騎士と魔女の愛は砕けない
故郷を魔物に壊された少年は、旅の魔女に命を救われた。
命を救われた少年は魔女の旅に同行し、月日を経て、立派な魔法騎士となった。
そして、旅先で一つの国を救った時──共に旅をした魔女は、彼の前から姿を消していた。
騎士はあらゆる手を尽くして探し、遂に魔女を見つけだす。
そこで知らされる、魔女が姿を消した理由と、彼女に秘められた秘密とは──?
これは、勇者が魔王を倒した後の世で繰り広げられる、一組の男女の純愛と……惚気に溢れた物語である。
「そろそろここから出て行け」
「断る」
塔のように天高く築き上げられた、魔女の工房。その最奥の部屋で、王室で使われているものと同質な椅子の肘掛けに頬杖をついたまま、心底呆れたような表情で魔女は言い放つ。それに対する俺の返事も変わらない。
このやり取りは、もう何百回と繰り返しただろうか。それを思い返したのか、魔女は深い深いため息をついていた。
「強情だな」
「諦めは悪いものでね」
嫌そうにこちらを見ているが、本当に出ていかせたければ得意の魔術で強引に外へと叩き出せるはずなのだ。それをしないから、という理由で、こうして嫌みを言われる程度に居座っているのは、俺も自覚している。
「全く……拾い上げた頃からの付き合いではあったが、このような男だったとはな。素直で覚えも速い故に、手解きしたのが間違いだったか」
「そのことについては感謝しているさ。あなたがいなければ、俺はここにいられなかった」
魔女との付き合いは、俺の人生と言っていい。
生まれ育った村が魔物に蹂躙され、俺自身も死の淵を彷徨っていた。そこに世界を廻る旅をしていた魔女が偶然立ち寄り、魔物を倒し、癒しの魔術をかけられていなければ、俺もそこで死に絶えていただろう。
俺は魔女に恩を返すため、その旅に同行することを決めた。時に魔法で、時に徒歩で世界を巡る旅は俺自身を厳しく鍛え上げ、彼女いわく「ようやっと半人前」と言われる程度には、魔術も剣も使いこなせるようになった。
「……それが今では『救国の騎士』か。ただの坊主だったお前が、そこまで成長するとはな」
鈴の音を鳴らすような声で笑う魔女の言うように、俺は一つの国を救った。
魔王を討ち滅ぼしたと聞く勇者のような華々しさはなく、子供が好きであろう、竜を倒すおとぎ話のような神秘さもない。
ただ、泥臭く、人々の想いと願いに応え続け、その果てに国を滅さんとする策謀を瓦解させ、結果的に救国に繋がっただけ。
そしてそれは、俺と一緒に国を救った魔女にも言えることで。
「あなたも『救国の魔女』なんて呼ばれてますよ?」
「魔術の役に立たぬものなど要らぬ。それをわざわざ言いに来たのなら、お前は存外に暇人よな」
「まさか」
そんなはずがないだろう。
俺がこんなところ……明らかに人を拒むかのような辺境の地までやってきたのは、それ以外の目的があるからだ。
俺は魔女との距離を詰めようと、足を動かそうとして──
「それ以上寄るでない」
いつの間にか杖を握っていた魔女の、暗く、冷たく、殺意と暴風の伴った「拒絶」が、俺の身体を強く吹き飛ばした。
「あの時にも言ったであろう、我とお前との関係はこれまでだ、と。それでもなお、こうして合間見えさせておるのは育てた情があるからよ」
詠唱もなく、魔女はこちらに杖を向けるだけ。それだけなのに、彼女の廻りには矛先をこちらに向けた魔法陣が増えていく。それのどれもが──俺の心臓に狙いを定めて。
「しかし、近付いてよい、と言った覚えはない。先程のは情があるからこその警告よ、次は心臓を狙う。何を目的に追ってきたかは知らぬが、人の世に帰るがよい」
明確な拒絶。
歩み寄ろうとする意志はなく、先程までの親しげな雰囲気は霧に消え、冷徹な表情でこちらを見据えている。
一緒に旅をしていた頃の、優しい女性の面影は──凍てついた仮面の奥に隠れて、見えない。
「……確かに、約束を破ってまで追いかけてきたのは俺だ。情に甘えて工房に長居できたのも、あなたに許されていたからだ。その上で更に約束を破るのであれば、ここで殺されても仕方ない……か」
「そうだ。我のことを忘れてそのまま人の世に帰れば許してやろう、とも言っておる。情があるとはいえ、問答無用でやらぬだけ譲歩しておるのだ。そのことは分かっておるだろう?」
「あぁ、分かっているよ……このまま帰るのが正解だと」
魔女の口元がニヤリと拡がる。それでいい、と。
「だが断る」
「なにっ!?」
「俺の人生はあんたが手を差しのべてくれたから助けられた。助けてもらったからこそ、助け返すのが道理だ。その機会が一生失われるのは、他の誰かが許しても、俺自身が許せない……!」
身体に壁の石をどけて、立ち上がる。
魔女との旅で過ごした月日は、何も知らなかった子供を、武器も握ったこともなかった子供を、魔女の助けもあったとはいえ、一国の英雄にするには充分だった。
