートが注目されます」
高台に設置されたプラットホームに、選手6人が横並びでスタートを待つ。
スタートの合図とともに、若干下り坂に作られた長さ10mのプラットホームから、選手たちは走り、飛び降りた。
「おーっと、一人出遅れた選手がいます。ナンバー6、モニカ選手が出遅れました」
「スタート時の接触を避けるために、あえての遅延スタートですね。後ろから追い上げるという作戦を取ったのでしょう」
解説者の言葉通り、風を掴んだ彼女は一人、二人と危なげなく抜き去り、順位を上げた。現在4位。総合優勝の目安と思われた3位まで、あと一人。
「さて、モニカ選手を迎え撃つ李選手は、すでに総合優勝の可能性がないとはいえ、プロレーサーの意地を見せたいところでしょう」
解説者が言うように、李選手は2mの大きな身体を最大限に活かして、身体を左右に振って進路を妨害する。モニカは減速をして、抜くタイミングを見るものと思われた。しかし、予想とは反対に加速した。
このままではぶつかる。
「モニカ選手、タックルにいくのか~!」
「しかし、二人の体重差では弾き飛ばされるのは、モニカ選手でしょう。あっ!」
ぶつかると思われた瞬間に、モニカが消えた。
「いや、モニカ選手は加速して、李選手の真下に潜り込みました」
落ちる力を利用して一気に李選手を抜いたモニカは、上昇気流を掴むとその体重の軽さを利用して元のルートに戻る。
「さあ、これでモニカ選手の総合優勝が、濃厚になりましたね」
「このまま、大きなミス無くゴールすれば総合を含む三種優勝の可能性が高いですね」
「おーっと、モニカ選手、二位の伊吹選手に迫ります。二位まで上がり、優勝を確実なものにするつもりでしょうか?」
「それは無謀ではないでしょうか? 経験豊かな伊吹選手をそう簡単に抜けるとは思えません。この挑戦の結果によっては、モニカ選手の順位の変動もあり得ますよ。ほら、伊吹選手はチェックリングを塞ぎました」
空を飛ぶこのレースは、チェックリングと言われる直径3mのリングを通らなければ、減点対象になる。つまり、チェックリングを通ろうとして選手同士の接触や妨害、駆け引きが生まれるのである。
チェックリング一杯に手足を広げて、モニカの通過を阻止しようとする。モニカはチェックリングを外して前に出るか、伊吹をタックルで押しのけるかしか手が無いように思われた。
ミスリングの減点により、順位が変動する可能性もある。通常であればタックルに行くだろう。
しかしモニカはその小さな体を生かして、減速することなくほんの小さな隙間をすり抜けた。
「おーっと、モニカ選手、まるでツバメのようだ~!! 身体を縮め、弾丸のように伊吹選手の隙間を抜けていった~! 何という飛行コントロールでしょうか~」
大ビジョンにはスロー映像が映し出され、モニカとリングとの隙間は1センチもないことが判明した。それを時速200kmほどで飛んでいるのだ。
「さあ、これでモニカ選手の優勝は確実の物になりましたが、完全優勝を狙っていくのでしょうか?」
「チームの作戦次第ですが、このスピードを見る限り、彼女は狙っているようですね。しかし、今期トップのトム選手が簡単に1位を譲るとは思えません。どのようなファイトを見せてくれるでしょうか。おっと、トム選手、誘ってますね」
ファイアマークを施したウィングスーツを身に着けたトムは進路を譲るように、横にスライドした。
抜けるものなら抜いてみな、お嬢さんと言わんばかりのあからさまな挑発だ。
横についたとたんにタックルが来る。そんな、見え透いた罠にモニカはまっすぐ突っ込んだ。
「これは、こんな簡単な罠にかからないだろうという心理を、逆についた心理戦でしょうか。それとも、自分のスピードに絶対の自信があるからでしょうか。しかし、トム選手、冷静にタックルを仕掛ける。これには減速か、上へ逃げるかしかないでしょう」
減速すれば当然抜くことができない。下に加速して逃げられないように、トムはセオリー通り、斜め上からタックルをかける。
誰もが接触したと思った瞬間、観客はあり得ない風景を見た。
