歪な同居
狐露は目を覚ますと正午過ぎである事は不思議と体感で理解できていた。
頭が痛い、昨日は酒を飲み過ぎたせいか酷く体が重く気だるい。毒の耐性はあるはずなのに酒の毒性だけは無意識に解毒を忘れてしまう。
何故昨日は酒を浴びるように飲んでしまったのだ?
そう曖昧な記憶の糸を辿っていくと狐は布団を蹴り飛ばす。
「奴は……杉糸はまだ……いるのか……!?」
一気に気だるさなど消え、狐は次々と襖を開けて屋敷内を捜索した。
「杉糸! 杉糸!!」
狐はドタドタと走り回りながらただひたすら名前を呼び続けた。
そして部屋をしらみつぶしに探していく度に焦りが強くなっていく。
まさか、もう行ってしまったのか?
気配を探れば一瞬で何処にいるか判明するだろう。だがもしも既に去ってしまったとすれば?
それが怖く、微かな希望にしがみつきたくて出来なかった。
目頭が熱くなる。息が荒くなる。
また自分は孤独になるのだろうか、嫌だ。ずっと待ち続けたのにそれだけは嫌なのだ。
だが何処か心の奥底でもう、間に合わないと理解していた。
「まだだっ……まだどこかにいるはずだ……」
しかしいつの間にか走る事をやめてしまっていた。
崩れ落ちるように膝を付き、尻尾や耳も気持ちにつられるようにくたびれていく。
「いるなら……返事をしてくれ……わらわは……わらわは……」
「どうかした?」
一瞬正気を疑った。心を痛めた自分が聞いた幻聴か何かかと思ったのだが、
声のする縁側の方向へ障子紙を開く。
そして気の抜けるような安心感を味わった。
杉糸は縁側に座り、庭の池に棲む魚を描いていたのだ。
「おはよう、もう昼だけど」
足腰が弱り、へたりと座った。
「いるなら返事をせんか……」
狐は一気に二日酔いが戻って来た気がしてごろんと縁側の日を浴びながら横になる。そして拗ねたように背を向けた。
「ごめんごめん、中々出るタイミングがわからなくて」
杉糸は悪意も悪気も無さそうに頭を掻く。
「面白そうだったから様子を見ていたのもあるけど」と小声で言っていた。おい、わらわに聞こえているぞ。
しかし狐はこれ以上、何も口にしようとは思わなかった。怖かったのだ、これ以上杉糸を引き止める理由などない。何か言ってしまえばそこから綻びが生まれてしまうようで安易に発言出来ない。
暖かいはずなのに少し震えてしまっている自分がいた。
だが背を向けて尻尾でそれを隠し、どの言葉が来ても強気の返事を出来るよう準備をしていた。
「狐露」
「わかっておる」
「君が許してくれるなら、少しだけここに住ませてくれないかな?」
「わらわは其方の事を止めはせぬ、止めは……わかっておる、わかっては……おるのだ……だが……だが……? む……? へ?」
耳に蟲でも詰まったのだろうか、狐はバッと体を起き上がらせて杉糸を見る。
「其方今なんと言った?」
「ここ住むワンワン」
「何故!?」
「ここ去るワンワン」
「待てい、わらわに考える時間を__」
突然の気変わりにぐるぐる目で困惑していた狐だったが、すぐさま理由らしきものは頭に浮かんだ。
昨日の夜、自分は涙した。
痴態を晒したのだ、記憶は曖昧でも泣き崩れた結果だけは何となく覚えている。
嫌だ、嫌だと子供のように泣き叫ぶ自分の姿を。
言葉に詰まりながら狐は言う。
「昨晩……の出来事から……其方を引き止める事になってしまったのか?」
もしそうなら狐の胸の中で感情が罪悪感と喜びが混じった複雑なものになってしまう。
「さあ」
だが杉糸は揶揄いながら笑ったのだ。そして一言付け加える。
「ただ、実は君に関係のない話で一つだけやり残した事があったんだ。これは本当、そのやり残しを無視したまま死ぬのもダメだと思って」
杉糸は笑いながら話すが、何処か悲哀を感じ目は笑っていなかった。無理をして笑っているのが目に見えた。だがその事には触れず、ただ話を合わせる。
「そのやり残しとはなんだ?」
「君からすればどうでもいいつまらない話だよ」
つまり言う事は無いらしい。
「其方の考えはよくわからん……」
だがそれでも嬉しかった。何処か歪で呆気なく壊れてしまいそうな不安定さを感じさせる杉糸だったが既に狐の方が先に壊れていた。
だからこそ彼を救う方法がわからず自分だけ救われようと考えてしまっていたのだ。
こうして一人、歪な屋敷で歪な狐の元に歪な住人が一人増えた。