見上げるばかりだった魔女の背をいつしか越え、護られる側から、護りも出来る側へと成長もした。
「あんたをここに残して、俺一人だけ、幸せになれるはずがないッ!」
共に長い旅をし、戦い、各地をその足で歩き回った、自らの背を預けられる唯一無二の相棒だ。
人となりも知っている。
細かな癖も知っている。
味の好みも知っている。
強みも、弱みも知っている。
だからこそ──本当は寂しがり屋で、怖がりで、自分のために強がって悪役ぶっている彼女を。口では笑っていても、その顔は酷く悲しんでいた彼女を……自分以外の誰もが訪れないような、こんな辺境に放っておけない。
「あんた以外の女を知る気はないし、知るつもりもないッ!」
……長かった。
本当に、この気持ちに気付くまでが『長かった』。
憧れ。尊敬。隣に立てる誇り。
そんな飾った想いを全て取り払って、最後に残った彼女への想いは──
「お前が好きだ、アイ! お前を愛している!!」
噛み締めるように。
その身に染み込ませるように。
なによりも──自分に言い聞かせるように、伝える。
「……嘘だ」
魔女は──真名を呼ばれた彼女は、信じられないと狼狽えながらも、それを拒絶する。
瞬時に発動する魔術の数々は、直撃すれば命の保障なんて出来るものではない。それでも、俺は──走り出す。
「嘘じゃない!!」
一歩。人を射ち貫ける炎の矢の雨が全身を掠めた。
二歩。竜さえも痺れさせた雷撃が横を素通りする。
三歩。大地さえ抉る風の刃が背後の壁を崩壊させた。
四歩。炎すら凍る絶対零度が崩れかけた壁を凍てつかせて繋ぎ合わせた。
「何故だ……何故当たらない!?」
旅をしていた頃から、アイの魔術が外れたことは一度もない。その精度の高さと理由は俺自身が一番知っている。
だからこそ──それを制御する精霊達が俺の手助けをしてくれたことに、感謝の念を抱いた。
(この恩は、必ず返す!)
精霊達によってそらされる魔術の数々の中を走り抜け、逃げ場を無くすように壁際へと追い詰めると、アイもこれ以上の抵抗は無駄だと悟ったらしい。
杖も取り上げて、アイの手が届かない場所へと転がしておく。
「……止めておけ。こんな行き遅れの年増の魔女など。私はお前よりも相当に歳上なのだぞ?」
「そんなの、初めて会った頃から知ってる」
「それに、私には誰かを愛する資格など無い」
「どうしてそう言いきれるんだ」
「なら見たまえ、この私の今の身体を」
アイが身に纏っていたローブが、旅をしていた頃にはしていなかった手袋が、見せつけるように、ゆっくりと脱ぎ捨てられていく。
「……お前には先に言っておこう。我は人ではない。血は薄く、既に座すら無くなったが……『神の末裔』なのだ」
そこから現れたのは、瑞々しく艶やかで成熟した女性の身体ではない。
現れたのは、未熟で幼い少女のような、青白く見える肌の人形の身体と、それらを筋肉のように内側から結び付ける大量の紐。そして、ローブの下に隠されていた「もう一対の腕」だった。
「この身に宿る魂は、確かに私だ。だが、あの日の魔術の反動で日に日に壊れていく身体を十全に再現しようと苦心して創り上げた写身たるコレは、この有り様だ……醜いだろう? 出来損ないの化け物だと笑いたまえ」
「誰が笑うものか──それは、アイが必死に生きようと足掻いた証じゃないか」
フフ、と自嘲げに微笑む彼女を、ローブの下に隠していたもう一対の腕ごと抱き締めた。
「誰かを愛するのに、資格も理由もいらない。俺は、アイが欲しい。だから、アイも俺が欲しいと言ってくれ」
身体を人形にしてしまった?
実は、神の末裔だった?
──それがどうした。
彼女が生きていた。
その事実の前には、ほんの些細なことだ。
……ただ、アイの身体が以前よりも更に小さくなってしまっているのは、その、ちょっと困るけど。
「……この変態め」
「それは、相手がアイだからだよ」
「その言い方は、ズルいぞ。子を成せぬこの人形の身体が悔しいではないか」
「なら、元の身体に戻る方法を探そう」
「あるのか?」
「わからない。けど、見つかるかもしれない」
「楽観的だな。だが、それも悪くない」
二対の腕で、ぎこちなく抱き返してくれる。
すぐに顔を見せてくれないのは、単に照れ隠しなんだろうけども。
「この身が尽きるその時まで、生涯、愛し続けると誓いましょう。我が愛しの月の姫よ」
「……フフ、良いだろう。その誓いが続く限り、我が王と認めようとも。我が愛しの太陽よ」
古くから伝わる、婚姻の誓い。
それを頭上から見下ろす月に見守られながら、二人で顔を突き合わせて、どちらともなく笑い合う。
「私もお前が欲しい。だから、私を助けてくれないか? レン」
「もちろんだとも、アイ」
どんな身体になったとしても構わない。
君が俺の隣にいて、俺の名前を呼んでくれるのであれば。
それだけで、俺の心は満たされるんだ。





