才色兼備な王太女は、婚約破棄と聞いて首を傾げる。【玲奈編】
――乙女ゲームに、憧れていた。
シャーロットの偽婚約破棄騒動のあと。
「いやっほ〜っ! 青春万歳! シャーロット万歳っ! ふはぁ、推しが尊い……っ」
「……レナ様、紅茶が入りました」
「んー、ありがと女神。ついでにそこ、片付けといてくれる?」
「了解しました、レナ様!」
ここは、乙女ゲーム『咲き誇る、キミへの想い♡』の悪役令嬢、シャーロットの裏人格用の部屋だ。
といっても最初、真っ白な空間だったわけで。
女神に命じ、たくさんの家具を用意してこうなった。
と、今の物言いでもおわかりいただけるだろう。
「ねえ、女神ー。暇〜。シャーロット寝ちゃってるし……。寝顔もマジでかわいいけど、そろそろ見るのやめないと怒られちゃうよねぇ。シャーロットに」
「では、わたくしがモノマネでもやりましょうか?」
「おー、ナイスアイデア! じゃ、犬やってみて?」
「はいっ! レナ様のためならば!」
今、とんでもない会話が繰り広げられている。
女神を軽く扱う玲奈と、従順に従う、〈転生の女神〉メルア。
彼女たちのこの関係は、ずっと前より変わらないまま。
「わんわんっ」
「わー、うまいうまい!」
「ふふ、レナ様と過ごせるなんてっ」
「感激?」
「はいっ」
そして、玲奈と女神の関係は、玲奈の転生から始まるのだ――。
会社帰り、田中玲奈は信号を待っていた。
今日も今日とて、社畜OLの仕事を全て片付け、夜中の二時。
日付超えてるし! と思った時には、もう遅かった。
ブラック上司にかれこれ押しつけられ、気づけばもうこんな時間。
「あー、もういっそのこと家に帰んないで、どっかで出勤時間まで暇潰そう……」
そう思い立ったのである。
事実、このブラック会社。休日出勤あり、出勤時刻は六時、帰りは普通に日を跨ぎ、上司のセクハラやパワハラが横行する、おーるぶらっく会社。
「つーか、ここ、警察とかにバレないのかねぇ」
そういう小手先だけは、キチンとしているのも憎悪の対象。
誰かが刑事告発しても、なんか知らんが証拠なんて出てこず、警察が捜査しても、関係者を家宅捜査しても、全て『冤罪』で済まされる。
なんなん、ここ。逃げ場ないじゃん。
どういう気の迷いでここに入社しようと思ったのだろう。
「あー! わかってますよ! あれだもんね、面接とかはブラック要素全く感じなかったもんね!」
異変を感じたのは入社してすぐ。
ここ、まさかの……と思い始めた時も、割と早かった。
でも契約書にサインして、「いやったぁ〜っ! 就活終わり〜っ」と、意気揚々とハンコまで押してしまったあと。
「失敗したぁ〜、超絶ブラックだった……」
はぁ、とコンビニ袋をぶらぶらと揺らす。
どこで時間を潰そうか。
本当に、なんでこんな会社に就職したのだろう。
今から考えれば、あの頃の自分をお馬鹿さんだと思う。
それに、フラグというのは、付き纏うものである。
『え? 〇〇会社に就職するの? ふーん、でもそこ、割といい噂ないよね? ブラック会社だったりして〜』
『そんな馬鹿な〜』
そうやって友人との会話にフラグを見事に立て、回収まで早かった自分を殴りたい。
「うー、辞職したい……。でもそしたら生活が……!」
自信満々に「トーキョー行ってくる!」と豪語して出てきた手前、反対していた家族の元に戻るのは難しい。というか、絶対縁切られる……!
