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ヒューマンドラマ短編集

コーヒー・ブレイク

作者: ミント

 進学を機に上京した藤崎はこの夏、高校の同窓会に出席するため故郷に戻っていた。


 集まるのはかつてのクラスメートが二十人ほど、という慎ましいものではあるが、藤崎にとっては十分に心躍るものだった。母親に頼まれた買い出しを快く承ったのも、機嫌が良かったからだろう。故郷では比較的どこの町でも見かけるそのスーパーは、藤崎がまだ平和な十代を謳歌していた頃は重宝したものだ。しかし今では、その垢抜けなさが田舎臭く見えてしまう。どこか嘲りの混じった郷愁を抱きながら、藤崎はカゴを持ってレジに並んだ。自動ではなく店員がバーコードを読み取らなければならないそれを眺めていると、細い指を踊らせる女の姿に既視感を持つ。


 その女は真っ黒な髪を、ポニーテールにしていた。化粧が薄いのは素顔に自信があるというわけではなく、ただ単に化粧に慣れていないのだろう。しかし整った鼻筋と涼やかな目元は、地味ながら美人の部類に入ると言える。そんな彼女に、なぜ見覚えがあるのか。その名札を見た瞬間に藤崎は気がついた。雪村めぐみ。彼女は藤崎の、かつてのクラスメートだった。


「雪村さん」


 声をかけると雪村は眉をしかめ、怪訝そうな顔をした。思い出せないのか、と藤崎が名乗ると納得したような顔になり「久しぶり」と告げる。しかしそれ以上は何も言わず、黙々と仕事を再開した。今の自分は店員だ、悪いけれど話しかけないでほしい。そんな言葉を態度で示されたようで、藤崎は黙り込む。そのまま店員と客のやりとりで終わろうとした時、二人の間に入り込んだ者があった。


「あら、めぐみちゃんの知り合い? せっかくだし、ちょっとお話してきたら? もうすぐ交代だし、レジなら私が替わるわよ」


 半ば強引に雪村の前に陣取ったのは、中年女性だ。その手際の良さからして、店員としての力量は雪村をはるかに上回っているだろう。そして、この場における権限の強さも。

 雪村は一度、目を伏せると藤崎に二階を提示した。すぐに行くから、待ってて。言い残した彼女の声は、気だるげな店内放送に重なっていた。


 ◇


 スーパーの二階、屋外駐車場に続く入り口の近くに、色あせたベンチが設置してある。藤崎が腰掛けてから数分後に現れた雪村は、缶コーヒーを二つ持っていた。


「店長がくれた。二人で飲みなさいって」


 言いながら雪村がプルタブに指をかける。小気味良い音が響き、缶コーヒーの香りが宙を漂った。藤崎もまた缶を開け、中身を口に含む。口の中に広がる苦みは、藤崎の舌を潤して消えた。

 それから先は、当たり障りのない会話が続いた。雪村は週に二、三回ほどこのスーパーで働いているらしい。進学したのは市内の大学だが、同級生はほとんどいないという。


「ほとんどは市外か県外の大学に行ったから、市内の大学に入った子は意外と少ないんだよね」


 言いながらコーヒーを啜る彼女の横顔に、藤崎は感慨深いものを感じる。高校の時からいくらか大人びた彼女の姿。まだ数年しか経過していないが、その姿に異常なほどのノスタルジアを感じるのは藤崎がさして老いていないからだろうか。


「そういえば、雪村さんは同窓会来るの? たぶん如月さんも来ると思うけれど」


 藤崎は何気ない気持ちで雪村に尋ねる。如月あかりも藤崎の、そして雪村のかつての同級生だ。しかし彼女の名を聞いた雪村の目は、ゆっくりと藤崎の姿を捉える。暗く、底の見えない闇を湛えた瞳。その瞬間、藤崎はなぜか寒気を感じて動けなくなった。


「私、同窓会には行かないよ。如月あかりのこと、嫌いだから」


 ◇


 その場を包む空気が凍り付いた。そう感じているのは藤崎だけだっただろう。店内放送も手に持ったコーヒーの香りも、全ては呑気に流れ続けている。

 

 藤崎の知る限り、如月はよく雪村と会話していたし雪村を話題に上げることも多かった。話し方が面白いとか、ちょっと抜けてるとか。だから藤崎は二人の仲がいいのだろうと思っていたし、実際に高校時代の二人は笑顔で話していたように思える。しかしそれは今、雪村本人によって否定された。雪村は硬直した藤崎から目を逸らし、淡々と話し始める。


「アイツにはよく虐められたよ。本人は『悪気はない』っていうありふれたいいわけをしてたけれどね。一つ一つの仕草を笑いの種にされたり、授業で描いた絵とか文章を大声で貶されたり。小さなことを挙げていけばきりがないけれど、私のことをオモチャにしてるってことだけはわかった。どうしてそんなことするのか知らないけれど、本当に不愉快だったな」