トムの背中に倒立するモニカ。
観客も司会も解説者も、息をのんだ瞬間、モニカはトムを蹴り、悠々と最後のチェックリングをくぐった。
「な、なんということでしょう。ウィングスーツであのような動きが可能なのでしょうか~!」
「私も初めて見ました。逃げるでもなく、タックルで押し返すでもなく、第三の選択肢。これはフライングレースの歴史が変わったと言っても過言ではありません」
興奮する司会と解説者の熱は、観客を増々ヒートアップさせた。
熱狂する観客の中に、二人の少女がいた。
一見、男の子に間違えそうなショートカットの空野翼は言った。
「チーちゃん、ボク、決めた!」
「何を?」
親友である飛鳥千尋は翼に尋ねた。
「ボクもフライングレースをやる! そして、モニカのようなプロレーサーになる!」
「つーちゃんが、フライングレースを? いいと思う。私も手伝うよ」
9才の少女二人の未来を決めてしまうほど、そのレースは衝撃的で、伝説と呼ばれるのにふさわしいレースとなった。
~*~*~
月日が流れ、翼と千尋は中学生となった。
二人が通う私立彩珠学園は、堂平山のふもとにある中高一貫の進学校。
ありきたりで退屈な入学式を終えて、クラスでの自己紹介が始まり、翼の番になった。
「空野翼です。この学校に来たのは、フライングレースをするためです。興味がある人は、一緒にしましょう!」
準備していた紹介文を噛まずに言えたことに、翼は満足した。しかし、大きく拍手をしているたった一人を除いて、クラスにいる誰もがポカンとした顔をしていた。
「空野、自己紹介ありがとう。でも、この学校にはそんな部は無いぞ」
初めに三十二歳、独身だと自己紹介した男性の担任が、諭すように説明する。
その言葉を聞いて翼と千尋はがっかりする様子もなかった。すでに入学する前に、埼玉県にはフライングレース部がないと言うことは調べがついている。だから、翼は胸を張って担任に答えた。
「知っています。無いなら作ります。この学校にはハンググライダー部がありますよね。それなら、フライングレース部を作ってもいいじゃないですか」
無ければ作ればいい。それが小学生だった二人が考え抜いて出した答えだった。
それに対し、クラスメイトから笑いが起こり、冗談と受け取った先生は座れと手で合図をすると、次の生徒が自己紹介を始めた。
一通り、授業が終わり、帰り支度をしていると、自己紹介で野球をしているといっていた身体の大きな男子が翼の席にやってきた。
「よう、星野だっけ? お前、目立ちたいからって、あんな嘘つかないほうがいいんじゃないか?」
「ボクの名字は空野だよ。それに嘘なんてついてないよ。ボクは絶対フライングレース部を作って、日本一になるんだよ」
「お前、ウィングスーツで飛ぶだけで、かなりの条件があるのを知らないのか? だから、あれだけプロレースがあっても、部活は少ないんだぞ」
そんな事は今更言われなくても、この数年で調べて、準備を重ねてきた翼は反論しようと口を開こうとした。
「そんなこと――」
「つーちゃん、早くしないと先生がいなくなっちゃうよ。元木君、私達急いでいるから、話は今度ね。野球頑張ってね。私達は私達のことを頑張るから」
そう言って、お下げに大きな丸眼鏡の千尋は、翼の手を引き教室を出た。
教室の中は少しざわついていたが、廊下に出て翼は少しほっとする。
またか。
小学生の時、翼は千尋だけでなくほかの友達にもフライングレースの話をした。レース自体はみんな知っていたけれど、翼がその選手になると言ったら、笑ったのだった。
『モニカみたいなフライングレーサーになる』
翼がそう言うと、みんな反論した。
『結局、モニカもあのレースから、出てないじゃないか。あのレースは八百長だったんじゃないかってパパが言っていたよ。翼ちゃんにも無理だよ』
あの天才レーサー、モニカ・シューティングスターは華々しいデビュー戦を飾った後、表舞台から消した。
そんな苦い記憶を振り払うように、元気よく職員室のドアを開けた。
「失礼します。部の設立の件で、相談に来ました」