「はぁ、楽しみが乙女ゲーしかないとか……。青春よ、戻ってこいっ」
信号を渡りながら、そっとボヤく。
今、中年の女性が、怪訝そうな顔をして走り去っていった。
これは完全に不審者扱いだ。
闇夜を手で振り仰ぐ。
ふいに、「こんな人生、いつまで」という考えが脳裏をよぎった。
楽しくないわけじゃない。推し活してるし、給料は雀の涙だが、友人もいる。
でも気づいたら、こうして不審者扱いされる人生。趣味もなにもない、仕事人間。
「はー、わたし、どこで間違えたかなあ」
高校で、浮気してた彼氏をフッたこと? いや、あれは完全に向こうの非。今考えてもムカつく。
もしくは、高三で低空飛行の成績を改善しようとしなかったことか。
後悔なんて、いくらでもある。
でも、それが人生だと思ってきた。
だけどやっぱり、どこかで間違えていたのだろうか。
一攫千金のような就職を狙って東京から出てきたのも。ニートになるのは怖くて、家出まがいのことをしたことも。生きる意味が時々わからなくなるのも。
「これ、前世のツケかなぁ」
前世のわたしよ、なにをした。
前世のことなど知らないが、なにかヘマをして、神の逆鱗に触れたのでは、と勝手に考えている。
ゲームのような世界なんてない。
みんな必死に生きてる中で、自分だけ楽できるとかあるわけない。そう頭でわかっていても。
一睡もしていないからか、思考がだんだんポエム化してきている。
しかし、それすらもどうでもいいと思ってしまう生活。
ああ、ほんとに嫌になる。
「願わくは来世! 立派な豪遊生活が送れますように!」
期待は来世に持ちこそう。
それまでは必死こいて頑張って、来世への手土産にするのだ!
「今世なんてやってられるかぁ!」
大きく両手を振りかざして、信号を渡りきろうと、歩道に差しかかった時。
不可解な蛇行をするトラックが、目に入った。
危ない、と思った時はもう遅く。
直後――信号無視のトラックが、玲奈に追突した。
「こんにちは」
「あー、わたし、死んだわ。オワタ」
「こんにちは!」
「来世、豪遊できますように。来世、豪遊……ってこれ、三回唱えれば叶うんだっけ?」
「こ、こんにちはっ!!」
「はっ!」
呼びかけに応じ、後ろを振り向く。
「こ、こほん! 初めまして、レナ」
一面、水晶のような蒼の世界。
光り輝く玉座に腰掛ける、同い年くらいの少女。
「あ、これは夢だ。きっと夢だねー」
「夢ではないですっ」
少女は立ち上がり、玲奈の前に立つ。
金髪がさらりと揺れ、推しのシャーロットには遠く及ばずとも美少女だ、と思った。
「でもわたし、さっき死んだよね?」
「うわ、当然のごとく信じてますよぉ。普通、ここに来たら錯乱状態になりますよね……!?」
「ならないでしょ、死んでんだから」
「だからその状況理解の速さが異常なのですっ!」
ゼーハーゼーハーと息する女神。
彼女の最初、取り繕った威厳はどこへやら。
年相応、いやそれより幼く見えてしまう性格である。
「それで、あんたがその女神サマ?」
「は、はい。んんっ、わたくし、〈転生の女神〉のメルアですよ。レナ」
「えっ、マジでっ!?」
「ええ! ふふん、偉いんですよ?」
「どこかのイタイお人かと思ってたわ……。勘違いしてごめんねー」
「ほっ、ほんとですよっ! そこんじょそこらのたかが人間なんて比べ物にならないんです!」
おや、これは最低な言葉ランキング五位には入るのではないだろうか。
ちなみに、一位は「俺、あの子も君も好きなんだ」だと玲奈は思っている。
「へーぇ。たかが人間、ねぇ」
「! そ、そこんじょそこらのですねぇ、に、人間様は素晴らしいですよねぇ……」
見事な変わり身の速さだった。
玲奈の無言の圧に耐えかね、訂正するのが速い。
この女神、威厳とかないんだろうか。
「で? 女神サマってことは、転生させてくれるの?」
「は、はい! わたくし、あなたの人生を決めさせてあげます!」
「ふーん、なんでもいいの?」
「はいっ」
じゃあ、ということで、玲奈は一つの選択を口にした。