 幼い子どもが、母親らしき人物と共にはしゃぎながら歩いてる。その声はとても大きなものなのに、藤崎の耳にはどこか遠い場所で起こっている出来事のように聞こえた。虚空を見つめる雪村の瞳に、何が映っているのか藤崎にはわからない。ただ雪村の声だけが、藤崎の鼓膜を震わし続ける。


「そのくせ、体育祭とか文化祭とかはみんな仲間! って言って仕切りたがって。普段は人のことを馬鹿にするのに、本当に虫のいい女だなって思ってたよ。特に私、運動が苦手だったから体育祭は面倒だったな。さんざん足手まとい扱いされて『やる気出してよ』って偉そうに言われて。結局、体育祭はずる休みしちゃったよ」


 雪村が欠席した体育祭。藤崎はその時の記憶があった。しかし担任からは単に風邪としか説明されなかったし、当時の如月は出席できなかった雪村を可哀想だと言っていた。しかし、その笑顔に思春期の女子特有の酷薄さが本当に無かったかどうか。今、藤崎の中では揺らいでいる。


「まぁ、そういうわけで私はアイツが嫌いだったから。まさか、仲がいいとでも思ってたの?」


 それまで真っ直ぐに前を向いていた雪村の瞳が、不意に藤崎を映す。いきなり照準を向けられた藤崎は缶コーヒーを落としそうになるが、絞り出すように口を開いた。


「二人でいる時は笑ってたし、仲が良さそうに見えたから・・・・・・」

「そりゃ、怒って睨みつけたりしたら、冗談が通じないだの感じ悪いだの言ってこっちが悪い風に言われるんだから。だいたい、二人で笑ってたって、向こうが私のこと一方的に見下して笑ってたんだよ? それを二人で仲良く笑ってたって思ってたわけ?」


 雪村は苛立ちを、もはや隠そうともしない。缶コーヒーを握る手には力が入り、形のいい瞳は藤崎のことを蔑む目つきに変わっていた。その冷たさに藤崎の心臓はおろか、手にしたコーヒーの中身まで冷え切ってしまったように錯覚する。


 藤崎の記憶の中では少なくとも今まで、雪村と如月は二人で顔を笑っていたかのように思われていた。しかし、言われてみれば本当に雪村は笑っていただろうか。如月の笑顔は友人に向ける純粋なそれだっただろうか。崩れ始めた藤崎の思い出はやがて、目の前にいる雪村への恐怖に変わる。


 藤崎の態度に怯えが混じっているのが見えたのか、雪村はふいに目を逸らした。その姿が何かを諦めたように、あるいは呆れたように見えたのは、藤崎の邪推だろうか。雪村の声はいきなり落ち着きを取り戻し、静かに言葉を紡ぐ。


「女子は、コーヒーと似たようなものなんだよ。その底には砂糖があるかもしれないし、毒があるかもしれない。インスタントコーヒーの溶け残りだってあるかもね。だけどそれは暗い中に隠されてるから、ただ表面を一口飲んでみただけじゃわからないんだよ」


 言いながら雪村は、缶コーヒーを持った右手を軽く揺らした。その内側では、ダークブラウンの液体が雪村の手の動きに合わせて踊らされているのだろう。藤崎の心のように、飲み口から受ける光と影を混ぜ合わせながら。

「とにかく、私は同窓会行かないし如月さんには会いたくない。藤崎君が私の話を信じるかどうかは勝手だけど、間違っても私をあの女に会わせようなんて思わないで」


 雪村は缶を大きく傾け、喉を鳴らす。もう彼女のコーヒーは空になったらしい。


「それじゃあ、私は仕事に戻るから」


 言い捨てて雪村は、藤崎と目も合わせずに立ち上がった。そのまま振り向きもせず、足早に立ち去っていく。手に持った缶コーヒーは、店内に戻ってから捨てるのだろうか。


 藤崎のコーヒーはまだ、缶の中に残ったままだった。


 ◇


 和やかな空気の中、居酒屋で藤崎の同窓会が行われている。懐かしさに浸りながらしみじみと酒を酌み交わす者、朗らかな笑顔を浮かべながら談笑に耽る者。先日、雪村と再会したときはコーヒーの苦みに顔を歪めていた藤崎も、今はアルコールに顔をほころばせている。


 その彼の顔が再び濁ったのは、彼女に出会ったからだった。


「藤崎君久しぶり! 元気にしてた?」


 如月あかり。明るめの茶髪をショートカットにした女。小さな目と丸っこい顔立ちは美人とは言いづらいものの、人懐っこく愛嬌のあるタイプだ。同性からの人気は高かったし、異性からも好かれていた彼女はクラスの人気者であった。その明るい表情を見ていると、藤崎は「先日の雪村の話は、やはり嘘だったのではないだろうか」と考えてしまう。しかし、脳裏に雪村の言葉が響く。


「女子は、コーヒーと似たようなものなんだよ。その底には砂糖があるかもしれないし、毒があるかもしれない。インスタントコーヒーの溶け残りだってあるかもね。だけどそれは暗い中に隠されてるから、ただ表面を一口飲んでみただけじゃわからないんだよ」


 藤崎の口内では、先日のコーヒーの味が蘇っていた。


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