「乙女ゲーム、ですか?」
「うん。『咲き誇る、キミへの想い♡』っていう乙女ゲー。それのモブに転生させてほしいの」
「それは、どういう?」
「それは! つまり! キャラたちを! 鑑賞したいから!!」
そう。
玲奈は生粋のヲタクである。
それも、かなりの強ヲタ。
『咲き誇る、キミへの想い♡』略称、咲想は、世間一般的にはクソゲーとして知られているが、キャラデザの良さと、裏設定で、まあゲームだと割り切れれば、普通に人気は高い。
シナリオ自体は賛否両論分かれ、玲奈とて否定派なのだが、なんといっても悪役令嬢で第一王女のシャーロット……! 彼女が推しである。
はじめ、暴力的な行為と高慢な性格が災いして、多くの人から叩かれていたキャラ。
しかし、制作会社がシャーロットの裏設定を公開した途端、一気に風向きが変わる。
シャーロットは、貴族同士の圧力――いわゆる、嫌味の争いや心の醜さに、素直な心を傷つけられていた。そのため、悪役令嬢を演じ、自分の素直な心を守っていたのだ。
おまけに、婚約者のレズリー・シドア伯爵令息は攻略対象で、ヒロインに堕とされてしまう。
だからシャーロットは、自分の大切な人を失う恐怖から、ヒロインに対して当たっていく。でもこれは、どちらかというと婚約者であるシャーロットを蔑ろにした、レズリーの非だ。それなのに、断罪されて牢獄行き。
挙げ句の果てに第一王女としての地位まで剥奪されてしまう。
舞台となるアストリカ王国が、専制君主制でありながらも王家に権力が集中しておらず、貴族からの糾弾を聞き入れた父、国王が一人娘のシャーロットを廃嫡するのだ。
さらに、実力主義社会の王国は、国王唯一の子であるシャーロットの代わりに、優秀で優しいヒロインを勧める始末。
もうこれ、ヒロインを王女にさせるための苦し紛れの設定だろ、と誰しもが思った。
これにより、シャーロットの評判は地の底から跳躍し、ヒロインは相乗効果で底辺に落ちた。
無論、もともとシャーロットにあまり惹かれなかった玲奈が、推し活するようになったのも、この時である。
補足すると、ヒロインはこの後、悪役令嬢のいない世界でようやくメイン攻略対象たちに会い、逆ハーを成立させるというとんでもない所業に出てしまうのだ。
これが原因で、ヒロインの好感度が落ちる落ちる。
むしろ、ヒロインが悪役令嬢になってしまったという事実だ。
「それで、そのゲームの世界に転生を?」
「そう! シャーロットを生で見たいんだよ」
「で、ですが、シャーロットは牢獄行きですよ? いいんですか? 悲しくないんですか?」
「大丈夫! わたしは見てるだけのモブになるつもりはないから!」
そんなものになどならない。
絶対に色んな手段を使ってシャーロットを救う! と玲奈は心に決めていた。
願わくは、来世に期待。
来世でシャーロットを救い、その美しいお姿を、目に焼き付けようではないか。
「そ、それならいいのですが……。でも、ほんとにいいのです? わたくしだったら、ヒロインでも悪役令嬢にでも転生させられるのですよ?」
「だーかーらー、いいんだって。シャーロットは絶対あの脳内お花畑令息から守るから」
「いえ、そういう問題ではなくてですね……。ほら、どうせなら、自分が主人公とか大物とか、なってみたくないですかっ?」
「え、100%ないけど」
「まさかの断言!」
女神のツッコミすら意に介さない様子で。
頑として意思を曲げない玲奈に、女神は嘆息した。
「わかりましたよぉ。では、わたくしの方で選抜したキャラに転生させますよ?」
「うん。ありがと〜。いやったぁ〜っ! モブ最高!」
「はぁ、では。転生」
朧げな光が、あたりを包み込む。
「まぁ、モブを了承したわけじゃないですしね」
「ん? なんか言った?」
「いえ、なんでも」
一面の蒼から、白へと。
玲奈は瞳を輝かせ、この先にある未来へと、想いを馳せた。
そのはずだったのに。
「なんじゃこりぁぁぁあ!!」
豪華な邸。
鮮やかな色のドレス。
傅く侍女たち。
「これ、シャーロットじゃんかぁぁあ!」
「ど、どうなさいましたお嬢様!?」
「お気を確かに!」
悪役令嬢、シャーロット。
玲奈はその人に、転生してしまった。
「女神! さっさと来いっ」
地獄のような一日を終え、眠りにつくと、白い空間があった。きっと、ここは夢の中で、女神に会えるはず。普通の人は、ここで乙女ゲームの説明とかヒントとか受けるのだろうが。
『御用の際はお呼びください♪』という置き手紙があるため、ここに来たら女神を呼べるのは間違いない。
もうサマづけなんてする必要はない。あんな裏切り者。
糾弾してやる。
「は、はーい。レナ、あ、今はシャーロットで――」
「ちょぉっと、そこになおって?」
「あ、怒られてます……?」
「な お っ て ?」
「はいぃ」
女神が正座をする。玲奈は仁王立ちになった。
玲奈は深く息をつき、一気に目を吊り上げる。
「わたし、モブって言ったよね?」
「りょ、了承した覚えもありません」
「言 っ た よ ね ?」
「お、おっしゃいました、はいっ」
というか、さっさとシャーロットの姿から玲奈の姿に戻して、と言い、無事に戻される。
玲奈はようやく玲奈の姿に戻れたことに安堵し、さらに女神を問い詰めた。
「女神、あんた、覚えてなさいよ……」
「ひぇぇ」
「だいたい、もともとの人格はどうしたのよ」
「シャ、シャーロットのですか? そ、それはそのう……消えました」
「あんた一回死んでみる?」
「い、嫌ですっ!」
こんな無理やりな挙句、シャーロットの人格は消してしまったらしい。なにが、思いのままだ。勝手に人の心を捏造して。
「ねぇ、わたしに殺されたくなかったらさぁ、シャーロット呼んできてくれる? もとの人格の方」
「え、で、でも……」
「呼 ん で き て」
「呼びます呼びます!」
涙目になった女神がなにやら詠唱し、瞬く間に光がその両手から洩れ出す。綺麗な銀髪碧眼の少女――シャーロットが姿を現した。
「ぐはっ、威力が……」
実際に自分の顔を見た時にも思ったのだが、この少女、かわいすぎる。
玲奈が転生したのはシャーロットのデビュタント直後、つまりは十三歳頃。ちなみに、シャーロットはこの頃からあの『悪役令嬢』を演じている。
玲奈は、今は玲奈の姿に戻っているが、目の前のシャーロットは十三歳の姿。
二十五歳の玲奈と、十三歳のシャーロット。ついでに年齢不詳の女神と、かなり歪な位置関係になっている。
シャーロットは怯えたような眼差しで、状況を飲み込めていないよう。だが、若干吊り目のその瞳で、ぎらぎらと玲奈を見つめた。
「お、おーっほほほほっ! わたくしになんの御用? 惨めなお人! そのみすぼらしい服ったらないわ!!」
「あ、シャーロット、演技しなくて大丈夫よ」
「ちょっ、レナっ」
女神の制止する声が聞こえるが、玲奈はシャーロットに視線を巡らせる。
動揺したであろうシャーロットはびくりと肩を震わせ、恐る恐る「どうしてわかったの?」と口にした。
「なんとなく? 演技っぽかったってゆーか。普通の嫌味たらたら令嬢だったら、わたしの服を貶すんじゃなくてわたしの顔とか、髪とか、『わたし』を貶すでしょ」
「――!!」
「ついでに言えば、その高笑い。遠慮してるようにしか感じないしなぁ。あぁ、それも超絶かわいかったけど!」
まだまだ演技力が未熟なようだ。
「女神、ここについてシャーロットはなにか知ってるの?」
「あ、いえ、あのぅ」
「め、女神様を責めないで! わ、わたくしが夢でたまたま入り込んじゃって……と、時々お話ししていただけなの!」
「へーぇ、女神、あんたそんな親しくてかわいいシャーロットを、消そうとしたと?」
「違います! 消そうとしたんじゃなくて――」
「じゃなくて?」
女神は下唇を噛む。
ぽつりぽつりと、ことの次第を説明していく。
「シャーロットは、とてもいい子でした。だから……だから、デビュタントを終えた時の苦しそうな顔が、頭から、は、離れなくて……。わ、わたくしは、シャーロットを別の人としたまた、転生させようと思っていました。幸せになれる人生を、与えたいので」
「つまり、シャーロットの人格は消えたわけではなかったと?」
「はい。この『シャーロット』の器からは消えていても、人格は存在しています。これが終わったら彼女を、別人として転生させようと――わたくしは、〈転生の女神〉ですから」
不幸な人を、幸福に導く。
女神は、シャーロットが『シャーロット』では、幸せになれないと思ったそうだ。
シャーロットの素直さは、貴族社会、ひいては王女としては致命的。
そのため、別の人生を歩み、幸福を掴んでほしかったということだ。
「ふぅん。そのためにわたしを空っぽの『シャーロット』に入れようとしたの?」
「い、意思に沿わなかったことは反省しております! レナの望みを叶えると豪語しておきながら……。でも、早くしないとシャーロットがダメになってしまうかもという焦りで……。女神も、全能ではないのです」
女神も女神で思うところがあり、咲想のふざけた世界を変えようと努力していたらしい。案外、いい子なのかもしれない。
「わたくしも、謝ります。わたくしは自分のことしか考えなかった……。辛かったとはいえ、ごめんなさい」
「いいよシャーロット! 謝らなくても怒ってないし!」
「待遇の格差!!」
女神の悲鳴が聞こえるが、もとはといえば女神のせいだ。最初から言ってくれればよかったのに。
「はぁ、まぁでも、損害賠償ってものはあるからね? ちゃんとそこはしてもらうよ?」
「は、はい。わたくしに叶えられる望みであれば……。仕方がありません。シャーロットは別の人に――」
「わたしをシャーロットの裏人格にしてほしいんだけど」
「「ふぇ?」」
いいお返事。
「つまりね、二重人格にするわけ。シャーロットはそのまんまで、貴族間とか、そういう面倒くさいやつ。あれは『わたし』が引き受けるよ。そうすれば、シャーロットはシャーロットでいられるし、わたしはシャーロットを堪能できると。あ、できれば『シャーロット』を観察するテレビみたいなのほしい」
「て、てれび? なんのことかわかりませんが……女神様、できそうですか?」
「で、できますよ? なんたって女神ですから!」
「全能じゃない女神」
「無能とも言ってませんっ!!」
シャーロットが動いている間、玲奈はここで彼女を堪能したい。観察して、悶絶して……。はぁ、なんというパラダイス! 貴族の連中もなんでも引き受けてやろうではないか! 推しのために!!
「ちなみにさ、ここでわたしがずっと待機とかはいけるんだよね?」
「はい。ここにシャーロットを盗撮するモニターを入れ、不自由ないように改装すればなんとかできますよ」
「改装できるんだ。ついでに盗撮はやめよ?」
「じゃあ変態専用?」
「女神、あんたはわたしをなんだと思ってるのさ?」
「シャーロットの熱烈なストーカーです」
「まぁ、だいたい合ってるか」
合っていた。
「すとーかー? へんたい? なんですの、それ」
「シャーロットには知らなくていい世界かな!」
「レナ様……?」
「レナでいいよ」
「では、レナ、女神様? すとーかーってなんですの?」
「わたくしに聞かないでくださいっ!」
純真無垢な彼女に、裏の話など聞かせなくていい。
むしろ毒だ。
女神は視線をシャーロットから逸らすと、玲奈に問うた。
「ですが、あなたはよいのですか? 裏人格ということは、あなたがあなたでなくなるということ。『シャーロット』として生きてしまうのですよ? ……わ、わたくしだって、あなたの幸福も考えていたのですっ」
「なるほど? わたしをシャーロットにしたがってたのはそれが理由?」
「はい。レナはもう充分働きましたから……。モブより、自分でシャーロットを変えた方がいいと思いまして……よっ、余計なお世話でしたが!」
女神はどうやら、シャーロット一筋というわけでもないらしい。玲奈のことも考えていたと、そう言われてはそれ以上責められないだろう。
「まぁ、それについては感謝しとくよ。でも、意思は変わらない。だから女神。願い、叶えてくれる?」
「……変わらなそうですね。――わかりましたっ! シャーロットもそれでいいですかっ?」
「わ、わたくしは……。レナが辛くないなら」
「いや、むしろめっちゃ嬉しいけど!」
「そ、そうですか……。それなら異論はありません」
辿々しくも毅然と言おうとする姿は、なんとも愛らしい。さすが、わたしの最推し! と玲奈は密かにガッツポーズを決めた。
女神が両手を組むように合わせる。シャーロットになった時のような淡い光が瞬いて。
「同化」
女神の一言で、白い空間からシャーロットが消えた。
「はっ!? あんた、なにやったのっ?」
「ど、同化ですよぅ! シャーロットも今頃、器に戻ってますっ」
「あ、そうなんだー」
「聞いてきたくせに興味なさそうな返答!」
一瞬、この女神裏切ったか、と思ったが、真面目にやってくれたらしい。全く、人を振り回す女神だ。
やれやれ、と肩をすくめる。
なぜか女神のジト目が気になったが、無視だ無視。
「それでは、わたくしもそろそろ帰りますね。あ、シャーロットがあなたを呼ぶ場合、自動的に意識が覚醒しますから」
「なにそのドッキリ的な展開!」
「では――今世をお楽しみください」
消えようとする女神を、「あっ、ちょっと待って!」と引き留める。
「なんでしょう?」
「またさ、ここに遊びに来てよ。いくらなんでも、一人じゃ寂しいし」
「レナ……!」
「使用人としてさ」
「……」
「あれぇ? 誰のせいでわたし、被害被ったんだっけぇ?」
「わっ、わかりました! 来ますよぉ……」
半ば強引に説き伏せ、次の会う約束を取り付ける。
少なくとも、これで暇することはなさそうだ。
そして、次こそ女神は詠唱し、微かな輝きと共に溶けて消えた。
「調子はどうですか、レナ様?」
「んー? 順調! うるさい貴族のおじさん方がいるけど」
「そ、それはまた……」
あの事件から、数年が経過していた。
女神との交流も続いており、今も一日に一回は顔を覗かせてくれる。女神も多忙らしい。
「ここも随分、変わりましたねぇ」
白い空間を指しているのだろう。
確かに、変わった。
ソファもあるし、ベッドもある。モニターもあるし、家具もろもろも。ゲーム機まで。
「まあ、わたしが表に出てる時はシャーロットにここで生活してもらうわけで。不便に感じてほしくないなぁ、と思って作ったんだけど」
シャーロットは王太女になった。
曰く、それは普段は優しい人柄と、時折見せる冷酷さが評価されたらしい。貴族の評判も上々だ。
「人を冷酷とは失礼な」
玲奈には心外である。
さらに、女神までレナ様と呼ぶようになってしまった。
本当に悪影響だ。
半年前、王宮で奴隷の如く働かされていたリアムを見つけ、彼が侯爵家の次男だと発覚したらしく、シャーロットは対処に追われている。
「はー、さすがシャーロット……! 攻略対象を無事射止めたわね!」
そう、リアムはこの咲想の攻略対象だ。
悪役令嬢がいない、もうこれなにしたいの逆ハーしたいの? と思っていた時にいた、攻略対象。
玲奈も最初は、攻略対象ということで警戒していたのだが……。
『綺麗だ、ロティ』
『あ、ありがとう……』
「あ、甘〜いっ!」
心配して損した。
リアムはあっという間にシャーロットを陥落させ、恋をさせてしまった。
これでシャーロット捨てたら、一万回死んでほしいところだが、現時点ではそういった動きはない。
むしろ、嫉妬するほど溺愛している。
「ずーるーいーっ! 最近はシャーロットと会えないしぃっ」
「わたくしが来ているではないですか♡」
「女神、あんたも乙女ゲーに喰われたね」
「今、不穏な単語が聞こえましたっ」
喰われた、などと物騒な。あと、どれだけシャーロット愛してるんだ。
女神はそう思ったが、後が怖いので言わないでおく。
たぶん、これが賢明な判断だ。
「あー、そうだ。最近さぁ、自分がヒロインだなんて勝手に思ってさ、シャーロットに突っかかる馬鹿な輩がいるんだよねぇ、女神、知ってる?」
「エルカ・レアンゼル子爵令嬢ですか?」
「そうそう! さらにさらに! 自分がシャーロットの婚約者だって勘違いしてる阿呆も」
「レズリー・シドア伯爵令息ですか?」
「それそれ! ほんっと! 烏滸がましいったらありゃしない」
目下、悩みの種がこれである。
咲想のヒロイン、エルカ・レアンゼル。無茶振りな制作陣の設定をもろに信じ込んだ愚か者。
だいたいシャーロットが王太女の時点で、原作と違う流れにあるとわかるはずなのに。
レズリー・シドアも問題だ。彼、シャーロットに懸想しているため、原作を信じ込み、自分の婚約者だと思っている。
「シャーロットの婚約者はリアムなのっ」
侯爵令息として認められたリアム。
たかが伯爵令息に叶うわけないのに。
どれだけ都合のよいことばかり信じれば気が済むのだ。
「都合の悪いことは耳を塞ぐくせに」
「さっ、最低ですね。その連中……」
「……女神〜? なんか知ってるんじゃないの?」
「ひ、ひぇっ」
普通は、原作など知らないはずだ、このエルカとレズリーの二人。
玲奈も余計な心労を加えたくないと、シャーロットにすら話していない。
それはつまり。
「こいつら、転生者でしょ? 〈転生の女神〉?」
「……はい」
「なんで、黙ってたの?」
「お、怒られるかと」
「そりゃ怒るわ!」
なんということだ。
彼らも転生者とは。
「違うんです! お、お灸をですねぇ、据えようと……」
「それでシャーロットになにかあったら、どうしてくれるのっ?」
「すみませんんんっ!」
女神の話は、こういうことだ。
彼らが転生したのは、玲奈の少し前だ。
前世、エルカとレズリーの二人は、咲想の世界に転生を願ったらしい。その時、シャーロットの中身に、と考えたが、あの性格だ。断念したらしい。
それで、ヒロインの人格、レズリーの人格と交換したらしい。
ちなみに、当人たちの許可は得ているとか。
「前世の世界で一番叩かれてたヒロインと、次にバッシング受けてたレズリーに転生とか……。どんだけ脳内お花畑なの?」
「さ、さぁ、わたくしも……。ですが、お二人に少しお灸を据えたいと言いますと、当時の(元の人格)エルカとレズリーも納得してくださいまして」
「ちっ、あの脳内お花畑令息一号……」
まあ、玲奈も原作のヒロインとレズリーを責めるつもりはない。彼らも原作に流された、いわゆる被害者だ。
そこは一応、履き違えないでおく。
ともかく、そういうわけで脳内お花畑令息二号と、自称ヒロインができあがったわけだ。
厳しいことを言うようだが、この二人はバッドエンド――つまり、処刑エンドを迎えるだろう。
それは、ここを現実と捉えず、原作に振り回された彼らの責任だ。
玲奈もまだゲーム感を否めていないが、それを自覚しているから、こうしてモブの立場?にいるわけで。
キャラとして立ち回りをしたいのなら、ゲームとしてではなく現実として捉えるべきなのに。二人はそれすらしなかった。
「はぁ、これは自業自得だよね」
「どうなさるのです?」
「ん、今は泳がせておこうかなぁ。フフフ、地獄に落としてやる。次は女神、この二人を地獄に行かせてよ?」
「わかりました……。〈地獄の女神〉に伝えておきます……」
「うわそんな女神いるのめっちゃ怖い!!」
その女神の逆鱗には触れたくないと思った。
「レナ様、本気ですね」
「シャーロットのことだからね!」
手抜きなどするつもり、毛頭ない。
むふふ、と玲奈は、不敵に笑った。
「やっぱしたよ、脳内お花畑令息二号と自称ヒロイン!」
「なにをです?」
「婚約破棄」
「ぶふっ!?」
女神が飲んでいた紅茶を吹き出す。はしたない。
「普通、します!? 婚約破棄までします!? 原作と違ってるくらい、わかってますよねっ?」
「いやー、都合の悪いことは耳塞いでるんでしょ、たぶん」
「そんな馬鹿な……!」
女神は信じられないと首を振る。
だが女神よ、それが二人だ。
「ほんと、何考えてるんだろうね。人の心を蔑ろにしてさ」
「レナ様……」
「はー、許せない。最低な所業じゃん、それ」
人も物と同等に扱うなら、一人で生きればいい話。
キャラ感が否めないなら、それなりに距離を置くべきだ。それすらせずに、なにがヒロインだ。
レズリーもレズリーだ。
現実を見ず、自分に酔ってしまっている。
シャーロットが好きなのに、彼女は彼のことを好いていないとわかっているから、わざと彼女を断罪してその隙に付け入ろうとか、それは卑怯だ。邪恋だ。
「シャーロットの周りには、こんなロクでもない奴しかいなかったのか……」
ちょっとショックである。
そりゃ、悪役令嬢にもなるわ、と思った。
そして、切に悲しかった。
「よしっ! さっさとシャーロット救いに行くかな!」
今、シャーロットは婚約破棄を突きつけられた。
もうこの二人は破滅だろう。
なら。
「ふーっ、シャーロットが助けてっていってるもんね」
玲奈が、その破滅の門を開けてやる。
シャーロットを悲しませた罪は重い。
「高を括ってるんじゃない、わたしが成敗してやる!」
――玲奈が、もう一人の『シャーロット』が、表に現れる。
「ねぇ、レズリーってほんと、なにしたかったんだろうねぇ」
冒頭に戻る。
事件が終わり、すっかり平和になったあと。
玲奈は女神に、粛々と問いかけた。
「勘違いだとしてもさ、レズリーがシャーロットのこと好きなら、わざわざ婚約破棄しなくてもよかったのに」
「うーん。自分に泣きつく姿を見たかったのではないですか? あの人は王配なんて地位、興味のかけらもなかったのでしょう? 単に、シャーロットに泣いてほしかったんだと思いますよ?」
「あぁ、それでヒロインを第一王女に推薦できたんだ。――え、最低だね」
地位に目が眩まなかったことだけは、評価する。だが、それ以外はどん底だ。
シャーロットを愛しているだなんて、そんなの嘘だ。本当に愛していたら、リアムのように、彼女の幸せを願うはずだから。
間違っても断罪して、優越感に浸るなどということはない。
「だいたい、好きな女の子ぐらい、自分で好きにさせればって話よ」
つくづく、わかっていない男だ。
「エルカとレズリー、処刑されましたね」
「そりゃそうだ」
あのあと二人は、リアムとシャーロットの婚約披露パーティで王太女を断罪、偽婚約破棄するという奇行に出た。
その結果、不敬罪などに問われ、処刑されたのだ。
「〈地獄の女神〉に言っといてくれた?」
「はい。叩きがいがあると、ラシュファも言っていました」
〈地獄の女神〉、ラシュファ。
彼女にしっかり伝えてくれたらしい。
地獄で二人が喚くことを聞けないのは残念だが、もう金輪際あんな輩はこりごりだ。
「あの……レナ様」
「? どしたの、そんな畏まって」
「あ、謝りたいのですよ……っ。あなたを巻き込んでしまった、わたくしの責任でもあるので……」
「それって、婚約破棄のこと?」
「はい……」
「はあ、くだらない」
玲奈は一瞬振り返り、そして前を見る。
女神は微かに目を伏せた。
その様子を見て。
玲奈は、「うわぁ、シャーロットが笑った! 天使!」と言ったあと、もう一度女神に向かった話しかけた。
「わ、わたしもね、一応、感謝してるよ。シャーロットはあんたのお陰で助かったし、わたしは推し活できてるし……だ、だからっ」
「……レナ様?」
「あっ、あっ」
「?」
ありがとう、と。
小声で呟いたあと、羞恥からか彼女の耳が赤くなっていた。女神はその様子に、クスリと笑う。
「あーっ、今笑ったね!? 最低!」
「ふふ、そ、そんなつもりでは……ふふっ」
「めーがーみーっ!」
いつまでも、いつまでも。
シャーロットの中で、二人のかけ合いは続いていた。
お読みいただき、ありがとうございます(⌒▽⌒)
玲奈編、書きたかったので、書いていてとても楽しかったです!
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